14-3.残月
「どういう、つもりだ有明」
それはこちらの台詞だった。その場に頼めそうな侍従がいなかったのもあるだろうが、周囲に下人は多くいたのだから呼ぶなり出来ただろうに。夜半の君がいるとはいえ危険な場所に主を先に行かせるなんて普通ならあり得ない。
合理性を良しとする主はきっと「お前が動かなければ俺がそう指示していた」と言うだろうが、自らそう動いたのはこの男が自分の主に何か言わないかを気にしているからであることは分かっていた。
だがこの男が言うのはそういうことではない。
「あの御方が自他共に恨まれやすい性格である事は貴方も想像が着くでしょう」
慈雨の宮は今回こそ無礼とも取れる行動が目に触れたけれど、本来は品行方正で且つ自分の周囲もそうであれと押し付けるような言動をする御方だ。
それ故後宮では厳しすぎる、恥をかかされたと他の女官から逆恨みされることが多いと噂を聞いていた。母である中宮も気性が激しい一面があったらしく、その性格が似たのだろうと思われる。
後ろ指さされても面では毅然とした態度でいるものの、その内側では自分の生まれも相まって自己を嫌う一面があることは幼い頃既に知っていた。
「そうだ……雨は繊細だ。だから……」
「妹君のことで冷静を失うのは相変わらずですか。快晴の宮」
双子という事情を持つのに斎宮に選ばれてしまった女だ。内親王ということもあり元は従兄弟である皇子に嫁ぐ予定だったが、十歳のころ卜占で神に見初められてしまったせいで、引き離され兄はさらに妹への執着心が強まってしまった。
それを一ノ宮本人も分かっているのだろう、母の死によって都に戻ってきた彼女が中納言へ嫁ぐことに対して何も反論することは無かったという。しかし先ほどの大君の顔を見た途端さらにあの頃の想いが募ったに違いない。
「……その名を呼ぶのはやめてくれ」
雲一つない晴れ。それは本人にとってあまりにもまぶしい名だ。それが己に似つかわしくないと思う自信のなさは誰かと性格がよく似ている。
「私も貴方様にその名で呼ばれるのはあまり好ましくないのですが」
「……有明は天の名だからか」
「……」
この沈黙は肯定だ。そして従兄弟を名乗る者への不満か恨みの意思表示だった。
「夜明けは今、暁の宮がいらっしゃるし、あの女房も夜半と呼ばれていただろう」
一ノ宮は言う。楽になってきたのか徐々に饒舌になってきたようだ。
「慈雨」「斜陽」「天弓」「霞」など、皇子達はそれぞれ天候や空の色の名を呼ばれることが往々にしてあった。この一ノ宮もかつては「慈雨」と対になる「快晴」の名があった。自分の主なら嵐山から取ってそのまま「嵐」か、それとも「晴嵐」か「青嵐」だろうか。
天の名を連想させたくないから故郷で呼ばれていた沈みかけの月を名乗っているのに、それすら忌み名だと勘違いし周りに便乗して有明と呼ぶ者の多いこと多いこと。
「嵐山殿の気まぐれと、偶然が重なった結果です。天の名があることなぞあの方には教えておりませんから」
「なら……知らないのか。その話も」
その噂があるからこそ自分を従兄弟と呼んだ男だ。
初めは何とも思わなかったが、成長するにつれて嫌悪感が湧いていたことは否定できない。そんな相手に肩を貸す真似をしているこの状況は妙な心地だ。
事情を知っている相手だからか、自分も少しだけ口が滑ってしまう。
「あの方は私が話したことしか知り得ませんよ」
懐きこそしないものの、我が主は自分の伝えたことを偽りと思わず素直に聞き学んでいた。やたら飲み込みが早いから天文博士から学んでいたのだろうかとそれとなく聞いたことがあったが、陰陽と暦にしか興味がない半妖は術のこと以外は何も教えたことがないという。
そして「元から知っていたのかもしれないね」と言っていたのが妙に引っかかったけれど。
「信頼、されているんだな……」
「もう少し私を疑っても良いと思うのですがねぇ」