三話 世界
この世界の名前は『エル・ムンド』というらしい。海を隔てて、四つの大陸に分かれていて、四つの大陸はそれぞれ国として成り立っているそうだ。俺が今いるのは、アントニオさんがさっきも言っていたようにスパーニという国だった。もっと細かく言うと、その中にある『ルセロ』という村らしい。
スパーニは縦長の楕円形の大陸で、東と西の海岸沿いに大きな都市が一つずつ、北にはそれよりも少し小さな町が一つあり、大陸の中央には小さな村が一つあるという。
東西の都市は、他大陸との貿易が盛んで国の中で最も発展していて、その間に挟まれた小さな村、ここ『ルセロ』は、農業と狩猟、採石業が盛んで、収穫、捕獲、採石した物を東西の都市や周辺の町や村に売って生計を立てているらしい。
アントニオさんはこの採石した石が魔法に関係していると言っていた。
この世界には手で握っている間だけ魔法が使えるという石があるらしい。魔法が使えるといっても、料理をするときに火をつけたり、暗闇で明かりを灯したりして使うだけ。元居た世界のマッチや電球みたいなもの。いわゆる日用品らしい。
その話を聞いて俺は肩を落としてしまった。普通、魔法が使えるとしたらド派手にバンバンぶっ放す姿を想像してしまう。それに比べたらあまりにもしょーもないというかなんというか……。
そんな落胆した俺にアントニオさんは実際に石を見せてくれた。石には火、水、氷、風、土、光、闇の七種類があった。俺は勝手に火石、水石、氷石、風石、土石、明石、暗石と名付けた。ちなみに、アントニオさんは何か別の言葉で言っていたが、聞きなじみがなさ過ぎて覚えられなかった。
この石の特徴は七種類それぞれに違った色の斑点模様がついていることと、石自体が真っ白ということだった。けれど、石の大きさや形は様々で、大きさによって使える魔法の長さが違うらしい。大きければ大きいほど長い時間使っていられる。
斑点の色はまあそうだよなって感じの色。一応……赤、青、薄い青、緑、茶、黄、紫。……まあそうだよな。
世界のことや魔法のことについて話してもらったところで俺たちは朝食を終えた。
「あの、俺が出てきたっていう壁? を見せてもらってもいいですか?」
まだまだ知りたいことはたくさんある。次は俺が出てきてという壁が見てみたい。
「いいですよ。その前にこれを片付けてしまいますね」
そう言って立ち上がり、アントニオさんはウエイトレスのように平皿、お椀、コップ、スプーン、フォークを三人分すべてまとめて、流しへと運んで行った。
レストランででも働いていたのだろうか。そんな疑問がよぎってしまうほどに、大量の食器を危なげもなく運んでいる。
「ついてきてください」
食器を運び終えたアントニオさんは扉を開けて、俺に手招きした。
廊下に出てアントニオさんの隣に並んで歩く。
そして、朝食の前に一度だけ通ったあの大きな木製の扉の前に着いた。
「ここです」
アントニオさんは扉の間に立つと、両開きになっている扉の右側だけを引いた。ギーという音がして扉が開いた。
聖堂の中は陽の光が差し込んでいて、少し幻想的な雰囲気を醸し出していた。天井がとても高く、解放感もある場所だった。
前を行くアントニオさんは、左右に5列ずつ並んでいるベンチの間を通って最奥に向かっていく。
目指す先には壁画が描かれている。遠目に見てもわかるくらい大きな絵だった。
壁画の前にたどり着いたアントニオさんは俺がたどり着いたのを確認すると、壁画を指示した。
「ここからユージさんは出てきました」
無骨な壁に描かれている巨大な絵。絵の中央には女神のような美しい女性が、両手を胸の前に当て、目を閉じて佇んでいる。その周りには捧げものだろうものを持った、たくさんの人々が描かれていた。あとはよくわからない模様の数々。その模様にどんな意味があるのかは俺には全くわからない。
こんなところから出てきたのか。そんな感想しか出てこない。壁画を実際に見てみれば何かわかるかもしれないと思ったが、全然わからん。
「アントニオさんはなんで毎朝ここでお祈りしてるんですか?」
「子供たちのため……でしょうか。ここは元々孤児院だったのです。こちらの壁画の真ん中に描かれている美しい女性。この方は”救いの神様”として崇められている方です。私は、子供たちに救いを、という思いを込めてこの方に祈りをささげています。」
