第26話 錯綜
「カルラさんが本気を出したって一体……」
「そのままの意味だ。行くぞ、掴まれ」
覚束ない足取りを徐々に整え加速するエルドさん。
目的地がどこだか分からないが、少なくともカルラさんと合流しようとしていた進行方向ではないのは確かだ。
しかしそれについて理解していても、言及できる程の余裕が今はない。
先程目の前で起きた、いや、俺の身に降り注いだアレは何だ?
確実に自然現象ではなかった。
突風はギリギリいいよまだ。突発的な風はよくあるし、日本でも設定されていた。
だけどあの息苦しさは説明のしようがない?
呼吸そのものが出来なくなったようなあの現象。
首が絞められるような痛みはなく、ただ無慈悲に呼吸を止められたような、そんな恐怖。
自然的には起こり得ないし、この世界の特殊な気候とも思えない。
そしてエルドさんは言った、「娘が本気を出した」と。
即ちカルラさんがさっきのアレを起こしたと。
ありえない。そう考えたいが、思い当たる節が幾つかある。
例えばカルラさんと鬼ごっこ的なやつをした時だってそうだ。
当てようとした草とか枝が全て流されていた。
カルラさん風を操るみたいな魔法を使える可能性。
じゃあなんでカルラさんは俺たちを巻き添えにする程の魔法を――――――
「―――小僧! 何を不抜けている!」
エルドさんの焦燥の篭もった怒声で、やっと戦場に意識が戻る。
「どうしたんですかいきなり?」
「まずいことになった」
「まずいこと?」
戦場においてのマズいことは、本気でマズい。
早急に対処する必要がある。
「何がまずいんですか」
「奴らが来る! 伏せておけ」
掛け声と同時にエルドさんが地面を蹴り上げた。
体が置いて行かれそうになる程の負荷になんとか堪え、姿勢を制御する。
奴らって……まさか。
エルドさんの言葉に嫌な予感がして背後に注意を向けると、予感通りそれはやってきた。
後方から放たれた矢に、周りには聞こえない程の低く小さい悲鳴を叫びながら、反射的に体を背ける。
矢は俺に当たることはなく通り過ぎ、バスッと音を立てて右脇の地面に刺ささった。
あぶねぇ。ていうかなんでこいつらがいるんだ。
撤退したはずじゃなかったのか。
矢が飛んで来る方向に視線を巡らす。
次々と姿を現しては矢を放つ敵兵からは、撤退する様子を微塵にも感じられない。
鉢合わせって感じでもないし、エルドさんの予想は間違いだった?
となればさっき金髪の大声は、多分罠か。
罠だったら一応の説明はつくな。
あぁ、してやられた。
まんまと攪乱させられた。
自分の不甲斐なさと相手の狡猾さに、眉を顰めながら雑に息をはきだす。
あの叫びは誰だって信じてしまう。
今は過去を顧みている暇はない。
落ち着け、現状に集中しろ。
カルラさんがいない今、エルドさんを支援できるのは俺だけだ。
カルラさん程とはいかなくても、せめて後ろからの攻撃くらい担当しろ。
考えろ。
今までの相手を見るに、隠れながらのヒットアンドアウェイを繰り返していた。
それならきっと……。
路地や窓、扉などの家の隙間に意識を向ける。
……ビンゴ。予想通り右後ろの二階から弓矢を構えていやがる。
「エルドさん! 右後ろから――――――」
すぐさま伝えようとするも、言い終わる前にエルドさんが大きく右に動いたことで口を閉ざされる。
後ろを向いていたこともあってか、僅かに体勢を崩すが直ぐに修正する。
エルドさんが動いた理由は単純で、放たれた矢を避けたのだ。
ただその矢は俺が注視していて敵からの攻撃ではなく、左後ろ、反対からの攻撃。
ちっ、そっちにも居たのか。
いや、よく見れば二人だけじゃない。
一階にも一人潜んデッ!
