16-5.陽光
大祓を前に仮病を考えたりもしたが俺の体調をよく知る惟也に通じる訳もなく、俺は残月の迎えの牛車に揺られ、行きたくもない大内裏に向かう。牛車は内裏から借りたというやけに豪華なものだったがドナドナされている気分だった。
たった数日で縫い上げた紫の直衣のぶかぶかな袖を見てため息を吐く。普段は帯で袖を括って腕を出していたのでとても暑いし煩わしい。
「宮様、なぜそう不機嫌なのです?」
扇を仰ぎながら残月が問う。
覆面で顔を隠しているのになんで分かった。
「暑い。あと俺に化粧は必要ない」
朝、準備のため衣を着替える途中、晴明殿の女房らが俺を捕まえ化粧を施して来やがった。
北の方が御簾の向こうで笑みを浮かべていたのが微かに見え、彼女の仕業だと気付いた時には頭を後ろから掴まれ逃げることが叶わなかった。
「最近は権威のために白粉を塗る男もいらっしゃいますがねぇ」
「尚更俺は必要ないだろ」
俺の肌は元から白いのだ。それに俺は女じゃない。そんなことをするなら髪を黒く染めて欲しかった。
顔がかゆく掻こうとしたらお化粧が崩れると残月に止められる。
「白粉は肌が荒れる」
「鉛毒の心配でしたら、北の方がこの白粉は鉛ではなく絹繭を細かく砕いたものだから肌にも良きものなのだと声高らかに仰っておりましたが……」
いや知らんがな。
「紅や眉毛まで引かれたんだぞ」
白いからって理由で眉毛まで引っこ抜かれることは無かったけどさ。
「子供のころ、母が女房らとの会話で紅を塗らねば血の色が悪く見え、白粉を塗らねば紅の乗りが悪くなると言っていた記憶がございますが……」
「目尻を黒くする必要は?」
「旦那様は儚い目をされているので縁どれば目元が映えるので良いのでは?」
「惟也、少し黙れ」
「えっ!?」
「まぁまぁまぁ、確かに宮様の普段の儚い御姿から変わってよく映えております。お顔も陛下によく似ていらっしゃる」
残月になだめられ余計に腹が立つ。
「……目立たず、そのまま忘れられた方が俺には都合がいい」
惟也と残月が視線で会話していたが想像は付く。
そして残月は扇を仕舞う。
「して、話は変わりますが宮様。朱雀門に召された後、その御傍を離れることお許しください」
残月は言うがその笑みは許しを請う表情じゃない。
「あぁ」
「聞いておられますかねぇ?」
「俺が会場に着いたら離れるんだろう。構うな」
「何か御用でもございましたか?」
惟也が代わりに残月に聞く。
「私めも神祇官としての勤めがございますゆえ」
「お前は今回神祇官として参加しないんじゃなかったのか」
今の残月は黒の装束の上に白地に山藍の柄が描かれた小忌衣の上衣を羽織っている。小忌衣とは神祇官や巫女が神事を行う際に纏う上衣だ。てっきり大祓の後にすぐ自分の社に戻るのかと思ったが違うらしい。
「初めはそのつもりだったのでございますが、残念なことに養父から人手が欲しいと頼まれてしまいましてねぇ」
残月は松尾近くにある神社に在籍しているのでその社でも同じ日に大祓の儀式を行う。そのため大内裏での大祓の仕事は必要最低限の手伝いしか任されないのだと残月が以前言っていたのだ。
以前の瘴気の騒ぎで神祇官も何人か死んだのだろう。被害報告までは聞いてないので神祇官もそれで死んだのなら仕事のしわ寄せにも響くのは無理もない。
「そっちの社の方はいいのか?」
「既に社の者らには伝えております。社の方は他にも人手がおりますので問題はないでしょう」
宮司なのにそれでいいのか。
「ですが貴方様には侍従殿しか居られませんので、それでは心許ないでしょうからもう一人、ふさわしい御方に付き添いを願いました」
