マリエル菩薩
邪術士を招聘するために、様々な伝手を使った。
たどり着いたのは、淫魔の血を引くという占い師である。
侯爵家の権力と財力により、真の邪術士である男はついに首を縦に振った。
「お嬢様の求めるお力に、この私めでは役不足かと……。金で雇える最高の闇をご紹介致します」
マリエルという名の令嬢は釣り目を一層吊り上げて、邪術士を睨みつける。
「当代の聖女は、あまりに光の加護が強うございます。あの光を封ずるには闇そのものが必要となりましょう。かつては偉大なる魔王に仕え、黄泉の国と現世を自在に行き来し、死神すらも退けた闇の者を、お招き致します」
その男の名は、百年以上前から帝都の闇で畏怖と共に囁かれている。
黄泉歩きのガラル
黒地に赤いラインの入った禍々しいローブを頭から纏う小男である。
顔は一つ目の紋様が刻まれた仮面で隠していた。
虚仮威しの衣装にも見える出で立ちだが、纏うローブの赤いラインは血管のように脈動し、仮面からは明らかな魔力が感じられる本物だ。
珍奇な見た目を演出するには、金がかかりすぎる。
冒険者として働くこともあるが、最低限の日銭のために近辺の魔物を狩るのみだ。姿に反して実に地味な生活を送っている。
仕事の帰りに酒場に寄れば、奥まった薄暗がりの席でちびりちびりと酒を舐めていた。
顔見知りの誰かと二三言葉を交わすこともあるが、親しく話す者はいない。
そのような姿でいるため荒くれ者に絡まれることもあるが、大抵の場合、暴力的にそれは解決される。
冒険者崩れの渡世人と揉めた折、全員の両足を短剣だけで切断した。その数は十名に及ぶ。一度の喧嘩でこれである。それから、彼にケンカを売る者は激減した。そして、敬称を付けて呼ばれるようになる。
無冠無役でありながら、ガラル氏と呼ばれる。
大理石の床に立ち尽くすガラル氏は、マリエルの言葉に無反応だ。
見た目は悪魔そのものか、イカレた教信者である。だが、受け応えは拍子抜けするほどに普通であったというのに、仕事の話となると無礼に過ぎた。
マリエルは高圧的に、権勢を意のままする侯爵家の姫らしく言葉を発する。
曰く、気に入らぬ少女を呪術邪術を用いて亡き者にしたいとか。
「ふむ、邪術などを利用されずとも暗殺者を使えばよろしいのでは」
「学院には皇子がいらっしゃる。暗殺者を放つなどできぬわ」
「ほほほ、一流の暗殺者であれば学院程度は造作もなきこと。他に理由があるのではございませんか?」
マリエルは言葉に詰まった。
恋敵を処理するなど珍しい話ではない。貴族家においては、問題の多い縁談は暗殺者を放つことなど当たり前だ。本気で行うというのであれば、侯爵家とて利害が一致すればその手を止めない。
聖女とやらは平民である。となれば、縁談によりもたらされる力は後見となる教会のものとなる。手を穢さない理由のほうが少ない。
ガラル氏の仮面に刻まれた一つ目の紋様が、マリエルを見ている。
頭がぼんやりと、マリエルの意識から判断力を減じる。
「わたくしは、みずからの手で、あの女を止めねばならぬ」
絞り出すかのような声である。
ガラル氏はそれを聞いて、全身を震わせた。ローブが生き物のように、生きた魔獣の外皮のように蠢く。
「姫様の願い聞き届けました。黄泉歩きのガラル、お力になりましょう」
悪魔は取るに足りぬ望みを叶え、天使は届かぬ怨嗟を聞くのみ。そして、神は人を顧みることは無い。
真なる望みを叶えるものとは、何か。
侯爵家令嬢マリエルが姿を消した。
下手人は黄泉歩きのガラル。
魔法、神聖法、気術、精霊魔法、これらより外れたる理外の術を邪術と呼ぶ。
魔神と契約し悪魔を従えるなどが、邪術とされている。
ガラル氏から言わせれば、そんなものは邪術ではない。邪術とは肉体を変成させることから始め、生きながら理外の存在へと変成することを言う。
エルフの司祭が長い時間をかけて樹木人へと成ることが邪術に近い。だが、それは別の生命への変成であり、厳密には邪術ではない。
「ぎぎら、ぎぎら、あずでぎよ、そはか」
誉首闘羅根という異邦の神に捧ぐミョウオウシンゴンと呼ばれる呪文を唱えて、姫は滝に打たれている。
「いぐあ、おぐとろど、あい、ねんぴ、かんのん、りき」
魔が住まうとされる帝都を遠く離れた迷宮の最奥で、マリエルは行を積んでいた。
トリアナン地方における資源迷宮、ダリオの嘆き谷の最深部にある黄泉の国からの水を運ぶ滝である。
滝壺の周囲では巨大な黒竜魚と呼ばれる魔物が群れをなし、滝壺を登るマリエルの真言を、尊いものと理解して眺めていた。
