【九章】 ランドルフの悪夢、北方の民、禁忌の魔導書
またか、と思った。
悪夢を見るときはいつも同じだ。これは夢だとおれは気づいている。それなのに味も臭いも痛みも、焦りも苛立ちも憤怒も、そしてそのあとかならずやってくる絶望も、すべての感覚が残酷なほどに明瞭だ。
おれは居室でくつろいでいる。あとで住むことになる土中の陋屋とは比べものにならないほど広い。豪華な調度品がならぶ住まいは、王から褒美として与えられたものだった。城に併設された塔の五階を占有しているから、城下町はもちろん、その先に広がる草原もちらりと見える。
住まいを移れと命じられた日の夜、おれはシュピールの書斎を訪ねた。昇級と新居に関する決定を取り消させるためだ。いくらなんでもやりすぎだった。新しく用意された住まいは、最上級の将軍が住むべき場所だった。
「かんちがいするな」と、端麗な顔に笑みを浮かべてシュピールは言った。「おまえのためではない。周囲の者たちにあれこれ示す。そのための措置だ。王も納得しているんだから、黙って受けとれ」
「なんだ、あれこれとは」
「この国の王は、流れ者だろうが平民だろうが、武功を挙げた者をここまで厚く報いる。それがわかれば兵の士気があがる。諸国には、たった六年で一兵卒から上級将軍の位まで駆けあがった者がいることを、再度印象づける。だれもがここ数年のおまえの闘いぶりに思いを馳せるだろう。
ぼくらの国は小さい。そして知ってのとおり、劣勢の戦で勝ちきるには力と知恵だけでは足りない。運もいきおいも必要だ。『あの国にはそれらを兼ね備えた活きのいい将軍がいる』と、戦に慣れた者ほど考える。たとえば位の高い将軍などだよ。これは各国の動向に影響を及ぼす。兵の無駄死にも、時の無駄づかいも避けることができる。そう考えれば塔の部屋ひとつぐらい、安いものだろう?」
いつもどおりの、川の流れのような滑らかさだった。一応納得はいったから、黙って移ることにした。暮らしてみるとたしかに居心地は悪くない。だが本音を言えば、草原で野営をしているほうがずっと自由な気分でいられた。
三日まえに新兵の調練がひと段落した。以降、おれは暇を持てあましていた。城下町をぶらついて昼飯を食うか。それとも先に兵舎に顔を出すか。考えているところにリヨンが飛びこんできた。二年まえに従者として雇った男で、すこし抜けているところはあるが、気のやさしい、肝の据わった男だった。
「緊急招集です。軍議部屋へお越しください」痛みをこらえているような声だった。
「どうした?」
「大軍が、国境付近まで迫っているそうです」
「どこの国だ?」机の上に放りだしてあった剣を鞘ごと引きよせる。
「一国ではないだろうと、シュピール様が」
「規模は?」
「詳しいことはわかりません」
長い廊下を早足で進んだ。
すれちがう者たちが目を見はって立ちどまり、頭をさげる。無視して通りすぎた。あいさつなら、リヨンが代わりにする。
軍議部屋にはシュピールしかいなかった。巨大な円卓のわきに立ち、うつむき加減で卓上に見入っている。近づいていっても顔を上げようともしない。右手に、馬や城をかたどった駒を載せている。左手には王から下賜された、弓なりの黒くて長い杖を握っている。特級軍師の魔法使いシュピールといえば、たいていの者はその秀麗な面差しと黒い杖を連想するはずだ。だがいざというときにやつが使うのは、袖の内がわに隠し持っているほうの杖、ごく短い乳白色の杖だった。
「聞いたぞ。大軍だって?」声をかけた。
ようやくシュピールが顔を上げる。緊張と興奮のためか、頬が紅潮している。眼には白っぽい、切れるような光がたたえられていた。
「大変なことになったよ、ランドルフ」口ではそう言ったが、その顔つきはどこかうれしそうにも見えた。「これは、国が亡びかねない」
大臣たちが集まってきた。いまはぜんぶで五人だ。はじめて軍議に参加したときは十一人いた。消えた六人のうちふたりは、王の命を受けておれが処分した。密かに敵国と連絡を取っていたからだ。のこりの四人も、やはりおれが殺した。シュピールの暗殺を企んでいたからだ。
