私が家を建てるまで
「そんなわけで、僕はしばらく旅に出ることにしたんだ」
「先生」いつもの二倍の目玉で藤間くんはカジキ先生を見つめた。
「悪いね。藤間くんの仕事がなくなってしまったね。他の先生を紹介しようにも、
僕が知っている先生は一人もいないんだ」
「友達いないですもんね、先生は。大丈夫です。俺前々から考えていたことがありまして」
目玉がさらに大きくなった。
この人の目玉は、どこまで大きくなるんだろう?
「へえ。藤間くんが考えていたことって?」
「俺、お笑い芸人になりたいんです。俺昔から面白かったから、
みんなから向いてるのになんで吉本に入らなかったの?って言われてましたんで」
まさかの言葉が藤間くんの口から飛び出した。
「俺、やりますよ!先生」
八子は自分の心の声に耳を傾けていた。「藤間くんは目玉以外面白くもなんともないんですけど。
目玉が面白ければ、目玉芸人としてやって行けるのか?」
藤間くんは手足がやたらに長い痩せ型男子で細長い顔の若干上に位置している目が、もう、ただの目と呼ぶにはキャラが立ちすぎていてとても目と呼べる代物ではないと八子は常々思っていた。
それはとにかく目玉なのだ。鬼太郎の父さんみたいに、体から離れても独立して生きて行けそうな物体なのだ。
その目玉が、ぎょろぎょろと動く様に、見ているものの目は釘付けになり、もっと見ていたいような気持ちにさせられる。その目玉を売り物にすれば行けるかもしれない。しかし、藤間くんは、俺、ギャグ漫画家でもありますから面白いコントを作りますよと言った。残念だが、藤間くんのギャグ漫画も面白くない。
カジキ先生のお母様は二階の自室に閉じこもってしまったらしい。何かと用事を見つけて仕事場を覗くお母様なのに、大変なショックをもらってしまったのだろう。八子は、カジキ先生になんと声をかけたらいいのかわからなかった。
「大尊寺くんにも申し訳なかったけど、僕、中澤編集長に感謝しているんだ」
唐突にカジキ先生が言った。
「ええっ?マジで? どうしてですかぁ?
今回の編集部のやり方って、酷くないですか?」
「僕がもう打ち切りにして欲しいって頼んだんだ」
八子と藤間くんは同時に口を開けたが、言葉は出てこなかった。
カジキ先生は続けた。
「僕はずっと、漫画家をやめたかったんだ」
ええっ〜〜〜? 何ですって?
藤間くんの目玉がぎょろぎょろ動き、八子も藤間くんに負けない勢いで目を剥いた。
「ここ何年も、漫画を描いていて楽しくなかった。だけど、あんなに好きだった漫画の仕事が嫌になっている自分が信じられなかった。そんなはずはない。今はちょっと疲れているだけなんだ。続けていれば、また情熱を取り戻せるはずだと、しがみついてきた。だけど、ようやく決心がついたんだ。漫画家の僕を一度手放してみようと」
「もったいね〜〜」藤間くんが素っ頓狂な声を上げた。
「僕も勿体無いとずっと思っていたけど、嫌だと感じているのにその場所に無理やりい続けるのは、
僕自身がすり減っていってしまうと気づいたんだ。僕は漫画家の僕のために生きてる暇はない。
今まで僕が閉じ込め続けてきた、僕の根っこにある本当の気持ちもったいなく思わなきゃってね」
「カジキ先生は、北海道にゆかれるんですか?」と聞いた八子にカジキ先生は、
「漁師になりたいんだ」
再び八子と藤間くんの口が開いた。
そんなに、それほどませにマグロを愛しているんですね、カジキ先生。。。
「こんな形、要するに、出版社から首を切られると言う形を取ったのは、お袋のためなんだ。
母は僕が漫画を書いている間、応援し続けてくれた。僕が漫画家だと言うことは、母の自慢であり、
支えだった。僕が辞めたいなんて言ったら、彼女はどんなパニック状態になるかわからない。
でも、僕の漫画がもう時代のニーズに応えられないと言う方が、
諦めがつくんじゃないかと思ってね。ずるいやり方だけどね」
八子は一都と母親の関係を思っていた。人が大人になると言うことは、親を必要としなくなるのが自然だ。
そして、離れてゆく我が子を喜びと共に世に送り出す。それが親だ。
だが、八子の母親も一都の世話をすることを不安定な自分の支えにした。彼女はど子どもなのだ。
カジキ先生のお母様も、同じなのではないのか。
どこかの時点で、大人になれなかった子供の部分を抱えている。
誰の心の中にも、成長できない子供が住んでいるのだ。
子供が親を必要とすることがなくなるのは、親と子の愛を失うということではない。
地球上のあらゆる生物の中で、親と子の分離が果たせないのは、人間だけなのだ。
