人生には何の役にも立たない知識・思考をつらつらと書くエッセイ集
猫はカギを開け、人は奴隷になる。
昭和の頃は今ほど動物病院もなく、猫の去勢というものはまだまだ知名度が低かったので、行わない家庭の方が多い頃でした。また庭や窓から猫が簡単に外に行けるような家が多くあり、そのためいつの間にか生まれてしまった子猫の引き取り手を探して近所で飼い主を探すというパターンはよくありました。この辺の倫理観については古い話なので、気になる方もどうぞお目こぼしいただければと思います。
これは私が子供の頃に飼っていた、ある猫の話である。
彼(彼というのはその猫の事だ)は、知人の家で生まれた子猫の一人で、飼い主は里親を探していた。我が家は飼っていた先代の猫が病気で亡くなってちょうど1年ほど経った頃だったので、私の希望もあり手を挙げることにした。
彼の母親は野良猫だったのを知人が餌付けして家に移り住んだらしく、詳しい事は知らないが、母猫はなかなか肝が据わった傑物であったらしい。その、子の一匹を我が家はもらい受けた。
さて、先年に天に旅立った先代はとても大人しい性格で、外に出た際にどこかで喧嘩に巻き込まれた事でケガをして、それが遠因で早くに亡くなったのだったが、今回新たな家族になった彼は非常にやんちゃで、1歳にもならないうちから家じゅうの家具や柱に爪を立てまくり、暇さえあれば狭い我が家を駆け回っているような子だった。
なので我々も先猫の時と随分勝手が違って、戸惑ったり困ったりしていたものだ。
といって彼は頭が悪いかというとむしろ逆で、トイレなどはすぐに覚えてくれたように記憶している。また、抱き上げて膝に乗せると「仕方ねえなあ」という顔をして十数秒ほどは付き合ってくれるのだが、飽きるとピンと立ち上がり、こちらをほうっておいてまた駆け回りだすツンデレであった。おっと、この場合デレツンの方が正しいのだろうか。
彼はキジトラ、いわゆる黒とこげ茶の縞模様のトラ柄で、腹と足の先は真っ白になっており、まるでスーツにワイシャツ、白い手袋と靴下を履いたような恰好だと思ったものだ。
「うちの子は白い手袋と靴下を毎日付けていて、行儀がいいねえ」
というのがわが母の口癖だった。
実際には走り回ってはいろんなものを倒したり引っかいたりするやんちゃ坊主だったので行儀が良いとはお世辞にも言えなかったのだが、ふとした立ち居振る舞いは凛としていて立ち姿にも妙な貫禄があったので、そこだけ見れば上品というか出来る人(猫)にも見えたとはいえようか。
ところで、私とその家族がそのころ住んでいた住居というのはそのころでさえ相当築年数も経った文化住宅と呼ばれる、アパートと呼ばれるものよりもさらにボロっとした建物であった。昭和フォークの名曲・神田川や、村下孝蔵(※1)の踊り子という歌に出てくる主人公が住めば似合うであろうような建物である。
現代の住宅事情に慣れた方には想像もつかないであろうが、その古さというのは中々のものだった。
例えば窓もアルミサッシではなくすべて木の枠の窓。窓のカギはネジ締まり錠(※2)と呼ばれる長い棒がぶら下がった古風なもの。
しかもトイレの洗面所の窓はネジが緩んでグラグラしており、ねじは閉まらねど棒を突っ込んであるので一応引っかかって開かないよ、というありさま。窓枠の外にはアルミの柵が申し訳程度に付いていた。
まあ柵を無理やり外されても大人が通り抜けるには小さい窓で、こんなボロアパートに盗人も来ないだろうとその錠はそのままにされていた。
おいおい、そもそもそんなアパートで猫なんか飼っていいのかい、大家に怒られるだろうと突っ込みがされそうなものである。
