14-8.礼羅
慈雨の宮は気を失っていたようだが、他に障りが無いか調べるために術師と一ノ宮たちはそのまま残ることになった。
藍の君や他の女房達は私たちをもてなそうとしてくれたが、陽光が丁重に断った。
私たちは晴明からは屋敷に来いと言われ、久しぶりに晴明の屋敷に御厄介になることになった。
「結局箱のことは分かりませんでしたねぇ」
同席している残月が残念そうな顔をしているがそのように見えない。
箱の方は結局呪符を剥がせば白銅がいなくても見えるようになった。
「それにどうして慈雨の宮にだけしか見えなかったんだろうな……」
「あぁ、そういえば」
流れてきた記憶の話をすれば陽光は目を大きく開いていた。
「箱を渡した奴を見たなら言えよ!?」
「でも僧侶でしょう?」
人には危害が及ぶとは思えない。
「それでも願いが叶う箱なんざ胡散臭い代物だし、僧侶でも魔物が化けていたらどうするんだよ!?あの前の鹿頭も体は人間だったろうが」
「宮様?」
陽光は残月の呼びかけにすぐに身を引く。私も瞬時に檜扇を構える。
「それで……その僧侶はどんな顔だった?」
「それがぼんやりしていて分からないのです。そもそも慈雨の宮と顔を会わせていることが不思議なのですよ」
「……なら尼か?」
「それすらも分からなかった……」
目はあってるはずなのに男なのか女なのかも判断できなかった。分かるのは黒い衣に袈裟を着ているくらいだ。
頭巾を被っていたから髪の有無も分からなかった。
「一ノ宮を恨んでもおかしくないって言うのはどういう意味だ。一ノ宮が邪気にかかっていたのは慈雨の宮からの呪詛じゃないのか?」
「最後に慈雨の宮は『消えてしまいたい』と言っていたのです。そう思った理由は分かりません。……夫を愛していたようには見えませんでしたし」
陽光は一瞬目を見開く。
「……そうか」
「宮様、慈雨の宮の魂呼びの際、私が教えずともよく呼べましたねぇ?」
「お前が教えたんじゃなかったか」
「私は人の名を紙に書き記して教えたことはございませんよ?」
陽光は内裏のことや政はだいたい残月から聞いているらしい。ほぼ初対面である異母兄弟の名前をいつ覚えたのか気になるらしい。
「前に帝が双子の一人を『けいこ』と呼んでいた。それに慈雨は『恵みの雨』だろう?ならそう書くのかと思っただけだ。斎宮になるほどなら雨乞いが上手いんじゃないのか?」
高貴な人の名前は大人になってから付けられることが多いとお婆から聞いたことがある。『大君』も長女を示す言葉で名前では無い。幼名を付けられることもあるそうだけどあの娘の幼名は当分付けられないだろう。
残月は満足そうな笑みを浮かべるが、なんだか妙な違和感を感じた。
「流石でございます」
牛車が止まる。三条から大内裏の入り口までそう遠くなかった。
「それでは、私はご報告がございますから。嵐山殿。また満月の夜に」
「あぁ」
そう言って残月は大内裏の前で降りて行った。門番もいるしこの時間でも働いている者がいることに驚きだ。
一条までの道を牛車で歩いているとふと私は思い出した。
「そう言えば侍従様に文は送ったの?」
「……忘れた……」
もう夜も遅い。晴明もそれを見越してうちに来いと言ったのだろう。気が利くのか効かないのやら。
「文を頂戴。送るわ」
「矢文の術が出来るのか?」
「神に祈らなくても方角さえ合えば送れるわよ」
陽光は少し考えると人差し指に呪力を込め、紙になぞれば墨もないのに光る文字が浮かび上がる。その後程なくして黒くなった。そうやって文を書いていたのか。
「ほら」
文を手渡され、私は灯りの下でそれを読んだ。
『もののけに心まどひし慈雨の宮。あした昼には帰るべからむ』
(慈雨の宮に物の怪が憑いていたが、明日の昼には帰ることが出来るだろう)
「業務連絡?」
「歌にしてるんだから良いだろ」
味気ないにも程がある。
「端に書いても良いかしら」
「……勝手にしろ」
そう言ってそっぽを向いてると拗ねているようにしか見えない。
陽光の術を真似て私は陽光の書いた横にやや小さく一首認める。
書いていると陽光は気になるのか横から覗き見た。
「意味が変わってるじゃんか」
「いいのよ。送るわよ」
私は文を折りたたんで結び、それに妖力を込める。そして出口の御簾から顔を出しては西の方へかぶりを振って投げれば星が流れるように一閃を描いて飛んで行った。
牛を引いていた先導の二人はぎょっとこちらを見ていたのでおほほほと笑って誤魔化しながら中に引っ込んだ。
「あとは侍従様との縁で文が勝手に引き寄せてくれるわ」
「力技か……」
確かに陽光にはできない芸当だ。
「石を投げるくらい容易いことよ」
「お前にとっては、な」
しかし明日嵐山の屋敷では庭の一部に穴が空いたことを知る事になる。
ふりやまぬ心の雨がさうらへど、あすのひるには晴るることならむ