16-3.礼羅
大祓の儀式が五日前に控えている中、私と陽光と惟也は晴明の屋敷に来ていた。
陽光が都に行く日は今までは留守番として私か惟也のどちらかが嵐山に残るようにしていたけれど次からは結界の強度を増した上で鳴子と呼ぶ結界を張ることで問題ないか試すことになった。
「……」
惟也はちらちらと陽光の様子をうかがう。付喪神を呼び寄せた時よりも惟也は陽光に対して気遣わし気だ。
それは私も昨晩、惟也本人から直接聞いていた。
『式次第の中に天津罪・国津罪を話す場がございます。それは記紀を元に神の意にそぐわぬことを挙げたものなのですが、その国津罪の中に『白人』というものがございまして、肌の色が白くなるという病があるそうなのです。それは肌だけでなく髪も白くなってしまうこともあるようで、それに旦那様は……』
惟也は私が聞けばなんやかんや説明してくれる。
生まれつきの白さと病によるものの白さの区別はつきにくいし、混同されて陽光が国津罪を背負った者だとされてしまえばよからぬ目を向けられてしまうだろうということらしい。
それでも参加しなければならないと残月から言われ、渋々晴明からの迎えの牛車に揺られてやってきたのである。
「ようこそおいでくださいました。殿下」
「……世話になる。天文博士殿」
晴明と陽光が表向きの挨拶を行うとすぐに晴明の態度が変わる。
「さて、大祓だね。本来なら前日に来てもらうつもりだったけれど、有明の君から頼まれてね。衣の繕いをしなければならない」
「今までのもので充分ですが」
陽光は普段こそ修行僧が着るような衣ばかり着ているが公の場で着る衣が無いわけではない。良いものなので衣を傷めないように大事に仕舞っていただけだ。
「君、元服してから己の背がどれくらい伸びたと思ってる。君の年頃はよく背が伸びるんだ。それにそちらの侍従の君も一度着て確かめた方が良い」
晴明が自分の女房に視線を向けるといくつかの反物を持ってくる。
「採寸をするので夜半の君、君は梅の方へ。梅が待っているよ」
「え」
「では夜半の君、こちらへ」
近くで控えていた女房が私を案内する。よく見たら北の方の女房の一人だ。
「椿さんではないのですね」
「椿の君は今、西の方のもとへ向かわれております。突然お館様が言い付けたそうで、珍しいこともございますわ」
「西の方」とは本来屋敷の西の対に住む人を指すが、この屋敷においては晴明の側室のことをそう呼んでいる。今西の対には唯一この屋敷で住み込みで働いている椿が住んでいるけれど、以前はその人が住んでいたのではないだろうか。
「その、天文博士様はなぜ西の方を据えたのでしょう」
歩きながら私は女房に聞いてみる。
晴明が色好みするのは想像できなくもないけれど、北の方の気が強いので晴明が他所で妻を作ること自体想像しにくかった。
女房が少し間を置くので後から失礼なことを聞いてしまったことに気付く。
「……それは、わたくしも存じあげません。おそらく、旦那様は奥様が中々身籠られないことが気がかりだったのではないでしょうか。旦那が当時婿に入られてから数年はなかなか奥様も子宝に恵まれなかったそうですから。
他所で側室を作ったことが発覚した際、奥様は大分冷めきった言葉を旦那様におっしゃったようですよ」
一族の繁栄のために複数の妻を娶ることはどこの国でもある。それでも女の嫉妬はとどまることを知らないのだろう。私は恋とかそんな感情を知らないのでピンとこないけれど、お婆が子狐を弟子として迎えた時はひどく嫉妬したのと同じだろうか。
それでも今では椿に様子を見に行くよう伝えるくらいには側室を気に掛ける北の方は懐が大きい。
陽光もいずれ正式に妻を迎えることもあるだろう。そういえば陽光は元服の際に添臥はしたのだろうか。それを考えるだけで少し心に靄がかかる。
そしてなに気色の悪いことを考えているのだろうと冷静になった。今は北の方に挨拶をしなければ。
御簾の前に座り、その向こうにいる北の方へ声をかける。
「ようこそおいでくださいました、夜半の君」
「北の方も。しばらくお世話になります」
挨拶を済ませ雑談に入るかと思ったら、女房がそっと帯用の布を差し出した。
「えっと……これは……?」
「繕わなければならないものです。繕いはできるでしょう?」
貴族の衣の仕立ては貴族が行っていた。たしなみとも呼ばれるほどで、平民に織らせた絹の生地を染め上げ、裁断し、縫うところまで貴人の妻や娘が行っていたという。
それを今回は数日後の催事のために急いで仕立てなければならない。後から採寸を終えて印を付けた陽光の布が来るのだろう。
「あ、えっと……私道中トカゲを踏んでしまい……」
「貴女ならすぐに洗い落とせるでしょう」
「お腹が痛くて……」
「出来るわよね?」
圧が凄まじい。心なしか北の方の女房全員が私に圧をかけているように見える。
「……はい」
その後皆で残月と晴明への文句を垂れ、指に針を刺し間違えながらひたすら縫うことになったのだった。