桜の木の下に埋めるモノ
君と初めて出会ったのは一年前、高校二年生の春だった。
僕は春が怖かった。
新しいクラスに馴染めるか不安で、心臓と胃がひっくり返りそうになる。
クラス決めを行った先生達を呪いたい。一年生で仲良くなった友人達は全員別のクラスだったから。
中学二年生の時に友達作りに失敗して孤立した経験がある僕は、また同じ目に遭うんじゃないかと恐々しながら教室に入る。
仲のよい数名が集まってグループを作っている事に、僕の恐怖は加速する。
とりあえず自分の席に座ってクラスの動向を伺う事にする。結論、入り込めそうなグループは無い。
僕の頭の中は『寝る』『本を読む』の二択を浮かべる。どちらも「話しかけるな。自分の世界に浸りたいんだ」と周りにアピールして孤立する事になりかねない。それで中学二年生は失敗したのだから。
かといって、無表情で席に座っているのも如何なものだろうか?
正解を探してグルグル考える僕の隣の席に、君が座った。
「初めまして。よろしく」
ニコリと笑う君に、僕は「ども」と不器用に返す。初手をミスったと焦る僕に、君は笑って話しかけてくれた。
共通のアーティストが好きだという事が分かり、先生が来るまで楽しく話した。君は嬉しそうに笑顔を浮かべる。
「そうだ。今日ガチャガチャして、ダブったからあげる。仲良くなった記念」
君がくれたのは、好きなアーティストのイメージキャラクターがハートを持ったストラップ。僕には可愛すぎたけど、気持ちが嬉しかった。
春の怖さを、君が魔法のように消し去ってくれた。
その年の春は、とても優しくて温かい春になった。
***
「あの子誰?」
君と親しげに話していた子が去った後、僕は問う。君は照れ臭そうに笑った。
「恋人」
その言葉は重たい音を持って僕の耳に響く。
(どうして!?)
ヒステリックな言葉が出そうになるのを、かろうじて飲み込む。鉛を飲み込んだように、体が重たくなった。
「……いつから?」
「あれ? 話したことなかったっけ? 一年生の冬から付き合ってるんだ」
僕と君が出会う前だという事実に、衝撃を受ける。
僕が先に出会っていたら、君の恋人を「僕が先に君と出会ったのに、後から出てきた奴」扱いできて良かったのにと、薄汚い感情が湧いた。
「どうした?」
僕が黙り込んでいる事に、君は首をかしげる。僕は溜め息を吐いた。
「いや、君みたいな人でも恋人がいるのに、僕にいないのがおかしいなって思ってさ」
「どういう意味だっ!?」
君が眉を吊り上げる。僕が笑うと、君も笑ってくれた。冗談として誤魔化せた事に、僕は安堵の息を吐く。
「好きな人いないの?」
君の残酷な問いに、僕は苦笑する。
「好きだって言えたらいいのにね」
「何? 禁断の恋でもしてんの?」
「違うよ。言える人がいないってこと」
「何だ意味深な事言って、結局いないってことか。誰か紹介しようか?」
「いらないよ。運命は自分で見つけたいんだ」
「うわ! 今夏なのに寒気がした!!」
「幽霊に取り憑かれてんじゃないの?」
僕達は軽口を叩き合う。
これでいいんだと、僕は自分の心を殺して言い聞かせる。
この感情は閉じ込めよう。誰にも見つからないように、気づかれないようにしなければ。
***
「恋人と喧嘩した?」
「もう二日も口聞けてない……。文化祭まであと三日なのに、どうしよう。初めて一緒に文化祭を回れる筈だったのに!」
秋の学校行事である文化祭。
僕達のクラスは劇をする事になっていた。その準備で最近忙しく、恋人と一緒に過ごせていない事で揉めてしまったようだ。
「そうか。辛いね」
(……本当は嬉しい。僕は心底性格が悪いかも)
落ち込む君を心配する顔をして、僕は心の中で悦ぶ。
このまま別れたとしても、君と僕が結ばれる事はないかもしれない。それでも、君が恋人と呼ぶ人がいなくなってくれるのは嬉しかった。
この恋心が報われないのなら、せめて他の誰ともハッピーエンドにならないで欲しい。
いつまでも、誰のものでもない君でいて。そうしたら、僕は友達という立ち位置に幸せを感じて、ずっと君の近くに居る事が出来るから。
「あー! ウジウジするのやめ! ちょっと直接話してくる!!」
「え!? ちょっと!?」
君は僕の静止を振り切って駆け出す。きっと恋人がいる教室へ行ったのだろう。
僕は両手を握りしめて祈る。
(神様がいるのなら、あの二人を別れさせて下さい)
