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私が家を建てるまで  作者: 二糸生 昌子(にしお しょうこ) 
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私が家を建てるまで

兄がこんな気遣いを見せたのは、初めてのことだ

しかし、この1万円はどうしたのだろう?

兄が3千円以上のお金を思っているところは記憶にない。

もちろん鉄塔旅に出るときは別だと思うが。まさか親の財布から抜き取った?

500mlの缶ビール10本と、スルメと柿の種、焼き鳥の缶詰などを買い込み

部屋に戻った。

「一都、今夜はめでたいから、ガンガン飲もう!」

一都と八子は6歳離れている。けれど八子たち兄弟はお互いを名前で呼ぶ。

母にはそのことで随分叱られたが、八子たち4人兄弟は、せっかく名前がついているのに

誰だかわからないお兄ちゃんお姉ちゃんなんて呼びたくないと頑張った。

それを父が喜んだ。そうだ、自分の傑作である名前で呼び合ってくれと。

滅多に当たることがないスポットライトに父が照らし出される瞬間がここにあった。

「あらあ、一都さんとおっしゃるの?、へえ、一の都と書くんですか?

どんな意味が込められているんですか?都を作る・・・おやおやそれは素晴らしい

お名前ですね」

そして八子たちがお互いを名前で呼び合うのは、この名前をつけた父親への

尊敬と感謝の気持ちであると父親は勝手な解釈していた。

母は受け入れざるを得なくなり、次第に何も言わなくなった。

名前で呼び合う兄弟たちは、仲が良さそうだが、八子は

この長男に親しみを感じたことは一度もなかった。

兄は家族とほとんど口をきかなかったからだ。

それが、今日こんなにしゃべっているなんて!

「でどんな人と結婚するの?」

「いい人だよ」

「いい人なんだね。それで、どんな感じの人?芸能人で言ったら誰似?」

「さあ」

「そうだね、一都はテレビをあまり観ないから、わからないよね」

「明日 初めて会うんだ」

八子はビールを気管に入れ、危うく窒息死するところだった。

「に、兄さん」

敢えて兄さんと呼ぼう。一都は来年30歳だ。

4人兄弟の一番上を生きていることを思い出させなくちゃ。私たち兄弟は何年もの間

一都が長男であることを無視し続けていたことを反省し、

嫌い続けてきた一般常識というものにすがりたくなった。

「どういうこと?一度も会ったことがない人と結婚したいだなんて!」

「会った事はないけど、付き合ってきた」

「会わないで付き合うって、まさかネットで?」

「うん」

「ネットなんて、いくらだって嘘が言えるし、だいたいお互いの顔を見てないなんて

おかしいでしょう?」

「5年付き合ってきたんだ」

ご・・・5年! いやいや、それにしたってだ。いや、なおさらだ。

その期間、相手の顔を見ないでいられるなんて。顔を見てわかることも多いのだ。

「6年前、雑誌で鉄塔好きの特集が組まれたとき、僕の鉄塔の写真が使われたんだ」

え?一都の写真が雑誌に載った?

「マイナーな雑誌だけど、それから定期的に僕の写真が使われるようになって、

その頃、僕の写真のファンだという彼女から手紙が送られてきた」

それから文通が始まった。

「よく和枝に見つからなかったわね」和枝とは母である。

八子たちは、陰で母親を呼び捨てにしていた。

「局留めにしていたからさ」

二人は毎週のように手紙を出し合った。二人の間に交わされたのは、

美しい鉄塔の写真とダムの写真。彼女は、ダムのファンだという。

二人は約束をした。手紙に嘘は書かないこと。そして、いつか

本当に出会うまで、お互いの顔を見ないでおきましょうと。

一都は驚くべきロマンチストなのか?

いくら真実だけを書くと言ったって、文章にしてゆく際にはどうしたって

脚色は入るだろうし、生の感情は伝わりにくい。

5年とはいえ手紙だけの付き合は、現実的ではない。

「実際に付き合っているカップルっだってさあ、相手のことがわかって結婚

しているとは限らないよなあ」

「それはそうだけど・・・その人がとんでもないブスだったらどうするの?」

「ブス?」

その疑いを持った事はないのか?

