渓流の里の夜
「お兄ちゃん!ニンジン残したらダメなんだよ!」
晩御飯の時、俺の皿を見て妹はチェックを入れる。ならば此方も返してやる。
「お前もピーマン残してるだろ」
プゥっと膨れてそっぽ向く。
「私はいーの!子供だもん!お兄ちゃんは大人だもん!」
年の離れた妹、他愛の無い日常……
――――「え?猪の剥製か?マジかよ」
俺は驚いた。民宿の玄関先に猪の剥製がドーンっとお出迎えしていたからだ。
かなりデカイ!思わず携帯取り出すと写メに納める。
猪と人生初の御対面を果たした俺は、民宿の引き戸をガラリと開けた。
あれ?民宿って聞いてたけど、食堂?か、俺は戸惑い一瞬フリーズする。
そこは、玄関ではなくちょっとした小料理屋風の店舗だった。俺が入り口で突っ立っていると、
「ハーイ!いらっしゃいませ。えっと高田さんからのお客さん?」
奥から出て来て来たのは、エプロン姿の若い女性、ってか、あのおっちゃん名字あったのか……
声パスって、一体何者?
「あっ、そうです」
「ようこそ、蛍の里に、じゃあお部屋に案内するわね」
どうやら、宿の入り口は別らしく再び玄関から外に出ると、建物の裏手へと回る。
――――案内された部屋は六畳間、開け放たれてる窓の外からは日暮のかなかなかなと、甲高い鳴き声が聞こえる。
「涼しいッスね、エアコン無いのに」
そうなのだ!部屋にはエアコンが無いのだ!あるのは扇風機1台のみ……
「うふふ、この辺りはエアコン無くても夏過ごせるの。真夏でも朝晩冷え込むんですよ。その代わり冬大雪ですけどね」
渓流沿いに建てられているのもあるのだろう、窓から入り込む川風が心地よい冷たさ、天然クーラーだな。
羨ましい限りだ。
「えっと、お食事は此方で?それともあちらで?」
お店で頂きます、俺が伝えるとその時宿帳お願いします、と彼女は部屋を後にした。
「本当に涼しいなぁー、別天地だよ」
窓から眺める風景は、見た目にも涼やかな渓流、聞こえるのは日暮の声と川の流れる音、ただそれだけ……
うん、来て良かったな。
―――――「お勧めって何ですか?」
夕食の為に店へと行ったのだが、メニューを選ぶらしく、俺は先程のお姉さんに聞いている次第、
「今なら、アマゴの定食、名物ですよ、冬ならぼたん鍋とか有るんですけどね」
じゃっそれで、と注文する。そうか、やはりぼたん鍋か、玄関先の猪が脳裏をよぎる。それにしても貸しきりか?お客さんって俺1人なのか?
一応コースになってるらしく、小鉢を運んで来たお姉さんに聞いてみたところ、渓流釣りのお客さんが多いらしく、泊まり客は週末に集中するとの事、
ということは貸し切りだな、独り占めかぁー
等と考えてると、刺身に塩焼きに甘露煮にフライにと次々に料理されたアマゴ達がやって来た。
何匹食べるのかーとツッコミながらつついてると、先程のお姉さんが宿帳を持って来た。
「食事が終わったらお願いしますねってお客さん学生さん?」
他にお客もいないので俺も1人飯は誠に寂しくもあり……なので少々話し相手になってもらおう、多分あのネタ言えば乗ってくるだろう。
「はい、大学の卒業レポートで、お大師さんのお堂調べてるんッスよ」
「はぁ?お堂調べてるの?物好きねぇ……」
はっはっはぁー、やはり物好きと来たか。次いでに色々聞いとこうかな、場所わかってないと、そりゃぁ泣きたい苦労が待ち構えているのだ……
「なので大体の場所教えてくれませんか?歩きだから分からないと大変で」
「んー説明しにくいから、平日だし、忙しく無いから車で案内したけたげようか?」
えっ?車で案内!め、女神様が降臨されたのか?それともここは狐のお宿か何かか?嫌!疑ってはいけない、このチャンスを逃したら後悔は必須だぞ、俺!
「助かります!でも何だか悪い様な」
アハハっと笑いながら、平日は暇だから大丈夫よと彼女は言ってくれる。その後は他愛の無い話で盛り上がり、予想外に楽しい夕食となった。
「ここって蛍の里ってことだし、川の水綺麗ッスから、やっぱりホタルっているんですか?」
食後のお茶を飲みながら、ふと思った事を聞いてみた。
「ん?ホタルね。いるわよ、シーズンは終わってるけど、もう少し早いと良かったのに」
残念そうに彼女は教えてくれた。この地のホタルはメジャーな「源氏蛍」ではなく、小型の「平家蛍」らしい。
そしてついでにホタルに関する伝承も教えてくれる。
「この村のホタルはね、神様のお使いなのよ、「イワガミ」様のね」
「そうなんですか?その「イワガミ」様って祠とか建てられてますか?」
俺は興味を引かれた。
ホタルがお使いの「イワガミ」様に……