本編
「奨くーん!」
「どわっ!」
学校へ行く途中の通学路。奨と呼ばれた青年が美少女に抱き着かれた。
「一緒に学校いこっ!」
「わかったから抱き着くな。みんなが見てるだろ」
「いーじゃん、仲のいいカップルだなって思われるよ」
「オレたち付き合ってないだろが!」
そう言って奨は美少女を振り払った。
「あぁん、奨くーん」
「こら紅葉、奨が困ってるでしょ」
「ぶー、なによ桜ちゃん。私と奨くんがラブラブなの見て、嫉妬してるんでしょー」
ぷぷぷっと笑いながら、紅葉と呼ばれた美少女はまた奨に抱き着いた。
秋之原 紅葉。
身長はそこまで高くない、栗色のショートヘアを短いサイドテールにして、大きな白いリボンが特徴の、元気な少女だ。時折見せる八重歯や、ひょこひょこと動き回るその姿は、まるで子犬そのものだ。
そして、そんな彼女らを見て、ため息を付いている少女が、赤部 桜。
長く綺麗な赤髪を風に靡かせ、すらっとした体型でいて、胸はたくさんのロマンが詰まっていそうなほど大きい。きっと、どこかのお嬢様です、と言われても納得がいく。
「それより二人とも、明日がなんの日か分かってる!?」
「明日?なにかあったか?」
「んもぅ、奨くんが忘れてどうするのよ!明日は奨くんの誕生日でしょ」
「……あぁ、そういえばそうだったな」
「それと、私と紅葉の真ん中バースデーでしょ」
「そう!いやぁ、流石は桜ちゃん、あったまいい!」
そう、桜の誕生日は4月。紅葉の誕生日は10月。そして、奨の誕生日が7月。
ちょうど、桜と紅葉の誕生日の真ん中が、奨の誕生日と一致しているのだ。
なので、彼女らはその日を《三人バースデー》と呼んでいるのである。
「いつものように、私ん家ね!」
「ん、了解」
「じゃあ紅葉、今日のうちに明日の買い物しちゃいましょうか」
「うん!さんせー!」
「ならオレも手伝ってやるよ。荷物とか二人じゃ大変だからな」
「ありがとう、奨」
「やーん、奨くんやっさしぃ!お礼になでなでしてあげる!」
「いらん!」
そう言って軽めのチョップを食らわす奨。
「あうっ……もぉ!奨くん、酷いよぉ」
「こら紅葉、奨が困ってるでしょ。やめなさい」
「やだぷー。えへー、奨くんにすりすりー」
「やめれ、紅葉……ってやべっ!おい!もうこんな時間だぞ!」
「……ほんと!紅葉、はやくしなさい!ほら引っ付いてないで走りなさい!」
「奨くんがおぶっていってよー」
「そんな冗談いってる場合か!遅刻するぞ!」
そして三人は猛ダッシュで学校へと向かった。
どこにでもいそうな仲良し三人組。
幸せそうな毎日。
しかし……この楽しい日常が壊れるなんて、この時は誰も思わなかっただろう。
* * *
何ヶ月か過ぎた冬のある日。
「寒いよぉ!奨くんあっためてぇ」
「……一応聞く。どうやってあっためてほしいんだ?」
「そりゃ、奨くんに密着して……」
「よし、さっさと帰るぞ」
「あぁん奨くーん!そりゃないよぉ……」
「全く……ほら、紅葉。私のマフラー、一緒に使ってもいいわよ」
「やった!ありがと、桜ちゃん」
「どういたしまして」
そして桜に密着して、お互いの首にマフラーを回す。
「これぞ、相合い傘ならぬ、相合いマフラー!」
「はいはい、分かったからさっさと歩きなさい」
そう言って桜はマフラーを引っ張る。
まるで、犬の散歩をしているようだ。
そうしていると、交差点に来た。
「じゃ、オレはここで」
この交差点が、奨との分かれ道だ。
「うん、じゃあね、奨」
「奨くんバイバーイ」
二人は手を振りながら、奨と別れた。
歩幅を合わせながら、しばらく無言で歩く二人。
そうしていると、紅葉がこう言った。
「ねぇ桜ちゃん」
「なに?」
「私ね、告白しようと思うんだ」
「えっ!?」
いきなりのカミングアウトだった。
「誰に!?誰にするの!?」
歩きながら桜は紅葉と向き合う。
その目は爛々と輝いていて、乙女が恋ばなをする時のテンションのようだ。
「そりゃもちろん、奨くんにだよ」
「奨に……するの?」
「うん」
「でもあなた、毎日のように奨に引っ付いたりしてるじゃない」
「そうだけど……真面目に、この事を伝えたいの」
そう言うと紅葉はニコッと笑った。
