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【五章】 試しの門、時と情と夢、乳白色の杖

 地面がたわみ、揺れていた。

 きな臭いようなにおいが鼻をつく。あたりを見まわしたがまっ暗だ。夢でも見ているのかと思ったところで、いきなり記憶がよみがえった。

 紙袋頭。したたかに殴られた。この揺れは頭に衝撃を受けたせいか。それはいいとしても、眼が見えないのはまずい。耳もほとんど聞こえない。起きあがろうとしたら胸に短剣を刺しこまれたような痛みがはしり、思わず声を洩らしてしまった。

「ランドルフ?」フォッテだった。やけに声がくぐもっている。突風が吹きつけてくるときのような音が短く響き、頭上から明かりが降りそそぐ。

「よかった、気がついたんだね」

「どうなってる? 紙袋頭は?」

「それは大丈夫。お腹は痛む?」

「痛みはあるが。それより明かりをどけてもらえるか」

 角灯らしき明かりが遠ざかった。

 フォッテが話しはじめる。おれは無様に気を失ったそうだ。フォッテは火の魔法が使えるようになったらしい。折れた骨が腹に刺さっていると聞いて、痛みにも合点がいった。

「じゃあ、ここは試しの門のそばか?」

「そうだよ。居心地はどう? わらは足りている?」

「革の袋かい、これは?」

「うん。シュピールさんが貸してくれたの。昔そのなかで、なんとかっていう蛾を飼っていたんだって。その蛾のりん粉には痛みをやわらげる効果があって、まだすこしは効き目があるかもしれないって」

「ヨロボイガかな」かろうじて記憶にのこっていた。以前シュピールは、肩ひもがついた革袋のなかにその蛾を飼っていた。気持が悪いから蛾を放してやれと何度か言ったが、やつは笑って首を振るばかりだった。

「そうそう、ヨロボイガだ。ねえ、痛みはどう? 苦しい?」

「どうってことないよ。居心地もいい。なあ、よく火の魔法が使えたな」

 眼を細めてフォッテがうなずく。「ランドルフがいろいろ教えてくれたからだよ。あとで見せるね」

 革袋が揺れた。

「りん粉が効くように、ここはしめておくね」

 袋の口が絞りあげられて、まっ暗になる。足もとが上下しはじめた。

 座りこみ、くちばしを肩口にあてる。全身から脂汗が噴きだしていた。飢えて兇暴になった野ねずみが腹のなかにいて、そいつが内臓を食いちぎっているような痛みだった。

 何度か気が遠くなり、そのたびに痛みで覚醒した。ふいにフォッテの声が聞こえた。

「あれかな、試しの門?」

「山みたいに馬鹿でかい、灰色の壁か?」

 そうだと彼女がこたえる。

「門について、シュピールはなにか言っていたか?」

「相手によって試す方法を変えるんだって。もし質問されたら、ランドルフとシュピールさんのことも正直に話すようにって言われたよ」

「それがいい。あいつは力くらべより問答を好む。おまえは力自慢には見えないし、まずまちがいなくなにか訊ねてくるだろう」

「問答って?」

「なぞなぞみたいなものだよ。あいつは嘘を見ぬく。だから正直にこたえるんだ」

 試しの門は、気に入らない者を手荒いやりかたで追いかえす。どんな者も抗えず、あの大魔法使いリョカでさえ無理に押しとおることはできないという話だった。

「詳しいんだね、ランドルフは」フォッテが言った。

「それほどでもない。昔、門を通って、街に立ち寄ったことがある。それだけなんだ」

「奈落の街は、どんなところ?」

「あとで話す。門は心の乱れも感じとる。いまはやつのことだけ考えていたほうがいい」

「そうか。そうだよね」

 それ以降、フォッテはぴたりと口をとじていた。彼女の歩調に合わせて革袋が揺れるのを感じながら、あいつとは大ちがいだなと考える。この素直さが幸運を呼びこむか、それとも裏目に出るか――どちらもありそうな気がした。


 視界がさえぎられているから定かではないが、フォッテはゴドルフィン街を横断するのと同じぐらいの距離を歩いたと思う。そのあたりでいきなり、周囲の革がびりびりと振動した。

