龍人を繋ぐ鎖
「知らない天井だ」
私は抑揚の無い声で呟いた。
我が家の簡素な木目の天井と異なり、白く塗られた天井は雲母の欠片でも入っているのか、きらきらと輝いている。これなら、木目が人の目に見えたりすることもなく、安心して眠れるのだろう。
いや、ついつい目に見える木目を数えている間に寝てしまうとうこともあるから、どっちもどっちかもしれない。
うん、分かってる。
現実逃避はいい加減にして、状況をちゃんと考えよう。
まず、私は龍人だ。
龍に変ずる事は出来無いが、人族に比べて高い身体能力と、長い寿命がある。皮膚を鱗に変えて身を守ることも出来る。
そして、精霊に好かれる。その精霊の好意によって魔法を使うことが出来る。
龍であれば、精霊の好意によらずとも魔法が使えるらしいが。
精霊は、龍や龍人の鱗が好きらしい。精霊の種類によって好みの色の系統があるらしく、赤は炎、青は水の精霊が好むことが多い。
龍や龍人は鱗の色によって属性が変わるということは無いが、精霊の好みを推測すると自ずと特異な魔法属性が推測できる、という訳だ。
しかし、私は龍人でありながら、あまり龍や龍人に詳しくは無い。
父方の先祖に、龍人が一人いただけ、という非常に血が薄い龍人なのだ。
父母も、曽祖父も、家族は皆普通の人族と変わらなかった。先祖返りなのだろう。
そんな訳で、私の龍や龍人に関する知識は普通の人と変わらない。
だから、知らなかったのだ。
自分の鱗がいかに特殊だったのか。
私の育った村は普通の村で、皆良い人達ばかりだった。
けれど……いや、だからこそ、私は村を出た。
龍人の血が色濃く出た私は、皆と寿命が違う。それが、辛かったのだ。
私は組合に登録し、魔物退治の依頼を受け、それで生計を立てることにした。なんとか依頼をこなし続け、死と隣り合わせな生活が日常となった。
ある程度続け、村に帰る時には土産持っていくことが出来るほど、生活に余裕も出来た。
そんなある日、依頼を終えた私は組合に寄ったのだ。
そこそこ大物を仕留めた為、金銭的には余裕が出来た。だから暫くゆっくりとしよう。そう思っていたのだが。
「指名依頼?」
そう組合の受付嬢に指名依頼を伝えられた。
断ったが、どうしても、と言われて仕方なく受けた。正直、気が重い。
あの時、どうしてあんなにこの依頼に気乗りがしなかったのか、もう少し考えてみれば良かったのだ。
冷たい首輪は、とても重く忌まわしい。
依頼の為に向かった先で、私を待っていたのは卑劣な罠だった。
捕らえられて首輪をつけられた。龍人と力を封じる首輪を。
「ああ、素晴らしい手触りだ」
恍惚とした表情で、男が私の髪に口付ける。
「組合には話は通してある。助けを期待しても無駄だ」
そして私の頬に手を伸ばした。
「力を封じると鱗が見られないのが残念だが……」
頬をなぞられて、怖気が走る。
「多少名が通ったとはいえ、たかだか組合に属する一人に過ぎん。そんな分際で私の誘いを拒んだお前が悪い」
普通、初対面で「その真珠色の髪が珍しいから飼ってやろう」と言われて誘いを受ける方がどうかしている。
常識と良識も無い輩と係わり合いにはなりたくない、と断った。それで終わった筈だったのに。
少しでも距離を置こうと身を捩る。
「ああ、そんなに髪を揺らして……私を誘っているのか」
男の顔が近づく。
気持ちが悪い。
誘ってなどいない。
「この髪で……お前は私を誘った。それだけでは飽き足らず、お前は私以外も誘う……許せる訳が、ないだろう」
耳元で、男が囁く。
「お前は、私のモノ」
ああ、能力が封じられてさえいなければ。こんな男など蹴倒してやるのに。
訳の分からない事をほざいて、勝手に人を貶めて。
許せない。
許せない。
怒りのあまり、視界が赤く染まって見える。
男の口唇が、首筋に近づいた。
生ぬるい吐息に、吐き気がする。
そこから先が、分からない。
ここは、何処なのか。あの男はどうなったのか。
何も分からない。
首輪は、外れている。
そして、散々抵抗した為に受けた傷や痣も治っている。
おそらく助けて出してもらえたのだろうと思うが、全く事情が分からない。
身につけている服は柔らかく、肌触りもいい。部屋を見回しても、高価そうな調度品が並んでる。縁が無かったので、正確な価値は良く分からないが。
怪我を治してもらっていることを考えても、扱いは良い。