神様はいない。いや、いるからこそ、僕の願いを叶えなかったのだろう。
仲良く手を繋いで笑っている君達を見て、僕は笑顔を貼り付ける。
こんなに醜い感情しか抱けない僕は、友達の資格もないかもしれない。
***
「寒い。もう冬なんて嫌だ。冬眠する!」
「熊か」
「熊が羨ましい。何で人間には冬眠が無いの?」
君は不満そうな顔をする。雪が降っている今日はいつにも増して寒い。
「冬眠したら、冬休みは寝て過ごして終わる事にならない?」
「あ! そうか。じゃあ、冬眠なくていい! クリスマスも正月も大事! 冬最高!」
君は現金にも言い直す。少し値段が高い物が欲しいと言っていたから、お年玉がないと困るのだろう。
「今年のクリスマスプレゼントはどうしようかな? 去年はマフラーにしたんだよね」
君と一緒に過ごすクリスマスは、どれほど幸せなものなのだろうか。
君と特別な日を過ごす権利は、恋人のもの。君の中での優劣は僕より恋人。
当たり前の事が、こんなにも重くて辛い痛みを僕に抱かせる。
(ああ、こんな事なら、君と出会わなければよかった)
優しい春が、実は残酷な出会いを生んでいた事にようやく気づく。
君と出会って生まれた温かな感情も、自分の中に生まれた黒い感情が全て飲み込んでしまう。
僕は窓の外を見て、雪に埋もれていく世界を見つめる。
雪のように真っ白な綺麗な心でいられたらよかったのにと、世界を呪いたくなった。
***
冬と春の境目。
僕は一度だけ、君の恋人と二人きりで話した事があった。
(あ、敵わないな)
そんな感想がポロリと出てしまった。
意地悪で言った言葉も、フィルターでもかかっているのかとツッコみたくなる程、良い意味に捉えられてしまった。天然というか、世の中は善い人ばかりという考えの持ち主なのだろう。君について語る時の幸せな表情から、君が大好きな事がよく分かった。
君の恋人は、僕と違って心の綺麗な人だった。
君が迎えに来て、君達は一緒に手を繋いで帰っていく。
一人取り残された僕は、蕾の膨らみ始めた桜の木を見上げた。
もうすぐ、春が来る。君と出会った春が、僕は怖くてたまらない。
***
「桜、綺麗だね」
学校の中庭の桜の木の下で、君は満開の桜を見上げて微笑む。
数秒ほど見惚れてしまった後、僕はハッとした。
「桜の樹の下には死体が埋まっているという話知らない?」
いつも笑っている君の怖がった顔が見たくて、僕はニヤリと笑う。君は眉を寄せて首を傾げた。
「聞いたことある。でも、この世界で死体が埋まっていない場所なんてあるのかな? 地球が誕生してから死を迎えた命は数え切れない。桜の木の下だけじゃなくて、そこら中に夥しい量の死体が埋まっているよ」
僕は地面に付いていた手をそっと離す。目ざとく見つけて君は笑った。
「怖がり」
「怖がってない」
「ふーん。じゃあ、そういう事にしておいてあげようか」
遠くから君の名前を呼ぶ声が聞こえる。
手を振る恋人を見て、君は幸せそうな笑顔を浮かべた。
「じゃあ、バイバイ!」
君は飛び跳ねるように駆け出す。ブレザーの裾を風で翻して恋人の元へ駆けつける姿が、映画のワンシーンみたいで綺麗だった。
並んで歩く恋人達。君が恋人に向ける柔らかくて幸せそうな表情は、僕では一生引き出す事は出来ないのだろう。
この恋を何処かで終わらせないといけないと思いながら、今日までずるずると引きずってしまっていた。
このままでは、きっと僕は傷つき続けて屍となってしまうか、恨みを持った生ける屍となって君達を傷つけてしまうだろう。
僕は地面に寝そべり、巨大な桜の木を見上げた。
桜色と空色だけの景色。柔らかな風に包まれて、僕は目を閉じる。
目を開けた僕はズボンのポケットに入れていたスマホを取り出す。
去年、君から貰ったストラップ。色が剥げて少し黒ずんで傷ついたハートは、まるで僕の恋心みたいだ。
僕は起き上がり、近くに落ちていた拳大の石で桜の木の下の土を掘る。
スマホからストラップを外し、冷たく湿った土の上に置いた。土を被せて、石を載せる。
お墓みたいだと、僕は一人苦笑した。
「バイバイ」
これで終わり。辛いのも、苦しいのも。醜いのも。もう疲れたから。
君とクラスが離れてしまった今なら、きっと大丈夫。ちょっとずつ距離をとって、このまま離れてしまおう。
いつか、そんな事もあったなと綺麗な思い出として花を咲かせられるように。
僕は報われない恋心を桜の木の下に埋めた。