「そろっているな」深紅のマントをひるがえして、王が入ってきた。白い口ひげ。険しい目つき。黄金でできた長剣の鞘に、ごつい拳を載せている。いつもどおりだ。この国の王は、民を大切にする。臣下の言葉にも熱心に耳を傾ける。武功にきちんと報いることはおれ自身が証明ずみだ。しかし、必要があればいくらでも残酷になれる男だった。そうでなければ国の長など、とても務められるものではない。
王がシュピールのわきに立った。軍議の席では、臣下の礼を省略する。それも王が決めたことだった。「シュピール、はじめてくれ」
「はい。攻めこんできたのは北方の民、総勢およそ七万、先頭集団はすでにこちらの国境を越えました」
こちらの五倍近い規模だった。おどろきの声が同時にあがったが、まちがいないかとたずねる者はいない。シュピールが意識の一部を鳥に移して操ることは、みなが知っていた。鳥の斥候がもたらした報せで命を拾ったことも、一度や二度ではない。
「どこの部族だ?」王が訊ねた。
「鬼蜘蛛族、巨人族、氷河の民、紅蓮族は加わっているようです。過去の文献などと彼らの特徴を照らし合わせて推測しただけなので、定かではありません」
それは、責められない。北方の民が暮らす土地とこちらの国土のあいだには、広大な氷原が横たわっている。国交はない。文化も言語も異なる。たがいの領地を侵すことも、ここ数十年はなかった。伝説めいた話や、やつらを題材にした冗談を耳にする機会はいくらでもあるが、当然そんなものはあてにならない。おれ自身は、それらしいやつらと二度遭遇したことがある。どちらの男たちも腕が立った。
「狂犬みたいなものだと、思うといい」フィドルオが言った。六十を超えた老将軍は、もう前線に出ることはない。しかし殿軍に彼が腰を据えていると思えば、安心して戦場を駆けまわることができた。
「わしが知っているのは鬼蜘蛛と紅蓮だけだが、兵ひとりひとりの力は、こちらより数段上だ。そして、戦に対する考えかたが我々とは根本的にちがう。毒を使う。童を楯にもする。降伏した国に入ったあとも、目を覆いたくなるほど陰惨なまねをする」
「よく知っているな、フィドルオ」王が言った。
「若いころ、諸国をわたり歩きました。あちらにも滞在したことがあります」
「ほう、それは初耳です」カフだった。もとは隣国の貴族の出で、いまはおれの一階級下の将軍だ。自軍の兵に厳しすぎるところはあるが、戦術に明るく、指揮も的確だった。麾下三百騎の闘いぶりは、他国にも広く知れわたっている。
「敵軍には、千人規模の傭兵部隊が十ほど合流しています」
みなの視線が、シュピールに集まる。
「魔法使いはいまのところ三人確認ずみです。三人とも、ひとりで騎馬千騎に相当すると思ってください。とりわけゲッセルバウムという男には注意が必要です。彼が〈禁呪の魔導書〉を所有者している、といううわさを聞いたことがあります」
「なに?」叱責するような声をあげて、王はシュピールをにらんだ。「まちがいないのか?」
「いえ、確証はありません」
王が長々と息を吐く。彼が乱れた心を整理するのに、しばらく時が必要だった。シュピールが口にした言葉には、たしかにそれだけの効果があった。
禁呪の魔導書は、世界に五冊しかないと言われる特殊な書物だ。それを手にした魔法使いは――相応の力を持っていることが前提ではあるが――通常の魔法とは段ちがいの、異質な力を行使できるようになるという。シュピールに聞いただけだから細かいことはわからない。やつも一冊持っているらしいが、実際にそれを使うところは一度も見たことがなかった。
「もうひとつ、懸念材料があります」シュピールが言った。「国境沿いにしかけた罠が、ことごとく避けられています。敵軍は、罠の性質と位置を正確に把握しているような進軍をしています」
シュピールが考案して土中にしかけた罠は、空前絶後の規模と威力を誇っていた。だれかが足を踏みいれるとしかけ同士が連動して跳ねあがり、鉄矢や鉄球、先端の尖った丸太などが襲いかかる。陣形にもよるが、たいてい数百の兵が一瞬で再起不能になる。国境付近には、そのしくみが複雑な配置で、幾重にも埋めこまれている。