全身を叩きつけられるような痛みと同時に、ブンッと空気を裂く音が耳をなでる。
真横から水平に飛んできた矢をエルドさんがすばやくしゃがむことで回避したのだ。
目を見開きながら、矢の通り過ぎた方向を眺める。
少しでも体を起こしていたら終わりだった。
ゆっくりと目線を正面に戻し、矢が飛んで来ている方向に視線を巡らす。
右、左、右、右、二本同時、みぎ、じゃなくて左かも。
横にいるなんて全く気づけなかった。
今だってそうだ。
エルドさんが避けてくれてはいるが、俺では全て捉えることが出来ない。
カルラさんいないだけでここまで変わるのか?
先程よりも迫り来る危機的場面に疑問を抱く。
違う。カルラさんがいないからじゃない。
カルラさんの指示はここまで早くなかった。
それに敵だってこんなにも一斉に仕掛けてこなかった。
もっと散らばっていたはずだ。
それなのに、どこにいっても攻撃の勢いが絶えない。
確実に敵の数が多くなっていると考えて良いだろう。
だがカルラさんの方に十人はいたから分散しているはず。
何人かエルドさんを追っかけてきたのか?
だとしてもも多いような……まさか!
「エルドさん! カルラさんの元に向かいましょう!」
最悪の予感が頭をよぎり、エルドさんに大声を飛ばす。
しかしエルドさんが何か言いたいのを躊躇しながら、とにかく敵を振り切ろうとしている。 なぜ返事をくれないのかと疑問に思っていたが、エルドさんを凝視している内にはっと気づく。
何を大声で叫いているんだ俺は。
敵に聞こちゃ実行出来るもんも出来なくなる。
失言だ。なんで言ってしまったんだ。
自分の不甲斐なさに苛ついき、目頭が熱くなってくる。
あぁぁ! 切り替えろ!
敵に知られてしまった以上、新しい作戦を考えないと。
躍動するエルドさんと一体になるようにくっつきながら、荒い呼吸に混じって少しだけ深い呼吸をし、唾を飲み込み思考を巡らす。
大丈夫、エルドさんなら俺なんていなくても避けてくれる。
考えろ、まず最優先事項はなんだ。
決まっている、三人で生き残る事だ。
そのための第一目的は、カルラさんとの合流。
さっきのアレがカルラさんの魔法なら、カルラさんはきっとまで生きてるはず。
だけど直接行くことが出来ない。
……待てよ、行けないことはないか。
敵を撒くのが厳しいなら、カルラさんを助けつつも逃げた方が手っ取り早い。
それがいいな、それがいい。よしそうしよう。
結論がついたのでエルドさんに報告しようとする。
今度は敵にバレないよう、体をくっつけたまま慎重に顔を近づけて耳打ちする。
「エルドさん、やっぱりカルラさんと合流しましょう」
確実に伝えることが出来た。
あとはエルドさんの反応を待つのみ。
自然と鼓動が高鳴り始めたことに気づく。
自分の出した決断は正しかったのか、肯定してもらえるのか心配しているのか。
俺も案外ヤワだよな。
笑えない状況下で強がりまがいの苦笑いをする。
「小僧よ、お前はさっきから何をぶつくさと言っているんだ」
無愛想な返事。
口端を上げたままピシャリと固まった。
否定、否定だよな。
これは否定だ。
そうか……エルドさんは違う考えなのか。
なんだか切なくなってくる。
「娘と合流すると言っても、肝心な娘の位置が……」
エルドさんは言葉の途中で口を噤むと、何かに注意を向けるよう顔をしかめながらゆっくりと止まった。
「どうしたんですかエルドさん」
狙われてるのに止まるなんて。
敵は直ぐそこに居るんだぞ。
「エルドさん、エルドさん!」
エルドさんは一向に反応を示さない。
「エルドさん! エルドさんどうしたんですか!」
何で止まってるんだ、早く進んでくれ!