『何者か?』落雷の轟きに似た大音声だった。

 静寂がもどってから、フォッテは声を張りあげた。「フォッテ・アインタルトです」

『どうやって、ここまできた?』

「魔法陣を通ってきました」

「出してくれ!」袋の口に向かって叫んだが、門の声にかき消されてしまった。

『娘、おまえは魔法使いか?』

「はい」

『この世界へ通じる魔法陣を、組むほどの腕があるとは思えんが』

「はい。師匠の魔方陣を通ってきました」

『師匠とは?』

「シュピールといいます」

「フォッテ! ここから出してくれ!」

 ようやく袋の口があいた。顔を出す。紫色の空が見えた。月も星も見あたらない空に、朧月のように輪郭がぼやけた巨大な灰色の渦が浮かんでいる。まるで中心部に吸いこまれてでもいるように、何層かにわかれた外周がそれぞれ独立して回転している。

 禍々しい楕円から視線を外し、正面へ向けた。そびえ立つ壁はあまりにも高く、頂きはかすれて見えない。左右も同様で、どこまでも屹立する壁がつづいている。

「痛くもない腹を探られるのはごめんだから、先に伝えておく。ご覧のとおり、こちらはふたり連れだ。ただしおれはカラスの身、試す価値があるとは思えんが」

『それはわれが決めることだ。こちらへ』

 フォッテが壁に近づいていく。十歩ほど離れたところでとまった。

 古い大理石のような質感の灰色の壁に、いきなり男の顔が浮きだした。視線の高さは二階だての家屋のひさしほど。顔の大きさはフォッテの背丈ほどもある。がっしりとした顎を突きだし、まぶたを半分とじている。以前おれが眼にしたときと同じく、歩兵に支給されるようなのっぺりとした兜を装けていた。

『ふん、筋は悪くなさそうだ』

 巨顔の周りの壁が、音もなく変色していく。上部がアーチを描く門の形になった。

『なぜ、ここへ?』声を発するときも、巨顔の口もとは動かない。

「彼の怪我を、パウロさんに診てもらうためです」

『ふん――』ややあってから、門が言った。『いまからひとつ尋ねる。心してこたえよ。こたえによっては追いかえす』

「そのまえに、ランドルフを袋にもどしてもいいですか? 彼はひどい怪我をしています。この袋は痛みをやわらげます」

『かまわん』

「おいフォッテ、いいんだ。おれも――」

「だめ。わたしは大丈夫だから」

 頭をおさえつけられた。彼女が袋の口をとじてしまう。

『では、尋ねる。山ほどの金塊より価値があり、他人に譲りわたすこと叶わず、追えば逃げ、退けば消え、おまえに始終まとわりつき、眼には見えず、音はたてず、においも味もない。おまえにとってこれはなんだ?』