だが、何せその安アパートの大家さんは鷹揚で、大家さんの自宅の真ん前に住む住人が堂々と柴犬なんかを飼っていて、悪びれもせず玄関前で体を洗ったりしていたが注意されなかったくらいである。犬猫の一匹くらいは良いだろうと目こぼししてくれていたようだった。古き良き(?)時代である。
さて、彼(もちろん件の猫の話だ)は外に遊びに行くのがとても好きで、1歳を超えるころからだったろうか、換気のためにまま、開けられていた洗面の小さな窓からあの猫の柔らかな体躯を上手に使い、するりと窓を抜け外のアルミ柵を通り抜けて遊びに行くのが常であった。
大抵は開いているとはいえ、季節によっては閉めてある事もある。それでも外に出たい彼はそのうち、窓を開けるように要求するようになった。洗面の窓の下に来てにゃあにゃあと彼が鳴く。そうすると家族は「ハイハイ」と言って窓を開けた。私が(ほとんど止まっていない)ネジ締まり錠をクルと回し緩めて、カランとぶら下げる。そして窓を横に滑らせ開けてあげる。そうすると彼は満足そうに飛び上がって、お出かけをしに行くのであった。
出て行ったという事は帰ってくる。私も家族も彼が帰ってくるには窓が開いていないといけないとは思っていたが、夏はともかく冬の盛りの古家においては扉や窓が閉まっていないと隙間風が入ってきてとても耐えられない。だから風でガタガタしないようしっかり(でもない)鍵もかけて窓を閉めていた場合もあった。
すると彼は、窓枠をカリカリと爪で引っかきながらにゃあと鳴いて、我々に帰宅を伝え窓を開けろと訴えた。そうすると家族はまた「ハイハイ」といって窓を開けに行くのだった。
そういう儀礼がもはや当たり前となっていた、彼の年齢が3歳か4歳を超えたころだったろうか。
私が帰宅の挨拶代わりに彼の頭を撫でた後、テレビの前で一人で好きな本を読んでいると、洗面の方からカチャカチャという不思議な音が聞こえてきた。金属がこすれる音である。親は仕事でいないのに不思議である。いったい何の音だろうと洗面を除くと……
なんと、窓の木枠に上手に爪を立てて体を安定させ、まるでボルダリング(※3)の選手のようになった彼が、元々緩んでいた洗面のネジ締まり錠を口で引っ張ったり揺すったりしていたのだ。そして彼がひとしきりカギをガチャガチャしているうちに、カランと鍵がぶら下がった。
緩んでしっかり閉まらないとはいえ、なんと彼は錠を開けてしまったのである。驚いている私をしり目に、今度は彼は例の白手袋(前足)の爪でガリガリと窓枠を引っかく。その力でほんの少しだけ窓が動くと、その数ミリの隙間に鼻を突っ込み、ぐっと押し開いた。ついに彼は見事に窓を開けて、するりと体をくねらせると散歩に出かけたのだった。
なんとまあ、賢い事である。彼は人間がネジを回して棒を引っ張り出し、それによって窓が開けられるようになることを何度も見ているうちに、自分でも出来るのではと思い立ったのだ。そしてそれを実行し、みごと成し遂げてしまった。
それ以来、窓のカギはほぼ用をなさなくなった。家族が仕事や学校に行って誰もいない間に、彼は鍵を開けて出かけてしまうのだから、お出かけに制限を掛けようとしても防ぎようがない。
しかもさらに驚くことに、彼は外から帰ってきた時も爪を引っかけ扉を何度も揺らしてカタカタしているうちに、突っ込んだだけの錠が緩んでカランと開くことを発見してしまったのだ。
今までは、カギが締まっていたら人間に開けさせるためににゃあにゃあと呼びつけて開けさせていたのだが、それでは誰も不在の時は帰れない。彼は「グラグラしてるからなんとかなるんじゃね?」とばかりに窓をガチャガチャしているうちに窓が開くのを発見したのである。
