14-4.礼羅
牛車はガラガラと大きな音を立てて三条まで向かう。
その間に晴明の式神がひょっこりと御簾の隙間から入り込んできた。
『陽光、文を見たよ』
「晴明殿」
『こちらでも三条源氏の屋敷から物の怪の類が現れたと報告を受けた。生憎私は陛下のお傍から離れられないから他の術師を寄こす』
「分かりました。それと――」
陽光は文を送った後の話を晴明に伝える。一ノ宮が慈雨の宮への呪詛を無意識に肩代わりしていたこと、それを残月が魂の繋がりを一時的に切り、その上で陽光が禊をしたこと。残月がどうして陽光のところにいるのかは聞かなかったけれど右大臣が気にしていることは聞いていたのかもしれない。
『話は分かった。ところでそちらの童女は――』
言い切る前に式神を燃やしてやる。陽光は呆れた顔をしていたけど何も言わなかった。
大君は式神とのやり取りも気にせず黙って外の景色を見ていた。先程まで泣きじゃくっていたのに切り替えが早い。
「ねぇ、そこの貴女。どうして自分の伯父が母の呪詛を受けていると分かったのかしら」
大君は一番上の娘を指す。この年で名前が無いのは知っているけれど、あまり役目で呼ぶのは好きじゃない。
〈かか様の周りには黒い糸があって、それを伯父様が吸い取ってたのが見えたの〉
「普段からそうだったのか?」
陽光が問う。
〈かか様が帰ってくる時はいつも黒い糸を多く巻き付けて来るの。でもとと様がお亡くなりになってからはその糸が太くなって……〉
子供ながらに悪いものだと察していたのだろうか。そしてそれを一ノ宮が吸い取っていた。だけどそれは一ノ宮だけでは手に負えないことが分かっていた。
女の亡霊の正体は分かったけれど、黒い箱がなぜ慈雨の宮にしか見えなかったのか、無意識とはいえなぜ一ノ宮が慈雨の宮の呪詛の肩代わりをしていたのか、慈雨の宮に呪詛をかけていた相手が誰なのか分からないまま、私達は敵の根城に向かっている。
こちらは緊迫した状況なのに牛車の外は市居の人々が何の気なしに生活している。
私はお婆に妖術を教えてもらってはいたけど、こうした本物の呪いと対峙したことはなかった。陽光と出会ったばかりの時は勢いに任せていたけれど今私は陽光の式神としてこの仕事を全うしないといけない。
そんな自分が不安だと気付いたのは、陽光がその場で私の手を握ってきたからだった。
『力を補うから手を貸せ』
陽光と触れている個所から私の妖力が減っていくのが分かる。何回か術を使っただけでもうそんなに魔力と妖力の差が出てしまうのか。それとも先程の失敗に終わったと思われる技がかなり妖力が消費されるものだったのだろうか。
私自身の妖力が全て持っていかれないよう、呼吸を整え身の内の竈に火を熾せば、身の内が徐々に温まっていくのを感じ、陽光から魔力を貰う事でようやく安定している。
『怖いのか?』
『……いいえ』
ようやく落ち着いてきたのにその物言いが煽っているように感じて思わず否定した。
だけど触れる面を増やすために互いの指を絡める。握った手は少しだけ湿っていた。
―――
三条の屋敷に着いた途端大君の生霊はすぐに消えてしまった。元の身体に戻ったのだろう。
屋敷の中は邪気に満ち溢れていて、女房の何かを急くような声が聞こえた。時折私達に目もくれず色んな人が必死に何かを探しているようだった。
下人が中に上がらせようとしたけれど「沓を脱ぐ時間も惜しい」と陽光が言ったので庭から回り込むことになった。
慈雨の宮がいる離まで玉砂利の道を案内されるけど、不慣れな下人が鬼気迫る表情の陽光におっかなびっくりな様子で小股で歩こうとするからその様子に陽光は更に苛立っていた。
「あぁ、遅い!そうビビりながら案内すんな!」
「で、ですが……」
「邪気が怖いならすでに魔除の札を渡してるだろう!」
「怖いのは邪気ではなく貴方の顔でしょう」
下人はこくこくと頷いた。陽光は一瞬傷付いたような顔をしたが事実だ。そう不機嫌な顔をすれば見た目がどうあれ怖いものは怖い。
しかしこの状況ではある程度慣れてる人でないと成り立たない。誰かいないのか周囲を見ると、ちょうど東の離に向かう透渡殿を歩く(おそらく本人は頑張って急いでいる)藍の君が見えた。以前この屋敷に来た時に案内してくれた慈雨の宮の女房だ。
「あれは藍の君……!」
「あぁ、あなたは、嵐山の……!」
思わず呼び止めると向こうも気付いたのかはっと振り向く。陽光も相手が誰なのか気付いたようで、一緒に隙渡殿まで駆け寄る。藍の君は緊張が解けたのか知らないが目じりに涙が浮かんでいるのが見えた。よほど不安だったようだ。
「慈雨の宮が呼んでいると聞いて来た。慈雨の宮は?」
藍の君は扇を構え直す。
「信じられるかは分かりませぬが、宮様がいつの間にか神隠しにあわれたように一瞬で消えてしまったのです!わたくしは宮様を探している最中でございました」
「消えた!?」
まるで神隠しのようだ。屋敷の人間が慌てるのも無理はない。私は欄干に身を乗り出そうとしたら陽光に襟を引っ張られて止められた。
「馬鹿、相手は初対面だ!」
「あ……」
前は惟也に化けていたことを忘れていた。
「うちの式神がすまない」
「い、いいえ。……彼女が狐ですか……?」
尻尾は見えないけど耳は出ているのだ。疑うとは失礼な。
「人探しは出来るはずだ。慈雨の宮の髪の毛はないか。一本あればいいんだが」
「……少々お待ちください」
私達も北の対まで向かう。ちなみに下人は置いて行った。