いつになく真剣な顔だった。
「……そう。……うん、紅葉と奨ならお似合いよね。応援してるわ」
「……ありがと、桜ちゃん。私、頑張ってみるよ!」
そう言って紅葉はマフラーを外すと、桜に巻いてあげた。
「……なんか勇気出た!じゃあね!」
そして紅葉は元気よく走って帰っていった。
粉雪が降り始めてきた。
一人になった桜は、マフラーをぎゅっと握りしめ、空を見上げた。
そした、ぽそりと呟いた。
「私って……最低ね……」
* * *
それから何日かしたある日の放課後。
学校の屋上に二人の人影が見えた。
「……あのさ、奨くん」
紅葉と奨だ。
「どうした、紅葉?」
「うん……あの……」
顔を真っ赤にしながらもじもじしている。
いつもの元気な紅葉からは、想像出来ないくらい、女らしかった。
「奨くん……あの……私、言いたい事があるんだ」
「……なに?」
奨が首を傾げると、紅葉の顔は火を噴くほど真っ赤になった。
(……大丈夫、桜が応援してくれたんだ。勇気をだして……)
一度深呼吸をして、うん、と力強く頷いた紅葉は、ゆっくりと喋りだした。
「私……奨くんの事が好きなの。ものすごく好き。だから……私と付き合って下さい」
真っすぐ目を見て、想いを素直に伝えた。
桜の応援があったからこそ、紅葉は勇気を出して言えたのだろう。
しかし……
「……ごめん、紅葉。オレ、付き合ってる人がいるんだ」
紅葉の恋心は、呆気なく砕けた。
「……そ、そうなんだ……へぇ……」
「ごめんな……」
「謝らなくてもいいよ。奨くんはなにも謝るような事、してないもん」
「でも……紅葉を傷付けたから……」
「優しいね、奨くんは……」
そう言って目に涙を溜める紅葉。しかし、流す事はなかった。
奨に泣き顔を見られたくないからか、紅葉は奨に背中を見せ、ゴシゴシと目を擦った。
そして、少し震えた声でこう言った。
「あーあっ、奨くんにフラれちゃったか……」
「……ごめ……」
奨が謝ろうとしたが、紅葉はそれを手で制した。
そして人差し指を立てると、奨の唇に軽く当てた。
「謝らないで」
「……分かった」
奨がそう言うと、紅葉はニカッと笑った。
いつもの元気な笑顔だ。
「じゃ、私帰るね」
そう言って紅葉は階段へと向かった。
しかし、不意に足を止めると、また奨の方を向いた。
「そうだ!ねぇ、誰と付き合ってるの!?」
「えっ」
「だから、誰と付き合ってるのよ!」
「……聞いてなかったの?」
「なにが?」
奨が不思議そうな顔をする。
……この言葉を聞かなければ、二人の日常は壊れなかっただろう。いや……三人の日常は壊れなかっただろう。
あの楽しい日常が……
「オレが付き合ってるのは……桜だよ」
なにかが壊れた音がした。
* * *
『ぷるるるるるっぷるるるるるっ』
その日の夜。桜のケータイが鳴った。
相手は……紅葉だった。
「………………」
桜は黙ってそのケータイを取った。
『……もしもし、桜ちゃん』
「どうしたの、紅葉」
『……分かってるくせに』
「……ごめんなさい」
『桜ちゃんも謝るの!?なんで私が電話かけたか分かる!?』
スピーカーが壊れるほどの、大きな声だった。
「……ごめんなさい」
『謝ってほしいんじゃないの!私は……』
そう言うと、電話の向こうで啜り泣く声が聞こえた。
「………………」
『桜ちゃん言ったよね……お似合いだよって……』
「………………」
『ほんとは心の中で笑ってたんでしょ!』
「あれは……紅葉を傷付けたくないから……」
『どっちにしろ傷付いた!桜ちゃんがその傷を大きくしたんだよ!』
「………………」
『……最低』
そう言うと紅葉は泣きながら、最後にこう言い放った。
『……この裏切り者』
そこで電話はプツリと途絶えた。
* * *
桜と奨が付き合い始めたのは、ほんの少し前だ。
それこそ、紅葉が告白した日のちょうど一ヶ月前と言ってもいい。
そして、紅葉には悪いから、今まで通りを装っておこう。ということになったのだ。
そんな中、親友の紅葉が告白したいと言い出した。
混乱してしまった桜の、咄嗟に出てしまった言葉が「応援してるよ」という言葉。
この言葉が紅葉の背中を押し、そして突き落としたのだ。