カジキ先生が白い色しか着なくなった理由は、一冊の絵本だったという。
「子供の頃に読んだ絵本にね。雪の女王の七色は。というのがあったんだ。
その女王は、真っ白いドレスを着て、真っ白な宮殿に住んでいたんだ。雪の女王は、ある日友達が欲しくなった」
ああ、この話は知っている。私も大好きだったなと八子は思った。
「雪の女王の七色は」
昔、何もかもが真っ白な雪の国に、真っ白なドレスの雪の女王が住んでいました。
ある日、雪の女王は友達が欲しくなったりました。
雪の女王は、晩餐会を開くことにして世界中の人々に招待状を送ったのです。
だけど、雪の女王様のところに招待状の返事を書いた人は誰もいませんでした。
すると、モノマネドリドリと言う小鳥がお城の窓辺に止まって、伝えました。
色のない国の王女様 泣かないで聞いておくれ
みずみずしいオレンジの丘が、国中に広がる王国の姫君が言ったことを
「雪の女王様のお城は、何もかもが真っ白なだけ、つまらないですわ。
もっと踊るようなオレンジ色があったらいいのに」
凍りついた国の女王様 怒らないで聞いておくれ
天空に向かって炎を噴き上げる、山々の国王様が言ったことを
「私の国の燃えるような情熱の赤がかけらもないなんて、体が冷えて困るぞ。
ただ真っ白なだけの城なんて。せめて絨毯が赤色だったらなあ」
凍りついた国の女王様 怒らないで聞いておくれ
空と海とが繋がっている国の王妃様が言ったことを
「私の国のような、輝くばかりの青がどこにもないなんて、気分がふさぐわ。
それじゃあ、地下牢に囚われているのと同じではありませんか?」
凍りついた国の女王様 コラ名で聞いておくれ
緑の草原が見渡す限りに広がって、涼やかな風が渡る王国の姫君が言ったことを
「私どもには、柔らかなグリーンが必要です。私たちの国では羊たちも人も、
グリーンの葉に包まれて眠り、夢を見るのです」
モノマネドリドリの鳴き声を聴いてから、雪の女王はすっかり悲しくなってしまい、
毎日部屋に閉じこもって泣いていました。
確かにこの国は、ただ白いだけ。
冷たい雪と氷がどこまでも広がっているこの国の良いところなんて、ひとつもないわ。
ある日、花の国の王子様が世界の花を見る旅の終わりに、雪の女王の国を訪れました。
召使いたちは、本来なら晩餐会が開かれていたはずの今日だったのに、誠に残念ですと言いました。
王女様は涙が止まらないので、誰にも会いたくはなかったのですが、挨拶をすることは礼儀です。
王女様はハンカチで顔を隠して、王子様を出迎えました。。
王子様は、挨拶に来た女王様頬に氷の粒のような涙がこぼれているのを見ました。
「花の国の王子様、お国はきっと美しい色の花が溢れていることでしょう。ですがこの国には、
色がありません。さぞつまらなくお重いでしょう」
女王様が言いました。
すると、王子様は
「あなたは、七色の光の国に住んでいらっしゃることをご存知ないのですか?」と言った。
王子様は続けた。
「この白い色には、すべての色が輝いているのですよ。試しに光を当ててごらんなさい」
王女様が、明かりで雪を照らすと、白い雪の間に赤や青や、グリーン。紫やピンクや金の色が輝いていました。
女王様はびっくりしました。
次の朝、太陽が昇ると、雪の粒の中に色が躍っているのが見えました。
どこもかしこも、国中の雪が、その小さな光を抱きしめていたのです。
「僕は、何色にも染まりたくないって思った。小学校4年に、
そんなことを考えていたわけではなかったけれど、白い色を身につけていれば、
これから何色にも変化して行ける気がしたのは確かだった。
何色にも変化する。そしてその色は自分で決める。決して親が決めた色じゃあなくね」
中澤編集長が相変わらず大汗をかきながらやって来て
「カジキくん、あれでよかったかい?おふくろさん、怒ってたねえ」と言った。
「いいえ。こちらこそ。中澤編集長には嫌な役をお願いして申し訳なかったです。
連載を途中で投げ出してしまって本当に申しわけなくて」
「何、カジキ先生自身がもう、どうにもならなかったんだから。
こっちもカジキ先生の気持ちを知りながら、それに反した方向に押したり引いたりしなくちゃなんなかったからね、
辛いんだよな、こっちも。何しろ雑誌を出すことが読者との約束だからね。でもねえ、マグロを堪能しに行ってるなんて嘘を言って、こっちはヒヤヒヤしたよ。海に飛び込んじまったらどうしようってね。だけど、本当にやりたいことがあったんだな」
編集長はカジキ先生のそんな気持ちを理解して、連載を終わらせたんですね。すごいです。漁師になる先生を応援して・・・