 袋の壁がこちらへ迫ってきた。身を硬くしたフォッテが、めまぐるしく頭を回転させている――それが革ごしにはっきりと伝わってくる。

『早くこたえよ。これはなんだ?』

「もう一度、問いを聞かせてもらえますか?」

『ならん。早くこたえよ』

「質問がひとつ――」

『ならん。五つ数えるあいだにこたえなければ、おまえらをもとの場所へもどす。ひとつ、ふたつ』

 よっつ、と試しの門が言ったところで、フォッテは口をひらいた。「時間ですか?」

『なぜ吾に尋ねる。おまえのこたえを訊いている』

「では、こたえを変えます」

『ほう』

「目標です。わたしのこたえは。夢と言いかえてもいいですが」

 わずかの間があった。試しの門がふたたび尋ねた。『おまえには、それがあるか?』

「あります」

『それはなんだ?』

「できれば口にしたくありません。恥ずかしいから。でも、言わなければここを通してもらえないなら――」

『いや、いい』

 暗い袋の底でおれは胸を撫でおろしていた。かすかにではあるが、門の声にはたしかに笑みが混じっていた。

『カラスにも問う』

「あけてくれ、フォッテ」

 袋の口がひらく。顔を突きだして巨顔を見あげた。

『おまえにとっての罪を七つあげよ』

 すこし考えてから、おれは口をひらいた。「裏切り、強欲、傲慢ごうまん、嫉妬、卑屈、欺瞞ぎまん、いまいくつだ?」

「六つ」とフォッテ。

「なら、七つめは非力だ」

 巨大な顔が目を細める。『ならば、おまえは罪人ということになるな?』

「ああ、そのとおりだよ」

『罪を背負っていると認める者を、吾が通すと思うか?』

 きっとここが正念場なのだろう――腹に力を入れると激烈な痛みが弾け、のどもとまで悲鳴がこみあげてきた。「正直にこたえたまでだ。あんたに嘘をついてもしかたがない」

『自身にここを通る資格があると思うのかと、吾は問うている』

「――それはあんたが決めることだろう」

 五つ数えるほどの間があった。なんの前ぶれもなく巨顔の頭頂部から顎の先にかけて、長剣で断ち斬ったような裂け目が入った。大地を震わせながら、壁が左右にひらいていく。

『娘、もうひとつ訊く』左右から同時に声が聞こえた。

「おい、来訪者への質問はひとりにひとつのはずだ」

『かまうな。娘、先ほどの問いをおぼえているな?』

 フォッテがうなずく。

『夢と時間のほかに、もうひとつこたえを言ってみろ』

 意外なことに、フォッテは間髪入れずにこたえた。「愛情ですか?」

 今度ははっきりと試しの門が笑った。『愉快なり。あのシュピールが弟子にとるだけのことはある。通れ』

「ありがとうございます」

 また袋のなかにとじこめられた。彼女が歩きだす。

 ややあってから門が言った。『だがな、娘よ。おまえが口にしたもののうち、ひとつしか守れぬとしたらどれを選ぶ。最初に夢とこたえたおまえにとって、時と情にどれだけの価値がある』

 彼女がふり返ったのが、袋の動きでわかった。

「わかりません。時間は失ってもかまいませんけど、のこりのふたつはできればどちらも大切にしたいです」

『おまえの持ち時間の九割九分が失われたとしても?』

「ああ――」フォッテが短く笑う。「それは困りますね。難しい質問です」

『おまえはそれらの狭間で思い悩む存在として生まれおちた。自覚の有無に関わらず、無数の選択をくり返していまここに在る。これより先は、より厳しい選択を迫られることもあるだろう』

「はい」

『もういい。行け、正直な娘よ』

 礼を言って、フォッテは踏みだした。

 おれは強引に袋から顔を出した。門の内がわもうす暗い。だだっ広い平原に細い道がうねりながら伸びている。潜んでいる者は――少なくとも間近には――いないようだ。背後をうかがうと空まで達する壁が見えた。すでに門は消えている。

「ランドルフ、袋のなかにいないとだめだよ」

「袋の口にあごを載っけているほうが楽なんだよ。それにこっちの空気はひどくよどんでいるだろう? こいつは人を怠惰にするが、ついでに痛みも麻痺させる。ヨロボイガのりん粉よりも効く」

「本当?」彼女が探るような目つきになった。

 おれは空をあおいだ。例の巨大な渦がこちらを見おろしている。「あの門、説教くさかったな」

 フォッテがくっくっと笑う。「でも、本当にひとつしか選べないとしたら困っちゃうね」

 うなずいた。こいつはまだ時にんでいないのだ。「道ぞいにしばらく行くと街の入り口が見えてくるはずだ。気をつけろよ。荒っぽいやつもいるから」

「わかった。そうだ、これを見て。シュピールさんにもらったの」フォッテの右手が左の袖口に触れた。そこからするりと伸び出たものを見て、おれは痛みを忘れるほど愉快な気分になった。以前シュピールが愛用していた杖にまちがいない。

「おまえ、大事にしたほうがいいぞ、それ」

「うん、せっかくシュピールさんがくれたんだもんね」

「まあ、そうなんだが」口にしかけたが、やめておいた。どう話しても、恩着せがましい感じになりそうだ。

 その昔、五つの国の代表が密かに集まったことがある。連合の可能性を探るための極秘の会談だった。その席に、おれとシュピールも着いていた。シュピールはある国の代表として。おれはやつの警護のために。初日の会談は、少なくとも表面上は和やかに終わった。茶を飲みながら歓談していると、ひとりの老魔法使いが『シュピールの杖を譲ってほしい』と切りだした。断られても老人はしつこく食いさがり、しまいには自国の軍事費半年分の金塊を用意すると言いだした。

 出席者たちは、眼を丸くした。老魔法使いが指揮する国は十万人規模の軍を擁していた。その半年分となれば、兵糧だけでも途方もない額になる。シュピールのとなりで、おれは笑みをかみ殺していた。おれたちの国は小さい。軍隊も小規模だ。しかしこの老人の銭があれば一気に軍を拡充できる。まずは馬だ。それから武器。新兵は半年かけて鍛えあげよう――次々と計画が浮かんでは消えたが、シュピールのやつはいつもと変わらぬ涼しい声で『お断りします』とのたまった。

