「始まりの荒地」
ーースガム合衆国アルバン郊外。
「ここがアルバン郊外のスラム街グリンドか」
逃げ切った俺達は、スガム合衆国で法が唯一通じないとされるスラム街グリンドに見事身を隠した。
ここは騎士であろうと、内官であろうと、立ち入れば法の適用外とされ殺されても文句のつけようがないのだとか。
つまり、国の者は民であっても誰一人……踏み入らない。
「グリンドってのはスガム合衆国の前に栄えていたグリリム文明の時に使われたグリム言語の意味でつけられていて、直訳するとーー死の街らしい」
「流石は悪魔、一万三千年より古く生きているだけはある」
「多分俺くらいしかグリム言語なんてものは、まともに読めないと思うぞ? まあ、グリム言語が読めたらそれはもうただの亡霊だ」
「お前が言うか……」
夜更けのスラム街とは何とも不気味で、今にも倒壊しそうな家々から、路地から、木や草むらからと視線のような物を感じる。
極悪人から逃げた奴隷と闇深い者達の溜まり場に、一度して足を踏み入れたことがなかったが、これほどまでとは……。
アルカディアを一歩外に出れば、そこは未知の領域だ。
「どうだ? 新鮮か?」
「ある意味で新鮮だな。これほどまでに廃れたところを俺は見たことがなかった……まさか、スラム街とはここまで戦後すぐが如く酷いとは」
「まあ、そりゃ戦争の跡地で誰も住み着かないところに無理矢理街を築いてんだからこうなるわな」
スラム街とはどうやら、戦争によって人が住むことをやめた土地を無理矢理住めるよう整えたところのようだ。
まだまだ知らないことが沢山世の中にはある。
アルカディア王国にスラム街が存在せず、その実態を今日まで知らず生きてきたのも父のおかげだったと改めて認識する。
「ーーしっかし、とは言っても。歓迎してもらえのは残念だけどな」
「ああ……それは全くだ」
俺とディノールは足を止めると、互いに背中を合わせ構えをとる。
ここへ足を踏み入れてからずっと感じる殺気よりも遥かに強い殺気へと変わり、視線も何やら先ほどより酷く強い。
歓迎ははなから望んでいないが、無闇な戦闘もまた望んでいない……。
「グリンドの民か?」
「いかにも……我らグリンドの民、極悪人から盗賊から奴隷まで。女子供関係なく、ここへ踏み入ったが最後残るは『死』のみ……フゥンッ!」
広くない街の何処かから、獣の如く荒い息を吐きながらそう語る男の声が響く。
「ここに少しばかり住もうとしているーーそれだけでも許してはくれないか!?」
「許す……? 少しばかり……? ふざけるなああああああここは我らの土地!! 我らの治める絶対的領地なのだああああああああああ! お前達ここグリンドを守るためこいつらを骨すら残さず狩りとってしまええええ!!」
地響きと共に、だんだんと近づいてくる男の声ーー
街の奥から、体長三メートルはあろうと巨漢である。
グリンドを仕切る長で間違いない。
それにしても、あまりにデカすぎる。
スラリと背の高いディノールでも、百と九十あるかないか。
俺は更に小さく百と七十少ししかない。
しかしそれがアルカディア王国では一般的で稀に二メートルもいるがそれが精々限界だ。
郷に入っては郷に従えーー父がよく言ってくれた言葉を思い出す。
「郷に入っては郷に従え……三メートルだって! そりゃ国飛び出たら居てもおかしくない!!」
「そういうことだテイル! 郷に入っては郷に従えと言うがそのまた逆ーー郷に入って郷を変えよ!!」
「何をゴタゴタと仲良しこよしで話しているっ! お前達早くこいつらの血肉を削いでやれ!!」
何処から攻撃が来るかわからない八方塞がりの状態で、随分俺達は落ち着いていた。
僅かな時間の経過と共に、だんだんと興奮していくのはグリンドの住民達の方だった。
ーー歯ぎしりする音。
ーー刃物を研ぐ音。
ーー荒く息を吐く音。
これを人と呼んで良いのか、はたまた獣だと呼ぶべきか。
ゴクリと生唾を飲んで拳と脇を強く締める。
まさにその一瞬を待っていたと言わんばかりの速さだった。
「「ーー命頂戴する!!」」
数百人の、上裸の男達が一斉に俺とディノールに向かって飛び込んでくる。
斧を持つ者、鎌を持つ者、鎖を持つ者、ナイフを持つ者。
それは大人子供関係なく、強い殺気と汚物を見るような眼光でただ殺すことだけに集中している。
それに加えて足が異常に速く、負けることはないが野生のチーターが如く軽い足運び。
やせ細っている者達は皆、動きが人のそれを超えている。
「大人しく死ねええ!!」
「そう簡単に! 死ぬとでも思っているか!?」
「チッ……! 何で避ける!」
「避けないと痛いからだ! 当たり前……だろう!」
二刀流の鎌使いのまだ十の歳くらいの少年は、確実に首だけを狙って両腕を振りながら間合いを狙って自由自在に上半身と下半身で別々の動作ーー
獣に育てられとしか思えない奇妙な動きで俺を追い詰める。
「全く! おいチョンソ! お前はいつまで経っても動きだけで力をつけてゴリ押せ!! そんなヒョロヒョロ力でねじ伏せろ!! ーーオラァ!!」
「メリケンサック!?」
チョンソと呼ばれる身軽な少年との間に、メリケンサックをつけた二メートルのスキンヘッドの男が割って入ってくる。
間一髪のところでメリケンサックが付いた俺の三倍もの大きさの腕を流して避けるも顔が追いつかず頬に切り傷を負う。
体型からは予測のつかないストレートに、思わず歯を食いしばってしまった。