「裏切り者がいると?」暗い眼でカフがたずねた。罠に関する情報は極秘事項だ。全容を知る者はわずかしかいない。
「そうとも言いきれまい」フィドルオが、カフに笑いかける。「腕の立つ魔法使いなら、周囲の状況を細かく把握することもできるだろう。シュピール殿も、以前そうしていたではないか」
「たしかに、たしかに」オウエンが小刻みにうなずく。軍議への参加を許されている唯一の文官だ。シュピールが抜擢した。まだ若いが、現在この国の民政はほとんどこいつが仕切っている。「いまは身内を疑っているときではないでしょう。一刻も早く打つ手を考えなければ」
「それはそうだが、あせると大切なものを見おとしかねないよ」穏やかな口調でシュピールが言う。「わたしはなぜいま、ということが気になっています」
「と、言うと?」オウエンがたずねた。
「北方の民は、長いあいだこちらの土地に興味を示さなかった。それがなぜいま領地を侵す気になったのでしょう。複数の部族が同盟してまで。彼らは互いにいがみ合い、つぶし合っていたはずです。そうではないですか、フィドルオ将軍?」
「そのとおりだよ。わしが知っているかぎりではな」
「そんなもの、どこかの部族があちらを統合したに決まっている」王が言った。「もしくは飢えに飢えて手を組む気になったのかもな。向こうの族長か軍師でも捕らえたら、ゆっくり訊きだせばいい」
シュピールは口をひらきかけたが、そのまま静止した。たたみかけるように王が言葉をついだからだ。
「時が惜しい。他になにか、いますぐ話しておべきことがあるか?」卓を囲む者たちを見まわしてから、地図に視線を落とす。「よし、シュピール、軍師としての意見を述べろ」
ふた呼吸ほどの間があった。
「敵軍の特徴から、和睦は不可能、降伏すれば民は蹂躙される。敗北も同様です。五倍近い数ですが、徹底抗戦するしかありません」
「当然だ」即座に王が言った。「やつらも死に物狂いで奪りにくるだろうがな」
それについては、おれも同じ意見だった。たやすく撤退することはないだろう。七万という大軍だ。移動だけで莫大な兵糧が消える。大氷原の横断でもかなりの死者が出たはずだ。敵は、相当な覚悟をした上で攻めこんできている。負ければ民も国も、骨までしゃぶられるだろう。それこそ野犬が獲物を取りあうように、複数の部族が競いながらこの国をむしり合うのだ。
言うまでもなく、いまこの部屋に集っている者は全員処刑されるだろう。そして王族も――かっと頭に血がのぼった。王妃と王姫がどんな目に遭うか、つい考えてしまった。
「それで、どうする?」地図に見入ったままカフがつぶやく。
「相手は大軍ですから、魔法による殲滅は不可能です」
シュピールをのぞく全員が、地図へ視線を向けたままうなずいた。一度に千人程度を戦闘不能にする魔法もある。シュピールがそういう魔法を使う姿を眼にしたこともある。しかし、大規模な魔法を使うには事前にかなりの時が必要だし、魔法を使ったあとで術者はひどく消耗する。
「やはり、はさみうちかな」フィドルオがつぶやいた。
「賛成です」とシュピール。「敵を分断した上で挟撃するのが得策でしょう。分断はわたしに任せていただく。挟撃の指揮はカフ将軍、ランドルフ将軍にお願いします。両軍の規模はそれぞれ六千。場所はマルタイヤの丘がいいでしょう」
「まあ、そこしかないだろうな」フィドルオがあごひげを撫でる。
王宮の北がわには草原が広がっている。その先の森を越えるとタストラン平原に出る。平原の端に、マルタイヤの丘はあった。巨岩が無数にちらばった丘陵地帯で、騎馬のいきおいが殺される。波打つような起伏があるので、見とおしもよくない。
「シュピール、敵兵はどのぐらいに分けるつもりだ?」カフが訊ねた。
「五千でいかがでしょう?」
「五千を一万二千で挟撃か」陰気にカフが笑う。「楽だな。あそこは庭のようなものだ」
「分断の方法は、シャトリムに攻めこんだときと同じです。わたしと弟子で、透明な壁を作る。高さは象の背丈程度。剣や槍では壊せません」