あれからというもの、毎日のように会っていた三人だったが、紅葉と桜は顔もあわせようとしない。桜も罪悪感があるのか、奨と学校では会うが、その他で会うことはなくなった。
* * *
それから数ヶ月がたった。
夏の日差しが少し暑くなり始めた頃、桜は夏服を買うため、買い物に来ていた。
「はぁ……」
しかし、その表情は曇っていた。
「ほんとなら奨と一緒にデートとして来たかったのに……」
肩を落しながらぼんやりとセール中のワゴンを漁る。
なかなか目当ての物がない。
「ほんと……あの日からずっとモヤモヤしてる……あぁもう!」
イライラしながらまたワゴンを漁った。
そんな彼女に、恐る恐る話しかける人がいる。
「……すいません、こちら商品なので、もう少し丁重に……」
店員さんだった。
「……すいません」
ぶっきらぼうにそう答え、桜はまたため息をつきながら店を出た。
「奨……」
愛する相手の名前を呟く。
だからといって、その人が現れるわけでもないのに……
「奨くーん!こっちこっち!」
「ちょっと待てよ……はしゃぎすぎだぞ」
そんなことはなかった。
「だから引っ張るなって、紅葉」
「だってぇ、奨くんとデートだもん!張り切っちゃうよ!」
「分かったから落ち着け」
そこにいたのは……手を繋いで楽しそうに歩く紅葉と奨だった。
「…………なんで」
桜は立ち尽くした。
奨とはあまり会っていなかったが、まだ奨との関係は終わったわけじゃない。
なのに……
目の前にいるのはまるで《カップルのような》雰囲気の二人だ。
「どういう……こと……」
二人は桜に気がついていないようで、ペアリングやアクセサリーを見ていた。
「ねぇねぇ!これなんかどう!」
「いいなそれ、でも予算オーバーしてる……」
「いいじゃん、明日のためだもん」
「……仕方ない!よし、買ってやるよ」
「やたっ、ありがと奨くん!愛してる!」
「うっせ。ほら、行くぞ」
「あぁん、待ってよー」
「………………」
それを見ていた桜だったが、我慢出来なくなってその場を離れた。
「奨……奨……」
奨に捨てられてしまった……
「紅葉……紅葉……」
紅葉に取られてしまった……
「二人とも……」
桜は目を見開きながら……
「裏切り者……」
そう呟いた。
* * *
「はぁぁ、いいお湯だった」
髪をワシャワシャと拭きながら、紅葉はバスルームから出てきた。
そして、ふと自分の指に光る物を見た。
「……えへへっ、きれーだなぁ」
それは、今日の昼に奨と一緒に買ったシルバーリングだった。
なんの飾り付けもない、シンプルなデザインだ。
「えへへ、明日が楽しみだなぁ」
そうしていると外で雨音がした。
「あれ……いつの間にか雨降ってる……やだなぁ、蒸し暑くなるじゃん」
そう言って窓を閉め、扇風機を回す。
涼しい風が紅葉に当たった。
そうしていると……
(コンコンッ)
玄関がノックされた。
「……誰?」
呼ぶならチャイムでいいはずなのに……そう思っていると、その誰かはもう一度ノックをした。
(コンコンコンッ)
「………………」
(なんか、不気味な感じだなぁ……)
そう思った紅葉だが、とりあえず玄関へ行き、覗き穴を覗く。
そこには……
雨に打たれ、まるで死んだような目をしている桜がいた。
「さ!桜ちゃん!?」
ビックリした紅葉は、急いで玄関を開けた。
桜はビショビショになっていて、髪も乱れた状態で、ただ紅葉を見ていた。
「どうしたの!?とにかく入って!」
紅葉が手招きをして桜を部屋に入れる。
「今お風呂あいてるから。服は私の貸すから」
そう言って桜を風呂場へ案内する。
しかし、桜はその案内する手をぎゅっと握った。
「……桜ちゃん?」
「この指輪……似合ってるわね……」
「えっ……あぁ、これ……」
「どこで買ったの?」
「……駅前のショッピングモールで」
「奨とだよね」
「……なんだ、知ってたんだ」
そう言うと、紅葉はリビングに向かおうとした。
しかし、その足は急に止まった。
(ビチャビチャッ)
そして、紅葉の足元に、赤い水が貯まっていく。
なぜなら……
「……裏切り者」
桜が隠し持っていた包丁が、リビングへ行こうとする紅葉の背中を貫いていたからだ。
滴り落ちる血。
真っ赤に染まる床。
