14-6.恵子
母からはわたしがいなければよかった。わたしのせいで兄も忌み子呼ばわりされていると幼い頃から言われていた。
兄がずっと母から庇っていたのが唯一の救いだった。雨が降れば兄は外に出ないから雨が好きだった。
どんなに兄を真似てもわたしはわたしで、時折帰ってくる父はいつもわたしと兄はいつも同じだと言っていたけれど、わたしは兄になれないのに何を言っているのだといつも思った。
それでもわたしが出家されなかったのは、祖父が将来わたしを女御の一人として参内させるためだと知った。
わたしは兄と共に伯父のいる屋敷に引き取られた。
屋敷では言葉足らずの兄がわたしを頼っていてばかりで、嬉しい反面、少し煩わしくもあった。
けれど父が東宮になると、しばらくしてからわたしと兄が揃って親王、内親王として入内することになった。後ろ盾がそう強くないはずの父が東宮になるほどの政治争いがあったらしい。
兄と私が晴れの宮と雨の宮と呼ばれるのはそう遅くなかった。
母と再会すると以前よりも笑うようになった。だけどその分苛烈さが増した。
東宮妃として将来中宮としての地位が確立されたこと、そして兄が親王となっても東宮になることはないことがよほど悔しかったらしい。わたしがいなければ、兄がその世継ぎだったのにと。
わたしと兄が知らないうちに母は一人孕んでいたようだけれど、出産間際に流れてしまったそうだ。それが男子だったことも相まって感情が強くなったらしい。
わたしと兄が猶子に入った後に生まれたらしい妹からは憐憫の目を向けられることが多く、その目に嘲りすらにも見えた。
一度だけ父が内緒でわたしと兄を藤壺に連れて行き、白髪の宮に会わせてくれたことがあった。
忌み子と呼ばれるのがわたしだけでないことに安心したけれど、そう思う己に後になって嫌気がさした。
わたしが斎宮に選ばれたのはただの偶然だ。言われた通りに舞って祈れと言われてやったら本当に雨が降ったから持ち上げられたからに過ぎない。
それがそう何度も続けば、ただの「雨」から「慈雨」と呼ばれるのはそう遅くもなかった。
斎宮に選ばれた時、わたしがわたしを誇れることが出来たのだと思った。嬉しくて母に報告した。これで母に認められると思っていたけれど、「お前のような忌み子がなぜ神に選ばれるのでしょう」とむしろさらに嫌われてしまった。
しっかりした恵子が斎宮になればこの世は安泰だと帝になった父から言われた。なのに母は見送ってくれなかった。
伊勢にいた頃は雨乞いが出来ることについて大して役に立たなかった。どんなに勤めを果たしても、どんなに称賛されても心は晴れなかった。時折父帝に文や歌を書いて送れば、何かが偶然重なったことでもあったのか、何時しかわたしの歌は周りから穿った解釈をされてしまうようになってしまった。
御杖代とはよく言ったものだ。事あるごとにわたしは祀り上げられる。だけど今度は内裏の大火事を予知できなかったことを責められた。
母が死んでからわたしは斎宮から降り、都に戻ることになった。死に顔すら見ることが出来なかったけれど、母の死が男児を産んだためだと知り何処か胸のすく思いがあった。
数年ぶりに烏帽子を被る兄と対面した時、もう兄はかつてのようにわたしを頼ることはないのだと実感した。
一度斎宮になれば一生独り身だと思っていたのに、帝が縁談を持ち出した。当代で源氏になったという二回り近く年の離れた中納言だった。兄の勧めもあって受けることになった。
いつか新しい家族と幸せな家庭をと思ったほのかな思いを打ち消すくらいにはその生活は良いものではなかった。
母を亡くしたばかりの娘に、妻を亡くしたばかりの夫を宛がわれて、自分と五つしか歳の差が変わらない夫の娘からは母のいた場所を取られたと毛嫌いされ、ほどなくして生まれたのが息子だと知れば、夫の息子は己の立場を案じ、やたらと媚を売ったり左大臣の紹介して欲しいとごまをすったりとお伺いを立てられ、それを夫はわたしが息子と密通をしていると勘違いする始末。
