序幕
誰もいない劇場の舞台の隅に一人の男が立っていた。その男は派手なピエロの衣装に白い仮面をつけ、道化に扮している。男は幕の下りた舞台の中央に歩み出ると、誰もいない客席を見回す。
「これはこれは、ようこそおいで下さいました」
男は丁重にお儀をした。
「今宵、お披露目する演目は『おっぱい村の村長さんの乳搾り』にてございます」
がらんどうの客席はしんと静まり返っている。
男はくすくすと笑い声を漏らした。
「おやおや、これはどういうことでしょう? どうしてそのような表情をなさっているのですか? まさか『おっぱい村の村長さんの乳搾り』という演目を聞いて、なにやら卑猥な妄想でもなさったのですか。だとしたら、これはこれはなんとも如何わしいお客様だ」
がらんどうの客席は先ほどと同じようにしんと静まり返っている。
「あなたのことですよお客様」
男はこちらを指差した。
「そう、これを読んでいるあなたのことですよ。この本を手に取り読んでくださったあなたには、特別にすばらしい劇をお見せしましょう」
男は咳払いをした。
「これからお見せする演劇『おっぱい村の村長さんの乳搾り』は、実際に起こった出来事を私たちが劇にしたもの。つまりは真実のお話。この演劇は昔々、それはまだ動物達が人間の言葉をしゃべり、魔女が生きる伝説として存在し、神様が下界に下りて人々の暮らしを直に観察されていた頃のお話。物語の舞台はいわずとも『おっぱい村』。お客様にはそこで起きた出来事をお見せしましょう」
男がこちらを見据え、首を傾げた。
「おやおや、どうなさいましたか。その怪訝な表情は。まるで私の話を疑っているように見えますよ。もしや、このお話が嘘で塗り固められた作り話だとお思いですか? だとしたらそれはなんとも嘆かわしい。どうして私の話を信じてくれないのでしょうか……」
男は気落ちしたらしく、がくりと肩を落とした。
「……まあいい。まあいいでしょう」
男はそう言うと、両手を広げた。
「今からお見せする劇を見ていただければ、きっとお客様もこれが真実の話だと納得されるはず」
男が指を鳴らすと、舞台の幕がゆっくりと上がっていく。
「それではお客様。これより『おっぱい村の村長さんの乳搾り』開幕とさせていただきます。ぜひ最後まで見て堪能し、真実を知ってくださいませ」
男が舞台を下り姿を消すと、幕が上がりきった。