16-4.礼羅
北の方から「遠くから物見をしましょう」と誘われて朱雀門の前まで牛車で向かうことになった。
昨日まで陽光の衣を仕立てるために北の方とその女房達と共に慣れない繕いをしていたので指にまだ違和感がある。縫い目が荒いと直ぐに指摘され何度も解いたものである。
針を刺した傷は全て治したのに妙な心地だ。
「まぁ快晴の宮と慈雨の宮は遠くからお言葉を交わしていたと?不思議なお力がございますのね」
「恐らく。結局事実をお二人には聞けずじまいでした」
牛車に揺られる間、あと双子のことを話していた。
一ノ宮は快晴の宮と呼ばれていたらしい。会った時には疲れ果ててそんな雰囲気が無かったけれど、本来はお日様のような人なのかもしれない。
「日ノ本に近い御方にはそういうこともございましょう。嵐山の宮が多くの御使いを呼び出したように、あの二人にはそういったお力がおありだったのでしょうね」
椿は以前、晴光は天の御子だと言った。
それを陰陽頭と帝が信じたのなら、椿にも憑代体質の他にも何かあるのかもしれない。
そんな彼女がそう言うならそうなのだろう。
「貴女ならまた呼ばれるでしょうから、その時はまたお話聞かせてちょうだいな」
北の方はそうやって噂話を集めて行くのだろうけど、二度と慈雨の宮には呼び出されたくない。
「式神の件もそうでしたけど、女房や侍従は付けないのかしら」
「……それは……」
下人の代わりに式神を作ることは失敗に終わった。晴光の力では到底難しかったのだ。
しかし人手として下人だけでなく侍従や女房も必要だ。
陽光の世話は惟也がしているけれど、陽光が今後毎日出仕することになるなら惟也だけでは人手が足りなくなる。それに付き添う惟也にも支度が必要なのでそれに伴い下人の童たちにも負担がかかる。
けれど自分が決めることでは無いのでどう答えたら良いのか戸惑っていると北の方がハッとした顔をする。
「貴女が決めることではないものね。時々貴方が嵐山殿の式神であることを忘れそうになるわ」
女房にもそんな権利はないのだけど言いたげな椿と私は思わず顔を合わせてお互い苦笑した。
―――
それから三人で色々会話をしていると牛車が止まった。
御簾を覗けば正面から少しずれて朱雀門が見えた。周囲も屋敷の壁伝いに牛車が並んでおり、御簾からこっそり顔を出しては門の向こうを覗こうとしている。
朱雀門の向こうでは色とりどりの衣を着た殿方が御座の上に座っていた。
「ここからでは見えませんね……」
道の真ん中を占拠するわけにはいかないので端から様子をうかがう。
けれど牛車の位置が門からずれているせいか広場の中はほとんど見えない。外に出たいけれど椿に引き留められるだろう。
「そんなこともあろうかと、主人から式を頂戴しております」
そう言って北の方が側にあった木箱から出して見せたのは中心に五芒星が書かれた式札三枚だった。
五芒星の周囲には様々な文字が書かれている。それは真言だったり神代の文字だったり神仏ないまぜでその中身は複雑だ。
北の方が使い方を見せるためにやってみせると、抑えてもないのに額にぴたりと式札が張り付いた。
見よう見まねで私も額に紙を近付けるとやはり糊もないのに張り付いた。私と椿が準備できたことを確認すると北の方がその場で声をかける。
今更だけど北の方も式札さえあれば簡単な術は使えるようだ。
「殿、聞こえますか?梅です」
『おや早いね。そろそろ始まる頃だよ』
晴明の声が頭に響く。徐々に知らない視界が見えてきた。これは晴明の式札だろうか。
『まあた何を企んどると思ったらそれか……』
「あら、兄上がおりますわね」
北の方が幼子のようにはしゃいだ。
見えているのは晴明の視界なのだろう。陰陽頭がはっきりと見える。気付いた陰陽頭は兄というより好好爺のような顔を見せた。
『おぉ梅か。覗きとはこりゃ関心せんなぁ』