家では息苦しくて、伯父に頼んで宮中に仕えるようになれば、わたしにすり寄る人も出てきたけれど、反面「実の娘なのに」と己が帝に見初められない理由にされてしまった。
娘が生まれてしばらくしてた頃に兄が屋敷に訪れた。
「雨、元気か?」
久しぶりに対面した兄は顔色が悪く、後日同じく私の様子を見に来た左大臣に兄についてそれとなく聞けば「一ノ宮は素直過ぎる。何でもかんでも自分でやろうとする」と言われ、当の兄は「私は不出来だったのだろう」と言う。昔母から言い捨てられた言葉が脳裏に過った。
――お前も晴れの宮ようになっていれば。
母から嫌われていたことも分かっていた。認められるために努力してきたのにそれでも兄の方が良いという母。兄の方がずっと優秀であったのなら許せたのに、今更ながら母への怒りが湧き出てきた。
母に恨み事を言おうにも、母はもうここにはいない。何も気づかなかった父にもこの怒りをぶつけることはできない。
「帰ってください。もう二度と顔を見せに来ないで……!」
兄がわたしを気にかけてくれていたことは分かっていたのに、わたしは母に甘やかされていた不出来な兄が許せなくなっていた。
夜泣きが激しい娘はわたしが抱かなければいつも泣いていた。乳母一人だけでは負担となり、わたしも娘に構ってばかりになると夫からは冷たいと言われてしまう。
「夫に不義を疑われ、かと思えば冷たいだなんて、わたしはなにも信じられなくなります……!」
そして夫は屋敷に帰らなくなり、とうとう瘴気に当てられて亡くなってしまった。風の噂ではよそで側妻を作っていたと聞いた。
葬儀では大勢の人が見送った。慕う者が多くいたのだろう。わたしにはそんな甲斐性も無かったのに。
すすり泣く声が聞こえる中、わたしは歌を詠んだ。
けれど疲労で乾いた心は涙を流す余裕もなかった。顔色の悪さを化粧で誤魔化すことで精一杯だった。
「母上?」
涙を溜めては五つの息子がわたしの衣の裾を引きながら言う。
「吉松、こんなところにいたのですか……?」
「僕はずっとここにいましたよ?」
舌足らずの息子に対し、わたしは一体なんと言ったのだろう。それに気づいた時、周りにいた者達はひそひそと何やら囁いていた。
「母上?」
自分が今、悲しんでいるのか、喜んでいるのかすらも分からなかった。
母が亡くなった時もわたしは涙一つこぼしはしなかった。こらえもしなかった。そして今も亡くした夫に涙を流すことが出来ずにいる。
詠んだ自分の歌ですら中身のない空っぽなものに思えた。賞賛賛美の声が皮肉にすら聞こえて耳をふさぎたくなった。
そこで私の中で糸が切れた。
何するにも億劫となった。
誰かから文が来ているらしい。だがそれを手に取ることすらできない。
女房からは庭に出ないかと提案されたがそれすら乗り気がしなかった。
「お辛そうですね」
辛いのかしら。なにもやる気が起きないのです。不甲斐ない己が許せなくて、恨めしいのに、体が思うように動かない。
もう立場も役目も何もいらない。消えてなくなってしまいたい。
「これはお守りです。辛い時にそれを開けるといい。開けたらその願いが救われることでしょう」
四十九日までまだ先なのに女房が呼んだらしい僧侶が渡してきた箱があった。それでも封じているようにしか見えない呪符といい、気味が悪くて捨てた。
だけどそれから幾度とわたしの目に付く場所に置かれており、わたしは術師を呼んだ。どの術師も見えないと言う。女房たちもわたしに近寄ることも減った。
愚かな一面を見せてしまったせいだろうか。わたしが間違っているのか。そう考えていると箱が隣にある。
願いが叶う箱なんて本当だろうかなんて疑っていたのに、藁も縋る思いでわたしは渡されたその箱の蓋を開けたのだ。
うつくしむ、雨をなにどもふらすれど、いのるとも君かへりこぬかな