滝に打たれるマリエルは全裸であった。
五穀を断ち、痩せ衰えた肉体は木乃伊のごとき有様。
ガラル氏はそれを見ている。
姫が無我の境地で発する真言は、口から漏れる度に薄く緑色に輝く古代の呪文字となって滝を遡る。
「行を積むこと二百余年、ここまで仕上げられましたか」
ガラル氏より感嘆の吐息が漏れる。
死者の無念と怨念渦巻くダリオの嘆き谷に篭り、二百年以上が経った。
六つの修行も大詰めである。
人喰いの魔物を喰らい喰らわれ、ただ生きること。すなわち畜生道に二十年。
地獄より迷い出た阿傍羅刹や邪霊との戦いに明け暮れること。すなわち修羅道に二十年。
ものを喰らおうとすれば汚泥に変わる呪いを受けて生きること。すなわち餓鬼道に二十年。
様々な人の霊と合一、または憑依して人生を追体験すること。すなわち人間道にて一〇八の魂に触れる。
不死の霊薬阿片により天上の快楽を得ながら肉から骨へと至ること。すなわち天人道にて五十年。
自らの罪を悔いるため地獄にて責苦を受けること。すなわち地獄道にて九十九年。
マリエルの真言は、地獄道の行を開始して九十九年に渡り途切れたことは一度も無い。
ガラル氏はそれを見ている。
あと数分で、百年となる。
もはやマリエルは姫ではない。そして、人でもなく、亡者でもない。
「六道輪廻の行、成就するか否か。この私をもって、予想すらつつきませぬ」
ガラル氏の言うとおり、この行を突破した存在を彼自身もまた知らない。
逃れられぬ六つの地獄から解き放たれれば、それこそが人の定めた邪術の最終点。解脱である。
時が来た。
マリエルの口から真言が止まる。
滝壺にあった木乃伊のごとき肉体から命が、存在が失われ、滝の勢いに負けて砕け散る。
黒竜魚たちは、砕けた尊い肉を貪らんと殺到する。
あれほどの行を積んだ肉であれば、高僧の生き胆など凌駕する霊薬となろう。
ガラル氏は、じっと見ている。
黒竜魚たちの跳ねる音が消えた。
彼らは水面に浮かび上がり、動きを止めている。
「……もしや」
黒竜魚の巨体が粘土のごとく折れ曲り、その形を変えていく。
「なんと、あれらは」
黒竜魚たちは畜生としてマリエルの肉を喰らったのではない。
尊き者が産まれるための犠牲として、自らその身を捧げたのだ。
黒竜魚であった肉は溶けて混ざり、滝壺に巨大な蕾を作った。蓮の花の蕾に似ている。色は真っ黒だが、そこに奇怪な色彩が蠢いていた。
滝の水流が止まる。
蕾が花開いていく。
あまりの美しさに、ガラル氏ですらそれを言葉もなく見ているしかなかった。
「六つの道は循環し逃れ得ぬと知り、魔に生まれても聖は成ると知り、顧みられぬ魔生救済と自己救済のため、菩薩としてこの世に舞い戻りました」
蓮の花に座すは、三面四腕の菩薩である。
魔から生まれた証として、その額に角を持ち、周りに鬼火を揺らめかせていた。
なんと恐るべきか、魔より生ずる菩薩とは。
邪術の先にあるものもまた救済であり、魔に生まれ魔に還ることを憐れみ救うため苦界に舞い戻る。
「よくぞ、よくぞここまで。姫様、このガラルをもってしても、言葉にできませぬ」
「ここまで来れたのも、そなたの導きがあったからこそ。魔に生まれし衆生を救わねばなりませ……ぬ?」
「どうなされました」
「何か重大な、間違いがあるように思えますが、今となっては些細なこと。帝都へと戻ろうぞ」
「ではこのガラル、姫様の馬となりましょう」
「よしなに」
ガラル氏は自らの肉体を肥大化させて、馬というよりは巨大な蜘蛛のような形に姿を変える。
マリエルは宙を歩いてその背に座した。
この日、強大な魔物がダリオの嘆き谷を駆け抜けた。
六道輪廻の邪法は、地獄界で行われる。そのため、現世での時間は一年に満たない。
公的には数か月失踪していたとなったマリエルは、両親を溢れんばかりの魔力で魅了し事なきを得て、学院へと戻ることとなる。
久しく戻りし帝都は、なんと魔の怨嗟に満ちることか。
マリエルは哀しみつつも、学院制服を纏うと早速とばかりに魔生救済を行う。
帝都の地下に潜んでいた屍喰鬼たちを手なづけ、下男として雇い入れることから始まった。
人を喰らって生きる性とは、修羅道と餓鬼道そのものである。
罪穢れに満ちるものを喰らい、天に許しを願う生き方をすることを説き、空腹に潰されぬよう黄泉の国より視肉を召喚し分け与えた。
視肉とは、肉の塊に瞳の付いた生き物である。味は人間の肉そっくりだが、肉片一つあれば増えていき、死ぬことの無い黄泉の生物であった。
『姫様、我らの菩薩様、この大恩に報いまする』