写真の交換をやめようなんていうのは、ブスだからに決まっている。

どっちが言い出した事なのかわからないが。

だが、一都だって男前というわけではないから、写真だけを見たら

多くの女性たちは魅力を感じないかもしれない。

「これ、どう思う?」

一都は袋からカーキのジャケットとパンツ、白い綿シャツを取り出した。

「明日結婚を申し込むから」

新しいのを買ってきたんだ。いつも母親のお仕着せで、まるで中学生のような格好で歩いている一都が

自分の好みの服を買ってきた。驚きと感動が八子に押し寄せたが、いや、待てと。

初めてのお使いレベルの話ではなく、もっと肝心な・・・

「仕事も決めた」

「決めた?」

「今までにも、ちょこちょこっとマニアに向けた雑誌にコラムを書いてきたので、

そっちの方に行こうと思うんだ。 今日、二社と契約してきたところ。

あ、こっちは案外メジャーな雑誌だよ。それから僕の雑誌を作りたいんで、

出版社を作ろうと思っているんだ」

つい今の今まで、一都をニートと思っていた。

家族との会話は非常に少なく、ほとんど無言だったと言っても嘘にはならない暮らしを送ってきた一都。

社会性ゼロだと思っていた一都が、雑誌に写真を投稿したり、コラムを書いたりしていたとは。

あの1万円は親の財布から抜き取ったものではなかったのだ。

「それにしても、雑誌社を作るなんてすごいわ。でも資金はどうするの?」

「雑誌社は資金がなくても作れるんだ。それでもお金は何かとあったほうがいいね」

「そうよ。場所だって借りなければならないし」

「今貯金が600万円あるから、これで安いところを借りようと思っている」

一都はコラムの原稿料の他に、小さい頃からのお年玉や小遣い、こっそりやったバイトなどの

報酬を貯めてきたのだという。

この話は十三には知られないようにしなくてはね。

「そうだ。あいつはタカリ屋だからな」

一都は買ってきたばかりの綿シャツと、カーキのパンツに着替え、

同じくカーキのジャケットを羽織って見せた。

その色合いと、余計な線の一切を省いたシンプルなデザインから、

一都に大人の雰囲気が生まれた。

「一都、センスいいよ」

「勝負は明日!」

「頑張れ一都」

「で、今夜泊めてくれる?」

「わかってるって!家からじゃあ出られないものね。 

だけど、布団がないから、座布団で寝てね」

このことを知ったら、和枝は狂ったように騒ぐだろう。

八子と、十三と、七世は一都のことを和枝の一人息子と呼んでいた。

和枝は一都を溺愛し、いつまでも一人前にならないで困ると言いながら、

一都の独り立ちを阻んできた。

その一都が今、まるで火山が爆発してマグマが噴き出すような勢いで、独立を図っているのだ。

一都は鉄塔界堂々の王者、比類なき美を誇る東京タワーでプロポーズを決めるとか。

翌日は晴れ渡り、とても梅雨とは思えない高い空に爽やかな風が吹いていた。

一都の門出を空が祝っているようだと八子は思った。

「きっと成功するって、空が言っているわ」

「ありがとう」

それは一都のプロポーズだけではなく、彼の人生の成功への言葉だった。

一都の気負いのない落ち着いた決意が、そう思わせるのかもしれない。


「じゃあ、行って来る」

「行ってらっしゃい」

こっそり跡をつけてみたかったが、八子を信頼して頼ってくれた一都を尊重して、見送った。

一都、29歳にして、初めての恋が実る・・・本当に初めてなのか?

実際にコラムを書いていることを隠し通して来たし、手紙を局留めにする知恵者だ。

抜け目なく女子と遊んでいたのではないだろうか?

この男は、浮気をしても生涯隠し通して墓場まで持って行くタイプかもしれない。

などと考えながら、ボロアパートの窓から見送る八子に一都は振り返って手を振った。

いい男だな。不意に八子はそう思った。




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