頼みの綱が切れたような焦りが胸にこみ上げる。
どれだけ怒鳴りつけてもエルドさんの歩は進まない。
俺の声が空虚に反響するばかり。
……おかしい。
自分の残響に違和感を覚える。
エルドさんが止まってから、あれほど猛攻をしていた敵の攻撃が飛んできていない。
恰好の的のはずなのに、なぜ攻撃してこないんだ?
敵が隠れていそうな場所を見るも、出てくる様子がない。
これは……敵がいない?
敵の気配がない。
どうしてだ、また罠か?
疑心を抱く俺の耳に、ある音が届く。
耳に神経を集中させ、じっくりと聴いてみる。
この音は……。
聞き覚えがあり、そして記憶に新しくもある音に胸がざわつく。
風、それも途轍もなく巨大で恐ろしい突風。
さっき起きたあの風と同じ音。
カルラさんだ。
カルラさんの魔法だ。
魔法を使えるほどには無事という歓喜と、なぜあれほどの魔法を使っているのかという不安が渦巻く。
カルラさんに何が、え?
「小僧!」
気がついた時には体がエルドさんから離れており、地べたに転がっていた。
刹那の時間も満たすことなく目の前に剣が振り下ろされ、ザッと地面に切れ込みが刻まれる。
突き刺さった剣を辿るようにして視線を上げる。
……金髪。
なんでお前がいるんだよ。
剣のグリップを握った金髪が、また卑下するように嗤っている。
そこまでされてようやく理解できた。
俺たちが風の音に気をとられている隙に金髪が襲いかかってきたのをエルドさんが避けたのか。
どうする。
どうすればいい。
エルドさんは金髪の後ろ。
逃げるか、逃げられるのか。
どうする、どう来る。
頭ではどうにかしようと思っていても、体が動こうとしない。
「面白い顔をしているな」
金髪が言葉を発すると同時に、エルドさんが折り見て金髪の背後に接近を試みる。
「いッヅ!?」
察知した金髪は剣を地面から引き抜くと、俺の顔面に蹴りを入れながらエルドさんから距離をとる。
鉄の壁にぶつかったような鈍痛鼻からが肩まで駆け巡る。
いっでぇ!
いでぇ、やばいやばい。
鼻折れてるかも。
鼻を押さえていた手を見ると、布にしみ込んだ毒のように赤い血がべっとりとついている。
あ、あぁ……。
体験したことのない出血量。
だが見たことはある。
あの時と同じ、あの色だ。
忘れてはならないが、思い出したくない。
そんな記憶が脳の底から遡る。
「はぁあっ、はぁあっ、はぁあっっ、はぁぁあ、あぁはっ」
息が荒くなり、痛み意外に意識が向かなくなる。
「小僧! しゃんとしろ!」
またしてもエルドさんの叱咤で醒める。
「敵の前で隙をみせるな! 死にたいのか!」
そうだよ、そうだよな。
大丈夫だ。これはただの鼻血だ。
あいつのより、よっぽど楽だろ。
力尽くで自分を鼓舞する。
目頭にたまった涙を拭いながら立ち上がる。
「はっ、仲の良いこった」
金髪が馬鹿にするように呟いた。
「なぜ貴様がここにいる」
エルドさんが牽制するように質問する。
俺も気になっていた。
カルラさんの相手をしていたはずなのに、なぜここに居る。
金髪は挑発するように剣先をエルドさんにむけて答えた。
「お前の首を獲るためだ、エルド卿」
金髪の言葉に引っかかる。
エルド卿?
エルドさんのことを言っているのか?
いや、喋る一角獣がただの動物だとは思ってなかったけど、卿?
卿ってあの貴族とかが使ってる、卿?
