15-2.礼羅
「ごきげんよう、嵐山殿におかれましてはご機嫌うるわしゅう。今宵も月が綺麗ですねぇ」
庭のある南側の御簾の前に座り残月は相変わらず檜扇を手にしている。しかし一瞬残月の目がこちらを見て光った気がして思わず背筋が伸びる。
彼が連れてきた術師は三人。案の定晴明と以前来ていた中ぐらいの背丈の陰陽師。そして。
「わざわざ陰陽頭まで来ていただくとは……」
「殿下のことですからな。気になる御方もそう少なくないのです」
一番背の低い術師。まさかの陰陽頭が来ていた。そして陽光に向かってこっそり悪戯っぽく片目を閉じる。
「それに、一度でいいから嵐山の屋敷を見て見たかったのですよ」
「そう言われると広いだけの粗末なもので申し訳ないな」
「いえいえ、静かで虫の音が聞こえてくるのいいものです」
御簾越しの世間話もそこまでに、陽光の合図が出る。私と惟也で一緒に御簾を上げると陽光の母親の形見が揃った部屋の全貌を見せた。
公になった「しつらえ」は月明りと高灯台に照らされているので良く見える。
御簾の中に客人の四人を入れると陰陽師らは陽光の案内でその品々を吟味し始めた。私と惟也は御簾を巻き上げて紐でしばっていこうとすると残月が手を貸してくれた。
その間に耳をすませばどこかの箱の中で道具が風もないのにかたんと音を立てた。道具もそわそわしているのだろうか。
しかしそれに術師は動じることなく、自分の息をかけぬよう口元だけ布で覆ってはその品を目で確認してはその質の良さに中ぐらいの術師と陰陽頭がそれぞれ賛美していった。まるで品評会だ。
「確かにどれも呪物相応に呪力が込められておりますな……この箏、梅は珊瑚が使われております。箏柱は鯨魚の骨でしょうか。それにこの琵琶もこの白い貝を使った螺鈿が実に美しい。沙羅双樹を想起させますな」
術師はそう言いながら何かを書き付けている。
鯨魚を私は見たことが無いけれど、相当大きな魚のようで捕まえるのも命がけなんだそうだ。死んだのが浜に打ち上げられることもそうそうないから貴重なのだとお婆が言っていた。肉を食べたことがあるらしいけれど煮込むとほろほろして美味しいらしい。
だけど琵琶の白い花に関してはちがう。お婆から幻術で見せられた沙羅双樹はヒトデのような形をしていた。
「それは沙羅ではなく夏椿です」
沙羅はこの国では気候が合わなくて育たない。その代わりに寺には夏椿を植えるのだ。そう指摘してやれば術師は私を睨む。折角間違いを正してあげたのになぜ睨むのだろう。
陽光はそんな調度品の意匠はどうでもいいのか「箏なんて形はほとんど同じだろう」なんて顔をしている。残月が呆れた顔で陽光を見ていた。
ちなみに晴明は無言でその調度品を物色しているけれど終始無言だ。
「この香炉もなかなか……こうも金が散りばめられているのに落ち着いた品がある。殿下、これは月草(ツユクサのこと)でしょうか」
「……そうだな。母が好きだったものだ」
陰陽頭が陽光に言うが未だにどこか声色がほの暗く、陰陽頭もそんな陽光に少し眉を下げる。
「この筆もかぐわしい。白檀が使われておりますね。毛の白さからしてあまり使われているようには見えませんが、元の持ち主というより作り手の念もありそうだ」
「……どれどれ。これは……白いが毛が人の毛髪だね」
晴明が術師が観察していた筆を見てぼそりとつぶやく。
「白い、毛……?」
その言葉に私を含めたその場にいた全員が陽光の方に視線が集中した。
「おい白髪で俺を見るな」
でも筆は遠くで見ても綺麗で白い毛だ。丁寧に手入れをしていた結果だったとしても元の素材が良くなければこんな真っ直ぐな毛にはならないだろう。陽光の髪の毛はとても真っ直ぐで月光に当たるととてもきれいな銀色をしていたから月の光に当てればわかるだろうか。
陽光が白銅を呼ぶと問いかけた。
「白銅、あの筆は母の母が使っていたと言ってただろう。あの筆の毛は誰の毛だ」
「さてな。わえもその筆の毛が人の毛だとは知っておったが、由良や人の話を伝え聞いただけで分からんの」
「……そういえばお前の毛も白いな」
「わえの毛は筆にできんぞ!?」
白銅の毛を剥ぐつもりか。
「なにも私はこの筆が殿下の御髪だと言ってないよ」
そう晴明が言うけれど場の空気はなんとなく悪い。
残月が檜扇を手に陽光に耳打ちすると、それに陽光も頷いた。その流れで惟也に目配せをすると彼もそれに合わせてその場からこっそりと離れた。私も同様にその場から立つ。
「月見でもしましょう。月が昇り切るまでまだ時間がありますから」
陽光の言葉に白銅は「酒だ!酒だ!」と喜んで飛び跳ねる。このまま鞠のように跳ねていたら調度品が壊れかねない。
「狐!何をするか!?」
「貴人と一緒に酒が飲めると思わないで頂戴!」
白銅を抱きかかえてその場から離れた。
この狸があの場にいたのはあれらの調度品のことをよく知っているからだ。同じ場所で月見酒が出来るような立場ではない。
童達に任せようかと悩んだが彼らは客人が乗ってきた車を引いた下人らがいる。そちらにもねぎらい程度の食事を用意していたけど言えば手伝ってくれるだろうか。
今思うと惟也が米の量を心配していた理由がわかる。彼らは仕事で体を動かす分よく食べる。白銅を抱き抱えながら透渡殿をしずしずと歩いていると後ろからつんつんとつつかれた。
「あら、黒弓どうしたの?」
庭を歩き回っていたはずの黒弓がこちらに歩み寄るとひょいとその口で白銅の首根っこを口で掴んではぽいと後ろに投げては己の背に乗せた。白銅は突然のことに「あーれー」とされるがままである。
黒弓は白銅が背中に乗ったのを確認すると私の顔に鼻を寄せてはむはむしたり頭をすりつけてきたが私が何かを言う前にぱかぱかとどこかに行ってしまう。
「……世話をするつもりなのかしら?」
考えることはやめた礼羅は裾を翻して厨の方まで急いだ。白銅といっしょに来たと思っていたらしい惟也は一人で来た私を見ては声をかけた。
「おや、白銅はどうしたのです」
「黒弓が連れて行ってしまって……」
「黒弓が?」
馬としては感情豊かな方だろうが、妖の中では寡黙なので感情が読みにくい。口がきけないわけではないはずなのに念話すらしてこないので自らの意思で行動に出るのは珍しかった。
その頃の黒弓は主人の言うことを聞かずに動く白銅にこんこんと説教をしていた。自分より体格が大きい黒弓を前に白銅はしおしおになっていた。反省してくれるといいのだけれど。