「ほほほ、屍喰鬼に生まれたからといって苦しむ必要は無い。苦しみは天に通じておらぬ。ただただ地獄に通ずるものと知れ」
屍喰鬼の寿命は長いが、その大半は身体が震える病にかかり狂死する。それは、人間という近似種を恒常的に喰らうことにより発症する病である。
屍喰鬼の業病は、マリエルのもたらした視肉により根絶された。
このような善行を行った生き菩薩に感じ入り、屍喰鬼はマリエルに帰依した。
マリエルの移動の際には、四人の屈強な屍喰鬼が輿を担ぐこととなる。
そのようなことがあり、通学についてはガラル氏が送迎することはなくなった。
屍喰鬼たちの担ぐ輿に座して、マリエルは学院へ通っている。
輿を作る際には屍喰鬼たちが特に力を入れて、金銀秘石を用いて邪神像やマリエル菩薩像で飾り立てた。
学院では以前にもまして恐れられたが、人当たりはよくなり、かつてのような子供のいじめは行わなくなった。
都市に潜んでいた吸血鬼たちに吸血というものの愚かさを説き、その嫋やかな指を用いて牙を引き抜いて回る。
吸血の苦しみからの解放により、一層の信徒を獲得した。
件の聖女様もこれには大いに感激され、仲直りをしたと嬉しそうに菩薩は語ったという。
ガラル氏も自らに依頼された仕事が上手くいき、上機嫌でしばらくを過ごした。
陰に潜む魔の生物に救いをもたらす様は、まさに生き菩薩。
死霊術士や邪神の信徒たちもまた、マリエルに帰依した。
順風満帆とは綻びの生ずるものである。
「淫祀邪教を流布し、魔物を使役した罪によりマリエル某を死罪とする」
出る杭は打たれるという言葉もある。
善行を行い生き菩薩となったマリエルは、皇帝陛下より死罪を言い渡された。
すでに侯爵家からは勘当を言い渡されており、家名は某と表現されている。
捕縛され、陛下のおわす水晶宮に引き出されてなお菩薩は笑みを絶やさない。
その全身を、神々の鍛えた縛妖鎖で縛られてなお、菩薩の笑みがあった。
「陛下、あまねく世に光はあれど、魔より産まれた者に光は当たりませぬ。このわたくしめは、邪術により魔生救済の菩薩と成りました。救済の何をもって悪とされまするか」
幾多の神剣神槍を向けられてなお、マリエル菩薩は朗々と言った。
「魔と人は相容れぬと知れ。勇者よ、苦しまぬよう首を落とせ」
「この首を御所望であれば、落としてみせなされませ」
神より与えられたという神剣を携えた勇者が、その鋭い切っ先を向けた。
ガラル氏もこれは黙っていられぬと、短剣を手に菩薩の影より這い出ようとするも、それは当の菩薩に止められる。
(姫様、ここは私に)
(ガラル氏、ここは手出し無用にて)
勇者は油断なくマリエルに近寄り、裂帛の気合と共に神剣が振るわれた。
一閃にて、その首がころりと落ちる。
血は、流れなかった。
「これにて、処刑は完遂されたものとする。マリエルの亡骸は」
皇帝陛下の言葉がそこで途切れた。
「ほやほやほや、お許しを頂けるとは、帝国臣民でありましたマリエルはここで死したということと受け取らせて頂きまする」
ほや、とは笑い声である。
縛妖鎖は錆びて朽ち果てる。
落ちた首がそのように言って、生き別れた胴体が四本の手を出現させて首を拾い元あった位置にのせた。
本来の姿である三面四腕の姿となったマリエル菩薩は、魔力と観音力を現出させて屍解してみせたである。
菩薩の影より蜘蛛の形となったガラル氏が這い出る。
「首を落として死なぬとは、あの魔物を討て」
皇帝陛下の檄に勇者が走る。しかし、神剣は菩薩の手により受け止められた。
「人の神の打った剣であれば、菩薩となりしこの身に傷はつけられまい。ガラル氏や、魔生救済に参ります」
勇者の剣を土くれに変えた菩薩は、茫然自失の有様の勇者を害さない。ただ捨て置くのみである。
「お任せあれ」
巨大な蜘蛛に座す菩薩は、帝都を脱する。
屍喰鬼や吸血鬼、果てはオーガにまで信仰されるマリエル菩薩は、生き菩薩としてこの後を生きた。
ある時は、王朝に反する賊徒の首魁が奉ずる神としてその名が用いられた。
ある時は、魔王の復活にあたりその血をもって神々の封印を解いた。
ある時は、魔王が魔道に堕ちたとしてその命を奪った。
魔生救済の菩薩マリエルは、新たに生まれた邪神の一柱である。
黄泉歩きのガラルが、現在の主に茶飲み話として語った話である。
「いや、ちょっとした茶飲み話でやるような内容じゃないでしょ、それ」
畜生
なんだこの痛みは
ちょっと歩くだけでいてぇ
なんだこの痛みは
病院もすぐ追い出しくさって
マジでいてぇ