第4話 異世界の現状
「見知らぬ天井」
ふと目を覚ますと、自然とその言葉が出てきた。
あれからどのぐらいの時間がたっているんだろう。
今までの疲れがないと思えるほど体が軽い。
首を鳴らし、けのびをする。
体に異常がないことを確認してから布団を出る。
そろ~と扉を開き、廊下を進み始める。
向かうは昨日のリビングらしき部屋だ。
廊下の左右にはいくつもの扉があった。
外から見たときはそれほど大きな家じゃなかったはずだが、どうしてこんなに扉があるんだ?
疑問を抱きながらも、こういう扉を勝手に開くとやばい展開になりそうな気がしてならない、見て見ぬふりをしてリビングに直行する。
てっきりそこには不審者、もとい美少女がいると思っていたが其処には誰もいなかった。
朝のリビングに誰もいない。なんか寂しいな。
静謐な部屋には何かが活動しているであろう荒々しい音が微かに入ってくる。
どこに行ったのかと疑問に思っていると、後ろから足音が聞こえてきた。
噂をすればなんとやら。
振り返るとそこには昨日のような黒い外套ではなく、ワンピースの上から白いカーディガンを羽織っているカルラさんの姿があった。
「おはようございます佳南さん。今から朝食を作るので少し待っていてください」
「わかりました」
カルラさんはリビングから見える位置にあるキッチンに小走りで移動し、エプロンを身に着けて朝食を作り始めた。
俺は何の説明もなく料理を始めたカルラさんに困惑しつつも、言われた通り席について大人しく朝食が来るのを待っていた。
昨日までの俺なら、今この瞬間も警戒を怠らずに張りつめていただろうけど、今は寝起きのせいなのか呆けている。
多分こんなにも気が抜けているのは、俺がカルラさんのことを幾分かは信頼できる相手だと思ったからだろう。
命を助けられた上、ここまで待遇してもらっておいて何を偉そうに言っているのか。
自分の小ささに苦笑しつつ、キッチンに目を移す。
それにしても、昨日は眠気のせいでよく見ていなかったが、カルラさんって本当にかわいいよな。
あの肩を撫でている金髪。染めてある金髪は何度か見たことあるけど、あそこまで艶やかな地毛は見たことない。それに緑眼。変わった色の髪や目を見ると、社会的にあり得ないということで忌み嫌ってしまうことがあるらしいが、カルラさんからはそんな感情一切沸いてこない。むしろ見ていたいぐらいだ。
謎の土地で出会った最初の女の子は大体ヒロインになるというのが相場。
此処がどこだかまだ分からないが、仮に異世界だとしたら俺のヒロインはカルラさんとなるに違いない。多分俺の中に潜んでいる何かしらのチート能力で、彼女とあーだこーだした末に恋に落ちる、という展開になるはず。
そう、俺のいた世界とは全く違う世界で――――――。
妄想に浸っていると、いつの間にか完成していた二人分の朝食を手に、カルラさんが近づいて来た。
「出来ました。お召し上がりください」
目の前に置かれたのはコーンポタージュのスープと、やけに厚くスライスされたパン。
スープから漂うコーンの仄かな風味とパンの香ばしさに鼻腔を擽られ、腹の虫が鳴き生唾を飲む。
連日寝ていただけの俺は、何の躊躇いもなくパンをスープに浸す。すると、パンがスープを吸水し、瞬く間に縮んでいく。しみ込んだスープ
がポタポタと音を鳴らして零れていくのを耳で数瞬堪能して後、勢いよくパンを口に含む。
パンにしみ込んでいたスープの旨味が口全体に広がる。
スープの温かな甘味のを味わっていると、新しい食感が顔を出した。そう、スープに浸されていない部分のパンだ。
少し固焼きに仕上がっているそれは、深みのあるパン本来の旨味を覗かせつつ口の中のスープと絡まりながら段々と綻んでいく。噛み締める度に含んだ弱くなっていく触感に若干寂しさを覚えつつゆっくりと飲み込む。
乾いていた食道が喜びを上げているのが分かる。温かな感触は胃の方に進むにつれ体全体にしみ込むように消えていった。
「うまい」
無意識に口から言葉が零れ落ちる。
すぐさま次のパンをスープに浸しまた口に含む。
そこからは夢中でパンを浸した。
パンが無くなればスープを飲んだ。
歯を合わせれば、口全体を満たしているスープの中で、旨味の凝縮されたコーンが破裂する。
これほどうまいものを食べたのは久しぶりだ。
一枚、また一枚と消えていくはずのパンは、気が付いたらまた増えている。
きっとカルラさんがおかわりを持ってきてくれているのだろうけど、そんなことに気が付かないほどに、俺の意識は食事に向いていた。
ズズッと音を立てて紅茶のようなものを一口飲む。
我を忘れるほどの朝食にありつけた満足感に浸っていると、カルラさんがコップに紅茶のようなものを注いでくれた。
「御口に合っていたようでよかったです」
「ご馳走様でした。こんなにもおいしい朝食を食べたのは初めてですよ」
「それはさすがに買い被りすぎです」