力が抜け、その場に倒れる紅葉。
かろうじて急所が外れたのか、もしくは桜がわざと外したのか、即死にはならなかった。
「……な……んで……」
「なんで?そんなこと分かってるでしょ!」
もう一度倒れた紅葉に包丁を突き刺す。
「紅葉の事が気の毒だから、奨と会うの遠慮してたのに……それをお前はっ!」
今度は腹に刺した。
「それで今日!二人でデートとはいいわよね!楽しかったでしょうね!」
「ちが……」
「なにが違うのよ!あんなに楽しそうに、しかも腕まで組んで!」
次は腕に刺した。
「私なんか、まだ手も繋いだことないのに!」
次は手の甲を。
「デートも、付き合いはじめて一回しかしてないのに!」
次に太ももを。
「あまつさえ、指輪を買ってもらった!?奨の彼女は私よ!なんでフラれたあんたが!」
「桜ちゃ……ん……やめて……違う……」
「この泥棒猫め!」
紅葉に馬乗りになり、包丁で次々と刺していく桜。
まだ息が残っている紅葉は苦しそうにもがいている。
「私の奨を……ずっと我慢してきたのに……」
そして最後に……
「許さない……死んじゃえ」
紅葉の喉に包丁を突き立てた。
* * *
(ピロピロピロッピロピロピロッ)
「ん……誰だ、こんな時間に……」
部屋でくつろいでいた奨のケータイが鳴った。
ディスプレイには……紅葉と表示されている。
奨はなにも知らずにケータイをとった。
「もしもし、紅葉?どうしたんだ?」
『………………』
「……紅葉?」
『奨、私』
電話の相手は桜だった。
「えっ?桜?いま紅葉と一緒にいるのか?」
『……うん』
「なんだ、そうだったのか……で?なんの用?」
『……今から紅葉の家に来て』
「えっ?なんで紅葉の……」
『絶対に来て』
そう言って桜は電話を切った。
「……なんなんだ?」
奨はわけもわからず、家を出た。
* * *
紅葉の家はマンションの15階だ。
エレベーターに乗りながら、奨はもう一度桜に電話をかけた。
『……もしもし』
「おう、桜。今来たぞ」
『そう……』
「で、なんで呼んだんだ?」
『話がしたかったから』
「えっ?」
『ねぇ、奨。今日、紅葉とデートしたでしょ』
「デート?ちょっとした買い物ならしたけど……」
『とぼけないで。紅葉にプレゼント買ってなにがちょっとした買い物よ』
「あっ、知ってたんだ……」
『見てたからね。この裏切り者』
「はぁ、裏切り者?どういう事だよ」
電話越しで桜が怒っている事は分かった。
だが、奨にはなぜ桜が怒っているのかが分からなかった。
『私を捨てて、紅葉とデートしてたんでしょ!あんなに楽しそうにして!』
「桜を捨てる?ちょっと待て、オレ達付き合ってるんだぞ。なにが捨てるだよ。オレはお前を捨てた覚えはないぞ」
『ふざけないで!じゃあ紅葉にあげた指輪はどういう事!』
「あれは……」
少し言い淀んでしまった。
『ほら言えない……だから裏切り者なんだよ!』
「おい、さっきから裏切り者って……あの指輪は明日のためなんだぞ」
『なにが明日よ!』
桜が大声を出した。しかし奨もそれに負けないくらい大声で……
「明日、三人バースデーだろ!忘れたのかよ!」
『……えっ?』
そう言った。
「紅葉と桜が、なんだかよそよそしかったから、仲直りしてほしくて……奮発して二人の指輪を買ったんだぞ」
『えっ……じゃあ……買ったペアリングって……』
「お前と紅葉の分だ。知らなかったのか?」
『………………』
桜は黙りこんでしまった。
それと同時に、エレベーターが止まり、15階に着いた。
(じゃあ……私……それを知らないで……)
「ったく、なに怒ってるんだか知らないけど……直接会って話してやるよ」
(やめて……今来たら……)
足元には真っ赤な紅葉がいる。
そして桜の手には、包丁が握られている。
(殺そうと思ってたのに……)
奨が玄関を開けた瞬間、包丁を突き刺してやろうと思っていた桜。
だが……
(悪いのは……全部……私?)
「……あはっ……あはは……アハハハっ」
玄関のドアノブが動く。
「あはハハハハははハハはははっ」
玄関が開いていく。
「あぁぁあぁぁぁぁぁああぁぁあ!!!」
そして桜は……
手に持っていた包丁を、自分の喉に突き刺した。