「とりあえず二人で片付けるぞ。こいつは弱い」
「もう少し人手はいらないのかボンゴ」
「もう一人の奴が、極端にやばい。今戦ってるあいつらだけであの男をやれるかすら怪しい強さだ。俺とお前でこいつをさくっと片付けて加勢せねば」
「ああ……わかった。俺があいつの動きを封じるボンゴはその隙を狙って仕留めにいけ!!」
「ーーおう!! 任せたぜチョンソ!!」
どうやら俺は二人で始末できると思われているらしい。
それもそのはず、まだ黒魔術を一割も理解していない上に武術すら学んでこなかったのだ。
今の状況で黒魔術が宛にならないため、我が身一つで二人を相手にしなければならないのだ。
武器くらいあればまだしも、錬金の初歩すらまだ一度も触れられていない。
昨日の今日で黒魔術を使いこなせればどれほど楽なことか。
「ーーおーいテイル、苦戦してんな。適当に使えるもの使ってみればいいじゃんか、何一人であたふたしてんだ」
「それができたらっ! 苦戦なんてっ! してない……んだよ!」
「あっそ、まあ……死ぬよ」
戦いながらも平然と声を掛けてくるディノール。
あいつは本当に、紛れもなく悪魔だ。
苦戦していると見て分かるなら、もう少しまともに戦闘で使える黒魔術やらを教えてくれても良かっただろうしそもそも今の状況で声を掛けてこないはずだ。
人間と悪魔の感覚のズレは天と地ほどの差である。
「ゴタゴタ喋ってっと死ぬぞお! ガッハッハッ!!」
「そう簡単に死ねるならどれだけ良かったことかーー」
チョンソの鎌を海老反りで避け、ボンゴの右腕を起き上がるのと同時に蹴り上げる。
「そう簡単に死ねないし、死なないんだよな」
「しぶといやつだ」
二人は舌打ちすると、長のほうを一回見て俺に向き直る。
「大人しくやられたほうがいい。グリンドの長、ギョンギル様が加勢したら、お前達は俺達にやられるより苦痛で悲惨な目に遭う」
巨漢の長はギョンギルと呼ばれているらしい。
「……なら、ギョンギル様と呼ばれているあの巨漢を倒せばお前達は何もできなくなるという解釈でいいのか?」
長の指示で戦うのであれば、長が倒れさえすれば争いは終わるとそう考えた。
「そういうことだな?」
「そんなことはさせない、ギョンギル様が出るまでもない!」
「……」
チョンソは感情的になり、鎌を力強く投げた。
鎌は俺の肩をかすめながら遠くへと消えていく。
「俺が、俺達が!! 仕留める!!」
「ギョンギル様自ら手を出す必要もない」
すると突然、チョンソとボンゴが豹変する。
目が光を放ち、八重歯が急激に発達を始めた。
頬と額には、真っ赤に光るタトゥーが浮き出し何かがまるで乗り移ったようだ。
気配を感じたディノールが、大勢に囲まれ戦っていたが、その場から大きく飛躍して俺の横まで下がってくると腕を組み不気味に笑う。
「ハッハ〜ン……なるほどね」
「何か知ってるのか?」
「古代グリリム文明で突如発生した奇病『ビーストリンク』と呼ばれるものだ。一定の興奮状態を超えると獣のように変貌し我を忘れ獲物を狩るまで止まらない。その際、どれだけ傷を負っても痛覚が遮断されているため関係ないとかなんとか……つまり薬で興奮して自我ぶっ飛んだ〜って感じさ」
「最後のだけでも何となくわかってしまうのが辛いな……つまり、今この二人は獣よりも恐ろしい者ってことか」
頷いてディノールは左手を前に出す。
「あの力ーー何としても取り込むぞテイル」
「取り込むって?」
「黒魔術は持っていないスキルを自分のものにすることもできる。魔術の中にリンクがあるだろ? あれと同じ仕組みだが違うのは永遠に残ることだ」
「やり方はわからないが……やるしかないか」
「そういうことだ」
「「ーーここからが本番だああああ!!」」
構える俺とディノールに、チョンソとボンゴが向かってくる。
踏み込んだだけで砂埃が舞うほどの筋力へと仕上がっている。
先ほどよりも何倍も速い二人の鎌とメリケンサックが、あと数センチの距離まで瞬きをする暇がなく迫っていた。
あっという間に詰められ、体感が大きく鈍り、全てがゆっくりと動いて見えてくる。
「ーーテイル!!」
「ッ!!」
ディノールの声に、我にかえる。
顔を後ろへ反らしてチョンソの鎌を避け、腕を掴みその場で三回素早く周り遠心力で遠くへ投げつける。
チョンソは家々の壁を何枚も壊しながら街の奥へと消えていく。
「いいね、動きが自然とできてる」
「……次はお前かボンゴ」
「いや、まだ俺じゃない。チョンソを甘く見るなクソガキ」
「ーーえいいいいやあっ!!」
ボンゴがニヤッと笑うと、いつの間に戻ってきたのかチョンソが側転しながらすぐそこまで迫っていた。
振り向いていては、全く間に合わないところまで詰めてきていた。
「悪いが、お前の命……もらった」
「ーークッ!」
ここまでかーーそう思った。
振り向くことも間に合わず、チョンソに反撃することも間に合わず、死にはしなくとも背中を傷を負うのかと覚悟する。
……『背中の傷は一生の恥だ』
「ーー!?」
「ーー死ねええええ……なっ!?」
「悪いな……! 背中の傷は一生の恥だもんでな!!」
何処からともなく聞こえた謎の女性の声に、気づけば体が自然と動いていた。
チョンソの鎌を、両手の平で掴んで受け止めていたのだった。
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