だが、一体誰がどんな意図で救い出してくれたのかが、想像もつかない。自慢ではないが、親しい知人に金持ちはいない。
いくら考えても答えは出ない。誰か来たら訊くしかないだろう。
そんなことをつらつらと考えていた私は、近づいていた気配に気付くに遅れた。
扉を開けて入ってきた男から感じる、圧倒的な気配。扉を開ける音で気付くなんて、どれだけ注意力が散漫になっていたんだろう。
長い黒髪は、金属的な光沢を帯びて煌いている。瞳は、琥珀色。あまりに整った容貌を見ると、怖くなるのだと初めて知った。
皓々と光る満月のように。
切り立った崖の下に流れる碧い川のように。
蒼く染まった雪景色のように。
呼吸すら忘れてしまう。
そして、気付いた。
彼は、龍だ。それも力の強い。
彼を彩る龍気が、彼の存在感と美貌をより強くしているのだろう。
龍や龍人の髪の色は、そのまま鱗の色と同じ。
すなわち、彼の鱗は黒銀。
龍や龍人の鱗の色は様々だが、白や黒は稀だ。
白は光の、黒は闇の精霊に好かれる。
そして、どんな色であれ、金属光沢を持つのは更に稀だ。
黒銀となれば、非常に稀だろう。
黒でありながら銀の輝きを持つあの色ならば、他の精霊にも好かれている筈だ。
私の髪は、真珠色。
光の精霊に好かれている。
だが、それだけではない。金属光沢しかり、真珠光沢しかり、特殊な光沢を持つ色は、精霊の興味を惹くらしく、様々な種類の精霊に好かれるのだ。
彼の動きに合わせて、真っ直ぐな黒銀の髪が揺れる。さらさらと音が聞こえるようだ。
触れたい。
私は、あの卑劣な男の気持ちが少し分かった気がした。
「気付いたか」
彼がゆっくりと近づいてくる。
低い声が、静かな部屋に響く。
これは、もう、反則だろう。
すらりとした体躯は力強さを秘め、無駄なものを全てそぎ落とした、硬質な美を感じる。
そんな身体に、美貌に、この蠱惑的な声。
「どうした、まだ具合が悪いのか?」
「いえ……」
声を絞り出すのがやっとだった。
いくらなんでも、貴方が魅力的過ぎて惚けていましたとは言えない。
彼の口唇が、微かに笑みを刻んだ。それを見ただけで、心臓が跳ねる。
おかしい。
確かにこんな美形にお目にかかったことはないけれど、ここまで過剰反応してしまうなんて。
彼を直視するのが耐えられず、私は俯いた。
彼の気配が近くなる。
顎に、暖かな感触。
くい、と顔を上げさせられた。目の前に、琥珀の双眸。
魅入られる。
「何故目を逸らす? 我を拒むでない」
「すまない……」
私は反射的に謝った。
確実におかしい。変だ。
彼とは、初対面だ。なのに何故、彼に従いたくなるのだろう。彼に全てを委ねてしまいたくなるのだろう。
「そなたに不埒な真似をした輩は、対処した」
その言葉と共に、抱きしめられた。
どう対処したのだろうとか、この手で報復したかったとか浮かんだ考えが、一瞬で消えた。
「愛しい我が番。そなたを害する者は許さぬよ」
番!?
「すみませんが、番というのは何のことですか?」
私の言葉に、彼は驚いたようだった。
「ああ、そうであった。そなたは人の中で育ったのであったな」
何故それを知っているのだろう。
そう思いながら、私は彼の話を聞いた。
番というのは、龍や龍人の唯一の伴侶。
自分の意思で選べるものではない、本能に根ざしたもの。
相手が同属であることもあれば、私の祖先のように異種族であることもある。
そして、私は彼の番で、彼は私の番。
先日の依頼の時に、私が会った人がいた。その時、私の髪がその人の荷物に絡んでしまっていたのだ。私もその人も気付かぬまま……彼が、その人と会った。その髪の毛の持ち主が番だと分かり、私に会いに来た。そして私を助け出してくれたのだと。
「間に合って良かった」
その彼の言葉に、胸が熱くなった。
ああ、間に合ったのだ。
私は、穢される前に彼に会うことが出来たのだ。
この感情も、彼が番だからなのだろう。
「ここは我が館。これからそなたが住まうの場所」
「離さぬよ」
と告げられて私は頷いた。
私の首にはもう首輪は無い。
だが、それよりも強いもので繋がれてしまった。
外せない、外す気も起きない鎖に。
獣人小説書くったーの診断から。
水宮 光姫はRTされなくてもフェロモンたっぷりな龍人が監禁される話を書きます。
フェロモンどこいった。
あ、一応主人公は女です。
男みたいな口調の女主人公、書きやすいんですよね。