「ふふふ、まぁ兄上ったら、この術は兄上も力をお貸したしたと伺っておりますよ?」
初め聞いた時は信じられなかったがこのやりとりで本当に二人が実の兄妹なのだと実感する。
晴明の顔が見えるので晴明の式神の視界をこちらにも見せているのだろう。
『力を貸すもなにも、こやつが何をするか気が気じゃないからな』
さすが陰陽頭である。
自分らの声は二人にしか聞こえないらしく、周囲の人間は特に気に止めることなく同僚と会話したり、その場でじっと待っていたり、紙と筆を持って恋人に送るのであろう和歌を詠んでいたり様々だ。
しかし陽光はどこに居るのだろう。
「嵐山殿は身分から、もっと前の方にいらっしゃるでしょう」
私の独り言を椿が拾う。確かに少し背伸びすれば通路の向こう側、大極殿側に赤い傘が見えた。隣には一ノ宮と惟也もいる。何を話したのか惟也が陽光の覆面を外した。
北の方から陽光には化粧を施したと聞いたけれど、すっと紅と墨で目元を彩られた陽光の目元は化粧負けしていない。
「綺麗……」
「今度夜半の君にもしてあげましょうか」
北の方は誰かに何かを施すのが好きなのだろう。私は苦笑して誤魔化した。
「椿さん、大祓の流れはどんな流れなのでしょう」
「儀は恒例なら祓の義を行い祓詞を宣うと茅の輪くぐりといって茅で編んだ大きな輪を潜るのです」
確かに朱雀門の前をみると大きな輪っかが立ってあるのが見える。
「面白そう」
「夜半の君、茅の輪くぐりはお遊びでは無いのですよ」
「静かに。もうすぐ始まりますよ」
神祇官は祝詞を唱えると祓の麻を振っては邪気を祓う。一つ一つの儀式を隣で椿が私に説明してくれたのはありがたかった。
その後中央で別の神祇官がまたつらつらと式次第を述べる。
惟也が懸念していた祓詞がはじまる。
『天津罪とは、田畑の畔を壊し、水を流し稲の育ちを悪くすること、これ畔放と呼ぶ――』
天津罪神の意に反することを事細かく述べる。式札の隙間から見えた椿がその様子に少し首を傾げた。
「椿さん?」
「慣例ではここまで天津罪について細かく宣うことがないはずですが……」
そう椿がつぶやくように、式神の視界に映る貴人らもざわざわと普段と違うらしい祝詞に疑問を持つ。
「病によって髪や肌が白くなる者、これ白人と呼ぶ。生まれから白い者はそれに当たらず、吉兆の印である」
神祇官府が陽光を忌み子でないと宣言した。
式札をめくると目の前で北の方が自分の袖で涙を拭っていた。
それから解除の儀式を行い茅の輪くぐりが始まる。のはずだったのだが今度は扇を持った巫女数人が現れ、雅楽による舞が始まる。
特段巫女がそれに何か神託を貰うわけでも、口寄せをするわけでもない。その様子に怪訝な顔をする者もいたが、その袖が風で翻る美しい舞に多くの者が見とれていた。
「舞は見世物じゃないのに……」
そうつぶやく椿はどこか嘆いているように聞こえたけれど。
その後巫女による舞が終わると解除の儀式、茅の輪くぐりが行われた。それで大祓は終わりなので潜った後は官人らも散り散りになる。
身分の順番で行われるようで、今上帝の実子である陽光は必然的に一番最初になり、大衆に見守られながら潜ることになった。
赤い傘から離れて、足元のおぼつかない陽光の手を取ったのは残月だった。
普段は邪見にしている割には見知った人間を見ると安心したような顔をする陽光に、やはりうちの主は女……いや少女なのではと疑いそうになる。ほら安心しきった顔で目を閉じて歩いているではないか。
残月の視線がこちらを向いたので思わず「ひっ」と悲鳴を上げる。見えないはずなのにどうして分かった。
陽光が無事に茅の輪をくぐり終えると突風が走る。
先回りして迎えに来た惟也が陽光に傘を差し出すと、同じくその様子を見ていたらしい陽光は面白かったのか珍しく口を綻ばせていた。
そのやり取りを見た誰かが陽光を風に喩える歌が聞こえた。
水無月の清き祓ひにしらはえが、いといたづらに麗しきなり