なんで家が広かったのか、元孤児院と聞いて納得がいった。俺が寝ていたところも元々は子供たちの部屋だったのかもしれない。
「元孤児院っていうことは、今は子供たちはいないんですよね?」
「えぇ」
子供たちがいないのにどうして祈りをささげているんだろうかと疑問に思ったが、それを聞くのはやめた。今日会ったばかりの人にプライベートのことを聞くのは少し気が引けてしまったから。
「私たちももう年なので、子供たちの相手をする体力がなくなってしまいました。もう3年ですか……。あの子たちには申し訳のないことをしてしまいました」
壁のほうに目を向けてそう話すアントニオさんは、少し寂しそうな表情をしていた。
きっとアントニオさんにも何かしらの思いがあるから、今も祈りをささげているのだろう。
「それでユージさん。この壁画を見て何かわかりましたか」
視線を俺に向けたアントニオさんが尋ねてきた。
壁画に描かれているのが”救いの神様”だという情報が得られた以外に特に分かったことはない。俺は苦笑いを浮かべながら首をかしげてしまう。
それを見たアントニオさんは、ふふっと笑って。
「ユージさんが出てきた奇妙な壁です。ユージさんについての手掛かりがあるとすればここだと思います。もう少しじっくり見てみては如何ですか」
と言ってくれた。俺は頷き、さっきよりも細かく入念に壁を見てみることにした。
俺が壁画をじっくり見ている途中で、アントニオさんは用事があると言って聖堂から出て行った。
壁画をじっくりと見始めて数十分。女神の手が置かれている下に既視感のある模様を見つけた。
俺が家で最後に書いた魔法陣。それによく似ている気がする。胸に当てられている手の下に隠れているから、全体の模様ははっきりとはわからないけど。でも、はみ出て見える上下左右の部分から円形をしているのがわかるし、少しだけ見える模様も自分で書いたやつに似ているような。
アントニオさんは壁が光ったと言っていたし。この壁画にある魔法陣と、俺が書いた魔法陣が繋がったからここにやってきたのかもしれない。
何の根拠もないけれど、この可能性が高い。自分で勝手にそう納得することにした。
その後、また数十分壁画をじっくり見ていたけれど、これといった発見はできなかった。
壁画を見るのに疲れてベンチでぼーっとしていると、アントニオさんが戻ってきた。
「どうですか? 何かいい手掛かりはありましたか?」
「はい、まあ少しは」
「そうですか」
俺の曖昧な何とも言えない返答にアントニオさんは微笑をたたえた。それからアントニオさんは俺の着ている服を指示した。
「先ほど聞き忘れていたのですが……。私が勝手に着せてしまった服。体に合っていますでしょうか?」
服を見ると確かに家にいたときに着ていた服ではない。起きてからここまで、着ている服になんか意識がいっていなかった。そんなことを考えていたら。
「もし合っていないようでしたら、新しい服を買ってこようと思うのですが」
と申し出てくれた。
「いえ、大丈夫です。バッチリ合ってます」
今日会ったばかりでそんなことお願いするなんて申し訳ない。しかも今まで着ている服に気が付かなかったんだから、このままでもどうということはない。
白い長袖のシャツに茶色い長ズボン。ちょっとばかし地味だけれど。
「それならば良かったです。しかし、明日以降のことを考えると、もう何着かあったほうがいいかもしれませんね」
「え、ここにいてもいいんですか?」
さらっと、当然のことのようにに言うものだからびっくりした。
「かまいませんよ。正直、どこから来たかもわからない人を置いておくのは少しばかり怖いですが。見過ごせませんからね」
そう言うアントニオさんは壁画に描かれていた女神のように美しかった。もちろん美人という意味ではない。こう否定するとなんか失礼な気がするけど。
「それに、別世界というものにも興味がありますからね」
今までの笑顔とは違う、少し意地悪そうな笑顔をたたえてアントニオさんはそう付け足した。
きっとこの人はどこまでも優しい人なのだろう。まだ出会って数時間だけど、そう思えた。
でも、俺は忘れていない。というよりも忘れきれない。両親の変わりようを。その出来事を忘れない限り、心の奥底では他人を信じ切れない気がする。
アントニオさんには申し訳ないけれど。