 割りあてられた部屋にもどってから、国と棒きれとどちらが大事なのかと詰めよった。『だれにでも譲れないものはある』と美貌の魔法使いはつぶやき、ふところから件の杖を取りだした。おれにはただの編みもの棒にしか見えなかったが、シュピールはうっとりとした表情で乳白色の杖を眺め、これは貴重な鉱石が原料なのだとか、どこぞの名匠の手による逸品なのだとか、特殊な魔法が一度だけ使えるとか、うれしそうに話していた。おれは説得をあきらめた。何物にも替えられないものが、そのときはまだおれにもあったからだ。

 その二日後、これといった成果もないまま会談は終わった。杖の件が原因というわけでもないだろうが、例の老魔法使いの国とおれたちの国は、そのあと次第に関係が冷えこんでいった。二国間の溝はある大戦――数万人が死に、ひとつの王朝が滅びることになった大戦――が勃発する一因となったが、それはまた別の話だ。

「軽くて、ひんやりしているの」フォッテの声が、弾んでいた。

「もう使ってみたのか?」

「まだだよ、そんな暇、なかったもの」

「試しに火の呪文を唱えてみろよ」

「ここで? 暗いから目立つよ」

 彼女の言うことにも一理あるが、角灯にはすでに火が灯っている。それに奈落の街は、おとなしくしていれば無事に済むというような場所ではない。

「いまのうちに杖に慣れておいたほうがいい。ここじゃ、襲われるときは襲われる」

 うなずいたフォッテが、顔のまえで杖をかまえる。

「待て、それじゃ近すぎる。ななめ上に腕を伸ばすんだ」

「うん。じゃあ、いくよ」

 ヘテロと唱えた途端、フォッテは短い悲鳴をあげてうしろに倒れこんだ。杖の先で、火の玉が身ぶるいをしている。大人の男が両腕で作った環と同じぐらいの大きさだ。

「一度、消しな」

 あたりが暗くなる。

「びっくりした」とフォッテがつぶやいた。

「今度はずっと小さい火を思いうかべて、やってみなよ」

 うす闇のなかに浮かんだのは、松ぼっくりほどの大きさの火だった。

「上出来だ。それを飛ばしてみよう」

「どうすればいいの?」

「石を投げる要領で、腕を振るんだ。杖を自分の指だと思え」

 踏みだしながら、フォッテが腕を振りおろす。「うわあ」と歓声をあげた。

 宙に浮かんだ火の玉は、二、三歩先でシャボン玉のように弱々しくふるえていた。みるみる高度をさげていき、地面に触れると、しぼんで消えた。

「すごい。こんなこともできるんだね」

「ほかの杖じゃ、こんなにうまくいかないかもな。帰ったらあいつによく礼を言いなよ」

「うん。ランドルフは魔法のことをよく知っているんだね」

「おれは魔法なんかひとつも使えないし、習おうとしたこともないんだ。シュピールが教えているのを、そばで見ていたことがある。それだけなんだ」

 その場所で、火を飛ばす練習をくり返した。もう充分だと判断してから移動を再開した。

 なだらかに隆起する丘を三つ越え、窪地をふたつ突っ切った。

 坂道をのぼった先に、街の入り口はあった。朽ちかけたような黒ずんだぼろぼろの丸太が二本、地面に突き立っている。二本のあいだに、やっと人がひとり通れるぐらいのすき間がある。

「これが門?」フォッテがつぶやく。

「そうだ」

 丸太にはそれぞれ太い縄が結んであり、それが左右に伸びている。街全体を囲んでいるのだろうが、たしかめたわけではない。おそらくここの住人もだれひとり、縄をたどって一周したことはないのではないか。ここにしばらく滞在すると、気怠さが体に満ちて、指を動かすのも億劫になる。街の空気がそうさせるという話だった。

「まっ暗だね」

「以前訪れたときは、ここからでもぽつぽつと明かりが見えたんだが。一応、角灯は消して、杖に火を灯しておこう。いざというときすぐ消せるからな。気を抜くなよ。襲ってくるやつがいたら、かまうことはない。でかい火を作って燃やしちまいな」

「怖いな」フォッテが、腰の高さで杖を揺らす。

「それならもどろう。とまどいや怖じ気は、ここでは命とりになる」

「行くよ」とつぶやいて、フォッテは踏みだした。

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