「いやいや、お世辞なんかじゃありません。うちの母親の料理なんかより……よっぽど…………」
顔に貼ってあった笑顔が崩れていく。
徐に腕を膝の上で組み、その上に額を乗せ、過剰なまでに俯く。
眺めていた地面の木目がぼやけて入りことに気が付き、瞬きで直す。直したはずの視界がまたぼやけていることに気が付きまた瞬きをする。
それを何度も何度も繰り返す。
心が落ち着いてきたことを理解して、ようやく顔を上げる。
窓の外を見れば、見たことのない馬が眠っている。見たことのない植物が天に抗うように伸びている。見たことのない植物が花びらを揺らしている。
耳を澄ませば、聞いたことのない呻き声が聞こえてくる。枝が折れる音が聞こえる。
それらに落ち着かせたはずの心が再びざわつきを取り戻す。
自分の胸を押さえ深く息をつく。
黙って俺を見ていたカルラさんの視線と俺の視線をしっかり合わせる。
そして問う。
自分が一番聞きたいことを。
そして聴こう、自分の現状を。
「カルラさん。少し変なことを聞いてもいいですか」
「なんでしょう」
「ここは……どこですか」
「『常世』と呼ばれる世界です」
「そう……ですか。戻月ではないんですね」
「はい」
そっか、やっぱり違う世界なのか。
「戻る方法はないんですか?」
「今のところ、世界を渡る方法は公表されていません』
彼女は驚いた表情も困った表情もせずに、淡々と答えた。
一番知りたかったことを聞けた。ここは常世と呼ばれている世界、つまり俺のいた戻月とは違う世界ということだ。
手で目を覆い、一頻り俯き、わかっていたことだろ、と自分に言い聞かせる。
「よし」
「他に、質問はありませんか?継続者の稲月佳楠さん」
漸く人に見せられる顔になった俺にカルラさんは謎の単語を持ち出した。
継続者? なんだそれ?
困り顔になっている俺に彼女は説明してくれた。なぜ彼女はこんなにも落ち着いて、俺と接することが出来るのかを。いつも通りの淡々とした口調で。
曰く、この世界は常世と呼ばれ、生きている者と、亡者と呼ばれる死んだ者が暮らす世界だと。
曰く、亡者には継続者と転死者の二種類があると。
曰く、常世は崩壊を始めていると。
とまぁ大体こんな感じだ。
ここ常世はファンタジーな生き物が暮らしている想像通りの異世界だ。少し違うのは死んだことのある人がいることだ。
継続者はこの世界で生を持つを指し、転死者はこの世界で生を持たない死者を指す。
簡単に言えば、継続者は死ぬ寸前の生きた状態のままこの世界に転移した者のことで、食欲もあるし睡眠欲もある、成長もするし死にもする、生殖能力だってある、生きていた時と何も変わっていない状態らしい。
反対に転死者は死んだ状態でこの世界に転移した者のことで、食欲も睡眠欲もなければ、成長もしないし死にもしない、所謂不老不死という奴らしい。
転移者を割合的に言えば、継続者九割が、転死者が残りの一割だそうだ。
では、そんな生きている状態で第二の人生が始まったと理解できた亡者がとる行動は何か。
死んでなお、生きてる時となんら変わらない。
醜い欲望のために貶め合い。圧倒的理不尽なの種別。力ある者による恫喝。
もちろん全員が全員そうしているわけではない。
むしろ死んだ者同士仲良くしようという人の方が多かった。
そんな人たちが尽力してくれたおかげで、争いは治まり、ほとんどの種族が良好な関係を築くことができた。
だがそんな平穏となった世界を脅かすような現象が起き始めた。
それこそが常世の崩壊。
この現象についても謎が多く、なぜ起こったのか、何が原因なのか、どこから始まったのかは全く解明されていないらしい。唯一分かっていることがあるとすれば、崩壊した土地、通称『壊落地』に存在する全てが朽ち果てるということ。
建物は崩壊し、大地は枯渇し、草木の生えることのないその地で、生物が生きていく術はまだ見つかっていないらしい。
学者たちは死に物狂いで解明を急いでいるそうだ。
ここまでのことを要約しよう。
俺はやはり死んでいて、異世界に流れ着いたと思ったら、世界が終わりを迎えようとしている。
うん、やばいね。
まだよくわかってないけど、取り敢えずヤバそうなのはわかる。
死んだ者の世界だから、地獄という表現をしたのもあながち間違いではないな。
やはり俺の願いに応えてくれたのは閻魔大王様だったらしい。
できればもう少し過ごしやすい世界に行きたかったが、嘆いていても仕方がない。
問題なのはこの世界がいつを終焉を迎えるかだ。
「あとどのくらいで常世は崩壊するんですか?」
「それはまだ分かっていないそうです」
なにも解明されていないんだから、侵攻状況が分かるはずもないか。
いつでも滅亡する可能性のある世界。
まだ、カルラさんの言っていることが真実かどうか分からないが、現段階ではそういう状況だと仮定しておこう。
想像以上妄想未満の異世界に深いため息を漏らしつつも、俺の顔は笑ったままだった。
米かパンかと言われたらパン派。