私が家を建てるまで
「まあ、そんなことはともかく、飲まねえ?」
「飲まねえ」
「マジか?」
「奢ってくれるの?」
「ああ、まあ奢るよ。お前に養ってもらおうと思ったけど、
お前驚くほど金持ってねえしなあ」
「持ってても養わないわ」
「俺、映画に出演が決まったんだ。セリフも名前もある役だぜ」
「へえ。。凄いじゃん」
「薄いなあ〜お前。もっと喜べよ」
「私は自分の喜びに忙しいんです」
「あ、さっき踊ってたやつか。何だ?男か?」
「本当に最低」
「じゃあ何だ」
「あんたなんかに教えたくないけど、今日はお祭り気分だから、
言うわ。出版社が決まりそうなの。私の好きな作家が随分描いている雑誌なの」
「ふ〜ん。やったね」
「そのリアクション、あんたも薄っぺらだからね」
「まあ、人の仕事が決まったことなんて、それほど嬉しくもないからなぁ」
「そうでしょう」
「さあ、ガンガン飲もうぜと言いたいところだが、俺、明日大尊寺に合わせたい人がいるんだ。
今日ここで飲んだら、しばらくは会えないと思う。女についていてやりたいからさあ。
だからお別れ飲み会で、上品にやろうぜ」
「合わせたい人って・・・」
「そうだよ。あいつ、お前のことを知って、会いたいってきかないんだ」
「はあ〜〜〜〜っ? それで合わせることにしたの?私たち何の関係もないのに」
「あいつにはわかるんだな。俺が大尊寺に惚れてることがさ」
つくづく、とんでもない男だとしか言いようがない。
「外町はその人に本気なんでしょ?ついていてやりたいなんて、もうその人にけ決めたってことじゃない」
「ほっとけないんだよ。お前のとは違うんだ」
出た〜男の放っとけない。お前のとは違うだって?
お前を愛しているけれど、妻を放って置けないんだ。
友達の和歌子が男に泣かされてきたセリフだ。
男が誰かを放っとけないという時は、お前を放って置かせてくれと言っているのだ。
「大尊寺次第だな。君が嫌なら、やめるよ」
「お構いなく!お会いしますわよ」
会って言ってやる。このクソ男とどうぞお幸せに!と。
だが、八子がその人に会いたい本当の訳は、外町が好きな女だからだ。
外町の、放っておけない女だから、そして、外町に、
そばにいることを決意させた女だからだ。
翌朝十時に外町と根津駅で待ち合わせた。
八子の頭の中で繰り広げられる三角関係的泥沼予想と大きくかけ離れた時間帯だった。
根津神社の手前を右に折れて、坂を上って行くと、石の門がある古い家があった。
表札には、篠井とあった。篠井さんというのか。綺麗な名字だ。大尊寺とは違う。
昔誰かが大尊寺と聞いて、たぬきっぽいと言った。
確かにタヌキかもしれない。
「ただいま」格子戸をカラカラと開けて、外町が声をかけた。
八子が、江戸小紋を粋に着た三味線のお師匠さんが、
洗い髪のまま猫を抱いて現れるのではないかと思うような雰囲気が漂う家だ。
奥から慌てたような気配。そして、とんとんとんと床板を踏む
足音が軽やかに近づいてきた。
「ああ、こうちゃん!」
彼女は嬉しそうに駆け寄ると、外町の胸に飛び込んだ。
その人は、美しかった。
軽くウエーブのかかった髪の色の明るさと、ワンピースの淡い水色に生える
白い肌の彼女は、外国の物語に出てくる妖精のようだと、八子は思った。
年齢は、四十歳を超えて・・・えっ?
彼女の年齢はどう見ても、四十歳くらいに見える。
外町は年上好みだったのか。
「やっと帰って来てくれたんだね」
「なかなか帰れなくて、ごめん」
「この人誰?」
「ああ、この人は」
「わかった!こうちゃんが好きな人でしょ。」
「うん」
「こうちゃん、あのねえ。お茶を出すための、湯飲みがわかりません」
「いいんだよ。俺が出すから」
「ケーキはありますか?」
「あゝケーキは忘れたなあ」
「この人の名前。私の名前は千鶴」
「わ、私は大尊寺 八子です。初めまして」
「八子。八子。八子」
「可愛い名前ですね。私も八子だったら良かったのにな」
「千鶴は、八子ちゃんに会えてよかったな」
「はい。ありがとうございました。こうちゃんの好きな人と
会えて良かったです。私がわかって良かったです。こうちゃん
八子さん、これからもよろしく」
「じゃあ、千鶴、八子さんを送ってくるよ。
一人で大丈夫だね?」
「あ、いいえ、私は送ってもらわなくても」
八子が表に出ようとすると、外町が八子の腕を掴んだ。
「はい。一人で大丈夫です。これから眠りますから。
ベッドに入ります。お休みなさい。さようなら」
千鶴は、私たちとは別の方向に手を振り、頭を下げた。
八子は混乱していた。千鶴さんて・・・
「姉なんだ。十歳年上の。障害を持っている」
「お姉さん・・・」
「俺が十二歳の時に、姉と初めて会ったんだ」
「初めて会ったって?」
千鶴は親父が俺の母親と結婚する前に好きだった女性との間の子なんだ。
親父はその人と結婚するつもりでいたが、祖父が許さなかった。
その女の家柄が違うし、下賎な水商売の女など言語道断と言うわけさ。
親父は駆け落ちも考えたけれど、その時祖父の事業が傾いてしまった。
一人息子の親父は何もかも放り出して、出て行くことが出来なかった。
父は、その女性と別れた。
その時、女性のお腹の中に子供がいたことに二人とも気づかなかった。
八年後に、父はやっと結婚した。それまで父は、
どんな結婚の話もみんな蹴ってきたと言う。それほど別れた女性を
忘れることが出来なかったのか。
妻になった女性、おれの母親は穏やかな優しい人だった。結婚して二年後に
俺が生まれた。だが、親父の努力も虚しく、事業は右肩下がり。
とうとう親父は会社を手放した。資産はあったが、それでも会社を
立て直すには足りなかった。