最前列の兵たちが、命令もないのにいきなり止まる。当然、後方の兵はひどく混乱する。大軍は急に止まることができないから、押しつぶされる兵も出る。
「敵兵を五千に分けたら、両将軍が左右の端から襲いかかる。中央付近ですれちがい、そのまま反対がわの端まで駆けていく。姿を隠し、反転して待機。わたしたちがふたたび敵を区切ったら、再度挟撃。敵が退却を開始するまで、同じことをくりかえします」
カフ以外の全員がうなずいた。
「七度か八度といったところかな」王がつぶやく。敵が敗走をはじめるまでに必要な挟撃の回数が、ということだろう。
「戦闘中、わたしと弟子は自身に迷彩を施します。一般の兵に発見されることはまずありません。問題は、敵軍の魔法使いです」
「そいつらなら、貴殿を見つけることができるわけですね」オウエンが、言うまでもないことを口にした。まだ軍議に慣れていないのだろう。
「三人か、面倒だな」フィドルオが言う。「いくらでもやりようがある」
「そのとおりです。敵の魔法使いたちがどのような戦術を採用するか、いまの段階では絞りこめません。そこで透明な壁を作りつつ、例の鳥を百羽程度飛ばします。敵の魔法使いを発見したら――もしくはわれわれが敵の魔法使いに発見されたら――我々はその対処を優先します。放置すれば、こちらが大打撃を受ける怖れがありますから。敵魔法使いとの戦闘に入る際は、煙を吐く火矢を使い、事前に二将軍に報せます。合図ののち五つ数えるあいだは壁を死守しますから、挟撃の最中であっても即座に退却して、奥まったところで待機してください」
こちらが先に発見した場合はいいだろう。しかし、いきなり敵の魔法使いに襲撃された際、それだけの余裕があるのか。向こうは三人がかりで来るかもしれないのだ。シュピールはまだしもアリアには荷が重いのではないか――そう口にしかけたが、なんとか思いとどまる。シュピールが決めたことだ。アリアにそれだけの力があると判断してのことだろう。
「ゲッセンバウムという魔法使いの容姿は?」王が訊ねた。
「禿頭で肥満体の小柄な男です。背丈の倍ほどもある樫の杖を持っています。両将軍、戦場で彼を見かけたら、火矢の合図をお願いします。その場合もわれわれは五つ数えてから行動を開始します。ゲッセンバウムを倒したら、再度火矢で報せます」当然のようにシュピールは言った。やつは自らの魔法の腕まえに、揺るぎない自信を持っていた。それが鼻についたこともあったが、数年間にわたって行動を共にしたあとで、おれは認識をあらためた。やつはただ適切に、自分とそれ以外の者たちの実力を評価しているだけなのだ。このときのおれには、シュピールを凌駕する魔法使いがいることなど、想像もできなかった。
「物見やぐらでも建てて、見物したいところだな」フィドルオがにっこりと笑った。「禁呪の魔導書を持つ者同士の一騎討ちとは、ずいぶん派手な演しものになりそうだ。王妃と王姫も、わしと同じ意見だろうよ」
おれは呆れて老将軍を見つめた。五倍の規模の大軍が、領内に攻めこんできている。王も同席する軍議のまっ最中に、こんなくだらない冗談を口にできるのは彼だけだ。
「一騎討ちではありませんよ、将軍。わたしと弟子でかかります」
「そうだった」微笑みを保ったままフィドルオがうなずく。「アリア殿はいくつになった?」
「先月、十六になりました」
「若い者の成長にはおどろかされるな。魔法の腕はわしには測れんが、まだ眼は見えるぞ。もう立派に大人の女の体だな。この一年で、乳も尻もずいぶん張りだした」
眉間のあたりが、熱くなった。二度とあいつを下卑た眼で見るんじゃないと、相手が好々爺の老将軍でなければ食ってかかるところだった。おれとシュピールにとって、アリアは家族同然の存在だ。年の離れた妹に接するようにして、大事に育ててきたのだ。
「魔法使いとしての成長も、おどろくほどですよ」シュピールがやんわりと返す。「あれなら戦場でも、充分にわたしの補佐を務めるでしょう」