誰だよ。後のお楽しみだと笑みを浮かべる残月を睨んだ。惟也も訝し気だ。
大内裏の達智門から入り、大内裏の中をそのまま牛車で通るが御簾から外をちらりと見ればどこの誰が乗っているのかとこちらを見る者が多かった。
車宿りに到着し大極殿近くで牛車から降りると朱雀門側に一人の男が出迎えてきた。
「殿下、先日の一件について改めて感謝申し上げます」
陽輝だった。もう容体は良いのかと顔色を見たいのにまだ彼は俺の前で頭を下げる。残月は扇を手に「私が教えたことお忘れですか?」という目をこちらに向けている。
「……頭をあげろ。それに礼はもう受け取ってる」
年上相手に敬語を使わないのは疲れるが残月と話している感覚を思い出しながら話す。
ようやく頭をあげた陽輝の顔色はまだ完全ではないものの、だいぶ良い。
「それでも感謝し足りません」
俺はいたたまれなくなって歩みを進めた。もう大勢の貴人が集まっているのが見え、向こうも俺が来たことにざわざわとし始める。
残月は俺と陽輝に座る場所を案内すると「それでは私はここで失礼します」とこの場から離れた。
大極殿から朱雀門までの道を挟むように分かれており、俺は大極殿から一番近い左側にいる。通路を挟んだ向こう側には右大臣とその派閥にいたことに俺は思わず目を見開いて陽輝を見るが知らぬ存ぜぬの顔をしていた。
それでも後ろからは囁き声が聞こえる。
「少外記の宮と隣の覆面は白人の宮か?」
「あぁ少外記もお労しや。あのような、ねぇ……?」
「……旦那様」
「なんだ」
「いいえ。……日差しは大丈夫ですか?」
「大丈夫だ。悪いな」
また惟也が気遣わしげに声をかける。
しかし後ろの方は俺たちに気にせず話しを続けていた。
「おや、その名は聞いて久しいですね。その御方は出家されたはずでは」
「いや三年前から還俗されていたはずだ。……しかし相変わらず覆面でそのお顔を隠すとは、我々への御心配りが良くなされている」
寺にはいたが出家はしてない。それに顔を隠していたのは化粧された顔を見られたくなかっただけだ。以前から夜なら普通に顔を出しているがそいつも俺のことを噂でしか知らないようだ。
「惟也、後ろの紐を解いてくれ」
「……よろしいのですか?」
「いい」
「かしこまりました」
惟也の喜色を帯びた返事にむずがゆさを覚える。俺の顔を見た陽輝が一瞬こちらを見た。
「目はよろしいのですか」
「既に術で対策している」
実は惟也が持っている赤い番傘は日除けの術をかけた呪具のようなものだ。その下にいれば日に焼けないし地面からの照り返しもほとんど無く、視界も楽になる。
会場は朱雀門を前に大きな輪っかが置かれており、その次に官人や女官らが広げられた御座に座っている。この人数は流石に百官全員ではなさそうだ。周囲には御座に座れず立って待っている者もいる。
俺は陽輝からの案内で朝堂院付近の場所に座った。左右に陽輝と惟也が座っている。惟也は傘をもう一つ持っていた台座に差してから俺の隣に座る。普段は頼りないのにこういった場では逆に堂々としているのが不思議だ。
「……少外記殿の方こそ、容態はどうだ」
「大分良くなりました」
「仕事は休めているのか?」
「明日には復帰します」
必要最低限の会話は元からのようだ。他愛のない会話を向こうから振ることはないらしい。
「もう少し休んでもいいのでは」
「そういうわけにはいきません」
無表情で端的ながら陽輝はそう答えたきり、また無言が続いた。ここまで陽輝が無口だと慈雨の宮とはどんな会話をしていたのだろう。