私が家を建てるまで
金が無いですって?
今日の食事に誘ったのは司だよね!
「今日は是非君を招待したいんだ。この店の料理を食べさせたいんだ。
どうかな?」
と言われれば、ご馳走してくれるって思うよね。
「はっはっはっはっはっ」
なに?その高笑いは!
もう別れる!絶対に別れてやる!!
「君はさあ、怒った顔がいいよね、好きだな」
・・・・・・・・・・・・・・・・・い、今なんと・・・
機嫌のいい時ではなく、不機嫌極まりない時の顔がいいと?
「じゃあ」と言って司はバス停に向かって行った。
別れるのはもう少し先でもいいか・・・八子は口のうまい男に弱い。
その後、八子は漫画の制作や引っ越しなどで忙しくなり、司との連絡を取らないまま
3ヶ月が過ぎていた。
3ヶ月もの間、司のことを思い出しもしなかったことに、司との間は終わっていると思っているのに、
完全に手放すと言うことにまだ吹っ切れないところがあった。
それは、あいつの甘い言葉だ。それが、あの男の馬鹿馬鹿しさを帳消しにさせる。
帳消しにする自分が馬鹿だと言うことは、十分にわかっていることなのに。
このまま連絡も取らずに、自動消滅というのが一番いいだろうと思いながら、
八子は携帯を握った。
「もしもし、八子ですけど」
「八子?・・ああ、君か」
(はあ?忘れたのか!)
「長い間連絡しないでごめんね。ちょっと忙しくなっちゃって」
(おいおい私! なんで謝ってるんだよ!!しかも言い訳までしてる〜!!!」
「別にいいよ」
(なんでこの男に、私が許されているんだ?」
私の漫画が雑誌に掲載されたのよ。新しい住所と携帯番号言うわね」
「あ、いいよ、聞かなくても」
「はあ?」
「僕の叔父さんはこう言ってた。
もし二人の時間が情熱もなく流れ出したら、
最早その関係は二人にとって無意味であり毒でもあるんだ。とね。
僕達の関係もこの数ヶ月の間に、叔父さんが言う無意味なものになっているって思わない?」
(これは、藤井司に私が振られるのか?)
「(私が振ってやる) そ・・・・そうかもしれないわね」
「じゃあ君、さようなら」
「え? はい、さようなら」・・・・って、違うでしょ〜〜〜っ お金はっ!
今まで何回立て替えたと思っているのだ。
映画、遊園地入場料、飲み代に食事代、コンサート入場料、電車賃と飲み代、2年間で合計
十二万7千五百三十円!
藤井司は仕事をしていない。
会う度に就活での面接のやり取りで、いかに面接官が馬鹿だったかを
叔父さんを降霊して藤井司は熱く語り、自分が働かない理由を面接官に背負わせていた。
そんな男から返済などされる訳が無い。
しかし悔しい。
お金も返してもらえないまま、振られた形になってしまったなんて。
藤井司にはとっくに愛想をが尽きていたというのに。
どうして電話なんか掛けてしまったんだろう?
「お金を貸していたからじゃないの?」和歌子が言った。
和歌子は高校時代から、すでに大人だった。
「そうかな・・・うん・・・そうかもね。貸したお金をちゃんと返してもらってから
別れなくちゃって思っていたのは本当だわ」
「だから男にお金なんか貸したらダメなのよ。別れることだってあるんだから。
それに、そうやってちょいちょい借りる男には、あ、女性もだけど、返す気ないから」
「和歌子はどうして、そんなことを知っているの?」
「クズのジャンルは得意なのよ、親父がクズだったからね」
こんな和歌子が後に会社のお金を横領して、恋人に貢ぐだなんて、想像もつかなかった。。
和歌子の電話から数日経ったある日、突然長男の一都が訪ねてきた。
兄がわざわざ自宅と鉄塔を結ぶ経路以外の道をやって来たことに驚いた。
「よくここがわかったわね」
「なんで?住所を見れば、わかるじゃないか」
「ああ、そうだね普通は。お茶飲む?」
「うん」
「熱いの? 冷たいの?」
「冷たいの。・・・・・八子、一人暮らしはどうだ?」
「どうって、まあ大変だけど、楽しいよ」
「ふうん・・・・・・・・・」
兄はいつもこうだ。一人で何か考えたり、納得したりしているのだが、何も語らないのだ。
相手になっているこちら側にフラストレーションが溜まる。
「で、一人暮らしがどうしたの?」
「結婚しようかと思うんだ」
え〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ?鉄塔と?
兄は働いていない。
バリバリのニートだ。
到底結婚などできる人間ではない。
けれど彼は昔からモテた。
ハンサムとは程遠いのだが、人柄の良さを誰もが見ることのできる、邪気を一切持たない風情が
人を惹きつけた。
子供も大人も、動物もだ。
だが兄の方に受け入れる要領が非常に少ないという理由から、兄との友好的関係を
結びたい人々にちょっとした悲しみを味わわせるのだ。
このちょっとした悲しみを味わいながら、人々は去って行き、
残っているのは犬だけというこの頃だ。
裏の家に飼われている柴犬のドナなんて、何年経っても兄にぞっこんだ。
もしかしたら兄と結婚できるだけで幸せという、兄にぞっこんな女性が現れたのかもしれない。
しかし兄は、人を癒す人間ではないから、女性が自分の選択の間違いに気づくのは
早いだろう。
これはどう見たって気の毒な結婚になるだろう。
結婚に漕ぎ着ければの話だが。
「ビール買ってこようか?一都は飲める?」
「飲めるよ」
「じゃあ買ってくるわ。待ってて」
「八子、ほら金」
「え〜〜〜いいよ。今日は奢る」
「一人暮らしで色々大変なんだから、受け取っとけよ、これくらい」
八子は兄が差し出した1万円を握って、コンビニへ向かった。