「ふむ、なるほどな。判ってきたぞ」
今の一言で何が判ったんだ。
今日だけでも俺にとっては新しい情報が増えるばかりなのに。
「それで、娘はどうした?」
金髪はフッと鼻で笑うと、剣を構えた。
くるのか。
俺も弩を構える。
金髪の鋭い敵意に体が震える。
武者震い、なわけないよな。
金髪は剣を上段に構えると、敵意が殺気に変化した。
「アーチェ・エカミリスのことだがなぁ」
言葉を区切ると、金髪はグッと力をためるように腰を落とした。
暴風は段々と近づいており、建物が揺れてるような音が聞こえる。
「ここだ!」
雄叫びとともに一踏みでエルドさんの目の前まで詰め寄ると、その勢いを剣にのせて振り下ろした。
直後、轟々と荒れていた風が消えると、ギャリン! と鉄のすれる甲高い音が響く。
エルドさんは一歩も動くことが出来なかった。
だが、エルドさんの身に金髪の刃が届くこともなかった。
金髪の前に立ちはだかったのは、黒いローブに身を纏った一人の少女。
あ、カルラさん。
自分でも驚くほど呆気ないリアクション。
金髪の一振りはカルラさんの短剣にいなされていた。
並外れな速さで接近した反動で硬直している金髪のみぞおちに、カルラさんが回し蹴りをくらわせる。
「エルドさん、佳楠さんは無事ですか?」
カルラさんは数歩後ずさりした金髪に短剣を構えながら、こちらに目も向けずに質問した。
なんでこっちを見ないんだろう。
俺が無事かどうかなんて一目見れば判るはずなのに。
「すまない娘よ。我にも判らぬ」
エルドさんは首を振りながらそう答えた。
判らない。
なんでそうなるんだ。
エルドさんは今こっちを見た。
絶対に俺をみた。
なのになんでそんなことを言うんだ。
「ククッ、俺が代わりに見せてやろうか」
金髪がゲスく嗤いながら言った。
見せるってなんだ、これ以上何が起きるんだ。
未知の恐怖に怯え、ただただ三人を視界に収め続ける。
火事の音も、風の音も、矢を射る音も、剣が交わる音もしない。
全員が剣呑な雰囲気のまま膠着状態になっている。
……何も起こらないのか?
そう疑問に思った瞬間、カルラさんの空気が変わった。
「佳楠さん、そこに居ますよね?」
やっち俺に向けられたカルラさんの声は、愛情に溢れた静謐な声音だった。
だが、カルラさんはまだこちらを振り向かない。
「居ますよ、俺はここに居ます!」
発した声は自分の予想以上に荒げていた。
そこでようやくカルラさんはこちらに顔を向けてくれた。
「それではエルドさんの側に……」
――――――がはっ!
どこに潜んでたのか、突如として背後に現れた伏兵が剣の柄頭を俺のみぞおちに食い込ませ、首に腕で回して喉仏を押し込んでくる。
状況が理解できないまま一心不乱に抵抗するも、伏兵二人がかりで抑え込まれる。
「ヴヴ! アぁあ!」
畜生! 離しやがれ!
顔に巻いてあった布を猿轡のように嵌め込まれ、あまつさえ手足を縄で縛られてもなお抵抗する力を緩めたりはしない。
「小僧!」
「佳楠さん!」
異変に気がついたカルラさんが俺の元へ飛びついてくる。
しかしこちらを向いた瞬間に、背後から斬りかかった金髪に足止めをくらってしまう。
エルドさんはなぜか動いてくれなかった。
「んんん゛ーーー!!!」
それでもがむしゃらに暴れ続ける俺のみぞおちに、もう一発蹴りがきまる。
口内に唾液が溢れかえり、口の外にまで侵食する。
抵抗する力を失い身もだえる俺を、敵は米俵のように肩に担いだ。
腰につけていた水筒がからんと地面に落ちる。
「行かせない!」
カルラさんの今までに聴いたことのない、鬼気迫る渾身の叫びが耳に届く。
「させるか!」
だがやはり金髪に阻まれる。
なんだあれは?
金髪の剣の銀色の刀身が、滲むように赤へと染まっていく。
その刃とカルラさんの短剣が重なりあったところで、視界が穴の開いたぼろぼろの壁に変わる。
路地に入ると二人の姿は見えなり、遠のく剣戟の音が名残惜しく消えていった。
喉仏と鳩尾って軽く突かれてもダメージ半端ないよね。