43話 馬車の中で
「……」
「……」
なんてことを言ってしまったのだろう。
頭に血が上っていたからといって時と場所がある。いいえ、一生言ってはいけない言葉だったはずだ。
冷静さが戻ってきて事の重大さに頭を抱えたくなる。
皇帝陛下の視線がこちらに向けられている。暫し沈黙の後、するりと先へ足を進めた。なかったことにしてくれるだろうか。どちらにしても殿下付きの侍女職は本日限りのような気もする。越権行為にもほどがあるもの。
「……申しわ」
「だめ」
殿下から腕を外そうとすると力を入れられて抜けなかった。
しかも軽くお断りまでされる。
恥ずかしくて仕様もない。逃げ出したくて仕方なかった。
「ねえソミア、それって」
言いかけて殿下は言葉を止めた。呆気に取られているとはいえ多くの令嬢を前にしている。
恥ずかしさもあったけど気になってちらりと覗き見ると口元を片手で抑えて目元を赤くする殿下が見えた。
「おい」
アチェンディーテ公爵がこちらに向かって声をかけ、それに応じるように殿下が頷いた。
一瞬で顔つきを変えた。皇族としての顔だ。動揺が見られた目元はしっかり強さを放っている。
「では私達は失礼を」
「殿下」
「ソミアも来ないとだめ」
残ろうとする私を小さく制した。他の令嬢に聞こえないように配慮までしてくれている。
「父上の話が終わったら覚悟しててよ?」
「っ……」
その後の事は恥ずかしさにあまり記憶がない。突然の皇帝陛下の登場に驚いた周囲は私の発言を忘れてくれたようで運がよかったと言える。
予定通りなのだろうか、アチェンディーテ公爵の帝国入りや殿下が皇太子としての所信表明と同時に帝国の筆頭宰相になったことが報告される。このあたりは周知の事実だからか、なんなく受け入れられ社交界は穏やかな空気の元再開された。
「ソミア」
「殿下、御挨拶は」
「そんなのどうでもいいよ」
あらかた終わってるしと急ぐように早い足取りで会場を後にして馬車に乗り込んだ。どうやら帝国にすぐにでも戻りたいらしい。
馬車に乗ると誰もいないからか再び口元に手を当てて、あれってうわあと独り言が囁かれる。
「殿下、失言でした。忘れて下さい」
「無理だよ!」
ソミアが焼きもちやいてくれたんだよ!?
興奮気味に前のめりになって語ってくる。隣に座っているのだから、これ以上近づかれても困るのだけど。
「ねえ、あれって、その、オッケーってことだよね?」
「……」
「ねえソミア応えて」
皇帝陛下にまで聞かれてしまった私の発言はもう撤回できない所まできていた。皇帝陛下に失職を言い渡される前に想いを全て伝えてしまうのもありだろうと思えてしまう。
言い切って別れるなら、それはそれですっきりしそうだなと。
それにも抗えないところに来てしまっている。浅く息を吐いた。
「……ええ、そうです」
「ソミア」
「殿下が、好きです」
もうずっと前から。
分不相応だと言い聞かせて、それでも隣が良くてずるずる一緒にいた。全然諦められないままだ。
抗えないのだって随分前からで情けない姿しか晒していない。
「側にずっといたいと、特別でありたいと欲張るようになってしまって」
「いいんだよ」
そういうのもっと言ってと殿下が笑う。
「ねえソミア、それって結婚してくれるってこと?」
「……したくないと言えば嘘になります」
よかったあと殿下が胸を撫で下ろした。側にいて独占できるのが結婚なら、その選択を掴みたい。
「実は周りには婚約者って体で伝えてたんだよね~」
「え?」
「え?」
今なんて言った? すごく真面目に対面していたのに、この人今なんて? え?
「この外遊で、ですか?」
「うん、各国の皆様に婚約者ですって伝えたよ」
「婚約者」
「そうそう」
確かに隣に並ばせていれば当然そう見られる可能性はあると思っていたし、パートナーということで紹介されていた。でもそれが婚約者という意味だとは思ってもみなかったわけで。
ということは私を連れ立つ前に言っていたのね? だから部屋が大概夫婦仕様になっていたわけ。
「父上もいいって」
「皇帝陛下が?」
「うん。僕たちの結婚了承もらってるんだ~」
挨拶の一つもしていないのに、どこで了承がでるの。たとえうまいこと許してくれていたとしても、なんで私のあずかり知らぬところで決まっているのよ。
「……殿下」
「怒らないでよ~」
笑って誤魔化そうとしないで欲しい。
でも待って、そう伝わっているのにあの御令嬢たちは殿下に言い寄っていたというの? タフすぎない?
「……ああ、もう」
なんだか一気に疲れてしまった。
すると殿下が私の頭に手を触れ、そのまま殿下の方へ引き寄せる。
「でん、」
「疲れたでしょ? 寝ていいよ」
「それは」
「明日きちんと言うから」
「何を」
思っていた以上に疲れていたらしい。抗えない眠気がじわりとせり上がってきた。
「明日ソミアに結婚の申込みするね」
「そんなこと」
「兄上もやり直ししたって言ってたし見習わないと」
そういうところは別に見習わなくてもよいのでは?
そう言おうと思った頃に私は意識を手放してしまっていた。最後の最後で大きなことをしでかしてくるんだから本当困った人ね。