ついに彼は、人間などに頼らずとも家に自由自在に出入り出来る、専用の玄関を手に入れたのだ。
こうなっては、我々は彼を飼っているのか、それとも彼が我々に飼われてやっているのか分からない状態(※4)になった。つまり主人は彼で、我々は食い物と温かい場所を提供する奴隷となり下がったのだ。
しかもそのうち、今度は餌も食べに帰ってこないまま、一日二日、さらには数日ほど外出したままになる事も出てきた。といって例えば先猫のように他の猫と喧嘩してけがをして帰ってくる、というような事は全くなかったので、心配しつつも彼の生きる強さを信頼というか、むしろ半ば諦めて自由にさせていたのだった。
頻繁に何日も帰ってこない事を今思いかえせば、賢い彼の事だから、「飼い猫」の立場を複数の家で構築していたのかもしれない。何せ、たまに帰ってきてもやせ細った感じは全くなく、毛並みもいつも良かったからだ。
そんな彼も、我が家に帰ってきた時は、これまた手で動かし頭でぐいと押し開けたであろう押し入れのふすまの奥の、重ねてしまわれた敷布団の上にちょこんと座っていてはにゃあと鳴き、今日は俺は帰っているぞと、学校から帰宅した私にあいさつをしてくれたものだった。
そうしたら、私はご飯を器に入れて彼に差しだし、彼は押し入れから出てくると「実によろしい」というような顔をして、それにありつくのだった。
彼が生きていたのは昔の事で、もう既に鬼籍に入って(※5)しまったが、おそらくあの世でもいつもの調子で元気にやっているに違いない。とても賢く強い彼は、今も私の記憶の中にいる。
(※1)村下孝蔵
ニコニコ笑う某日本独自動画サイトにて、実力のある歌手としてフォーク界の名歌手とうたわれた人物。歌唱力だけでなく、作詩、ギター技術なども高水準。見た目は部長。
本文中の踊り子のギター弾き語り動画は一見一聴の価値あり。代表曲の初恋(色んな歌手に何度もカバーされている)や、アニメめぞん一刻のOP曲になった陽だまりもお勧め。
(※2)ネジ締まり錠
作られたのは大正時代と言われている、木の引き戸が多い日本家屋独自の錠システム。昭和30年代くらいまでは頻繁に作られていたとされるが、アルミサッシの登場により取って代わられたとされる。窓の縦枠中央にねじ穴を切り、そこに棒状のカギを差し込み、ねじ止める事で奥と手前の窓を固定するようになっている。
(※3)ボルダリング
壁に様々な突起物をつけ、それをつかんでは上に登る競技である。東京五輪で正式種目になったので見たことがある方もいるだろう。ちなみに日本人はボルダリングに強く、世界ランクの上位には日本人が何人もいる。元はロッククライミングから派生して始まったそうであるが、今や独立した競技になった。もちろん、昭和の時代にはボルダリングという競技自体が無い。
(※4)我々が彼を飼っているのか、それとも彼が我々に飼われてやっているのか
猫を飼っているはずの飼い主側がよく陥る境地である。
餌が欲しいとにゃあと鳴かれ、トイレが汚いとにゃあと鳴かれ、ハイハイ分かりましたとお世話をし、しかもこちらが撫でたいときには撫でさせてくれずそっぽを向かれ、猫の手も借りたいほど忙しい時に限って遊んでくれとすり寄ってきて作業の邪魔をする。そんな時、飼い主と呼ばれる者は自分が猫の奴隷になっている事に気付くのである。
(※5)鬼籍に入って
鬼籍とは、死者の名や死亡年月日などを記す帳面。過去帳。仏教において閻魔大王が管理している閻魔帳の事とも。転じて、人が亡くなった事を「鬼籍に入る」と表現する。ちなみに入ると書いて「いる」と読むそうだが、それを知ってからも筆者はなかなか慣れずにすぐ「はいる」と読んでしまう。