「おい、ゲッセンバウムに一騎討ちを挑まれても、応じるなよ」王が言った。「これは命令だ。ふたりがかりで速やかに倒せ」
おれとカフには口が裂けても言えないことを、王が命じてくれた。シュピールとアリアが敵の魔法使いと闘っているあいだは、壁が消える。合わせて一万二千のおれたちは、七万の大軍のまえに放りだされることになる。
「ゲッセンバウムと対峙したのち、どのくらいで片がつけられそうかな?」フィドルオが訊ねた。
「さて、そこは相手次第ですが。向こうが三人で連携すると仮定して、両将軍には百数えるあいだ耐えていただきたい」
「わかった」短くカフがこたえる。それだけでやめておけばいいのに「おれのほうは問題ない」とわざわざつけ加えた。
カフには取り合わず、おれはシュピールにひとさし指を向けた。「なあ、百をひとつでも過ぎたら、今夜の酒はおまえがおごれよ」軍議に参加するのは、これが最後になるかもしれない。そう思ったら、急に老将軍のまねをしてみたくなった。
「ランドルフ――」王が顔をあげた。眉間の縦じわが深くなっている。目つきも鋭くなっている。
一気にその場の空気が張りつめた。
剣呑な響きが混じる声で、王はつづけた。「シュピールが九十以内に壁を作ったら、おまえがおごれ。敵を潰走させたあとの祝いの酒を、おれたち五人にだ」
フィドルオが高らかに笑う。「それはいい。破産させてやるぞ、ランドルフ」
オウエンとシュピールが、控えめに微笑んでいる。めずらしくカフも笑っている。
おれはかかとを鳴らして足をそろえ、一兵卒のように直立した。「かしこまりました。そのときはみなさん、どうぞ好きなだけ飲んでください」
フィドルオが手を叩く。「さすが、他国にまで名がとどろく英雄は太っ腹だな」
おれは小さく頭を振った。生きるか死ぬかの瀬戸際なのだ。銭など惜しいはずがない。
「では、両将軍は出陣のしたくを」シュピールが言った。「オウエン、兵糧と兵器の備蓄をたしかめたい。まず無いと思うが、相手の出かた次第では戦が数日に及ぶかもしれないから」
まちがいなく半年分は確保してあると、オウエンがこたえている。
「歩兵を、どこかに集めてもらえないかな」フィドルオが言う。「両将軍が隊長を集めて打ち合わせをしているあいだ、激励してまわりたい」
はっとカフが息を飲んだ。「ぜひ、お願いします」老人のほうに向きなおり、きちんと頭をさげる。いまは好々爺然としているが、壮年のフィドルオの勇猛は半ば伝説と化していた。
「あとからおれも行く」王が剣を引きぬいた。切っ先をひたいの高さに持っていく。
おれたちもそれにならった。シュピールは杖の先を掲げた。剣も杖も持たないオウエンだけが困った様子で左右へ顔を向けていたが、結局、挙手することで代用した。
「勝つぞ。冷えきった世界にとじこもっているべきだったと、やつらに後悔させてやれ」
おう、とこたえて、おれとカフは同時に戸口へ向かった。
戦のまえはいつも同じだ。首すじが興奮と緊張でぴりぴりと痺れている。
厳しい戦になるだろう。相手は五倍以上の数で、個々の力も上だという。なにをしてくるかわからないところもある。魔法使いの件も懸念材料だ。それでも勝算はあるように思えた。王がシュピールを信頼している。自軍をシュピールの自由にさせている。それがなにより大きい。
肩をならべていたカフがまえに出た。なにかに追われているような足どりだ。
「たのんだぞ、ランドルフ」背後からシュピールが声をかけてきた。
おれは背中を向けたまま、片手を肩の上へ持ちあげた。口をひらけば、体内を駆けまわっている荒々しい衝動が、叫び声となってほとばしり出てしまいそうだった。
早く剣を振りたい、と思った。戦場で思うさま暴れたい。
前方を行くカフの背中が、どんどん小さくなっていく。
あせるな、と自分に言いきかせる。あせれば大事なことを見落とす。それは命に関わる。自分の命だけでなく、あいつの命にも。
リヨンが駆けよってきた。
「隊長を集めろ。全兵、戦のしたくだ。すぐ出動できるように」
短く返事をしたリヨンが、反対方向へ走りさる。
鎧に着がえるために、おれは自室へ向かった。




