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そして時は戻り、とても綺麗な真ん丸の月が煌々と輝く静かな夜アイシルが執務室で眠れないのを誤魔化す様に書類を整理している時にその知らせは届いた。
深夜遅く、人々が寝静まった頃に古くから屋敷に仕えている従者のルーサの手により火急の知らせとして手元へと届いた報告書。それを見て、アイシルは深くため息をついてしまう。
「アイシル様。やはり王は巫女だというあの異界の人間を正妃にするために動いているようです。そして近日中には婚姻を発表すると影達からの報告であがってきましたが、……如何いたしますか?」
「……そぅ。やはり王は御考え直ししてはくださらなかったのね。どうして悪い予感というものは当たってしまうのかしら」
郊外に建てられたハデル家が所有する屋敷の執務室の窓からみえる月を眺め、ここ最近あった出来事を思い返していたアイシルに届けられたのは、先日王に呼ばれて訪問をした際に否やを唱えたはずの案件。
もたらされた知らせがこの先アイシル自身にとっても、この国にとってあまりにも嬉しくない結末を辿る結果になる事を古き時代この国が出来たときから存在する貴族達は皆知っている。王も知っている筈であった。
だからこそ、今回の王の起こそうとする暴挙にアイシルは少なからず動揺を起こし、これからのことに考えを巡らせなければいけなくなった。
――当主である私がハデル家を導いていかないといけない立場であるはずの私が、弱気なことを考えている時間なんてないのに。
あの方のことを思うと、この胸がじくじく痛んでしまうなんて、なんて皮肉なのかしら……。
一族の掟と、しきたりのためにあの方は私を御側に置いてくださっていたと知りながら、それが義務だからなのだと自身も知っていたことなのに御側にいるうちにあの方に好意を向けられているなどと勘違いをし、あまつさえ勝手にこの胸をざわめかせることを止めることも出来ないなんて。
今もできることなら今までのことが全て夢なら良いのにと思ってしまう。まだ私も甘いということかしら……。
また一つため息をつくとアイシルは考えを切り替える。
だがそれはルーサにはどうしても納得が出来ないことなのか、いつも常に浮かべている笑顔は鳴りを潜め苦々しげな思いを表情に浮かべていた。
「アイシル様……。本当によろしいのですか?」
「……覚悟はもうできているわ。あの方が変わられてしまったのは誰の目にも明らか。アイシャルの領民を守ること、それが我がハデル家の使命なのだから、私は私の勤めを果たすだけよ」
「ですが本来殿下の婚約者で在られるのはアイシル様だというのに、何故あのような得体の知れぬ小娘などに……っっ!!」
「ルーサ少し落ち着きなさい。あの娘は偶々だったとはいえ、この世界が受け入れた迷い子。それを勘違いをしたのはこの国……、この世界に住む者たちなのだから。あの者の責任ではないわ」
アイシルが思いを馳せるのはある日突然この世界に現れた不思議な娘の事だ。
それは古い文献にも載っているこの世界に時々迷い込んできてしまう迷い子の事。
その迷い子がたまたま魔のモノに襲われていた殿下の近くいたことから始まってしまった。
この世界には古い時代より自然発祥する魔のモノがいる。
それは他の生き物同様、人の手で傷をつけることも殺すこともできるもの。だが対処することはできるのだが、力が弱いと言われているものでさえ冒険者と呼ばれる者の中堅所が五人で連携をくんでやっと倒せるくらい強いモノであった。
他の種族に比べ強い力のない始まりの民である人間達にはそれはとても脅威で、定期的に国からも討伐依頼がでているのだが、最近その魔のモノの出現率が飛躍的に上がっていた。
そんな魔のモノ調査の一環として、たまたま近くの村に御忍びで視察に行っていた殿下が襲われたのだ。
殿下の護衛の者達も力があるとはいえ、たった三人しかいない状態で魔のモノに太刀打ちできるわけもなく、ジリジリと追い詰められていた所に迷い子が現れ助けたのだとアイシス達貴族には知らされていた。
不思議な光を身に纏い、魔のモノを浄化させたと言われているのだが、その話には高位貴族と呼ばれる古い家柄と権力を持つ当主達には疑問しか浮かばなかった。
それはアイシルにも言えた事なのだが、そうではない者、中位よりも下の貴族やそれよりも身分が下の者達は、どこからか漏れた噂を聞きあの娘を神が遣わした巫女なのだと言い出してしまったのだ。
殿下の命を救ったこと。
不思議な光で魔のモノを消したと言われること。
こことは違う世界で生きていて気が付いたらあの場にいたと話していること。
明らかにこの世界では作ることが出来ない技術の道具を持っていたこと。
それが全てこの世界の人間にとって神の申し子と、巫女だと勘違いさせるのに十分な効力を発揮してしまったのだ。
何も知らない娘は身分などない世界から来たと言い、そのためなのか誰に対しても物怖じしない物言いをしていた。それは一介のメイドにも力ある貴族も同じだとして。
それが今まで傅かれる事になれていた一部の貴族達にはとても新鮮に移ったらしく彼女にどんどん惹かれてき、色恋沙汰に発展しまったのだ。
それは命を救われる形になった殿下にもいえることで、彼女を取り合い他の者にとられないようにと牽制しあい始めたのだ。
最後にはその娘もアプローチをする殿下に心惹かれていっていたのがアイシルが知る事の顛末だった。
――あの娘に一切の責任がないとは言わない。
けれど、この世界に落とされた娘を巫女だと、この世界の申し子だと祭り上げたのはこの世界の者。
何の力も持たず落とされた娘が、……この世界に何のよりどころもない娘がそれに縋ることが罪だなんて私には言えない。
だけど何時までもそれに縋り、現実を受け止めることもなくアイシャルの民を危険に晒すというのなら、私はこの地を守る当主としてその危険全てを排除しなければならない。
だからあの娘にとって、あの娘の地位を脅かすことになる私はきっと悪になるのでしょうね。
……そしてあの娘を支えているあの方にとっても。
それは今まで好意をもっていた者と争わなくてはいけなくなるかも知れないという事で、気を抜けばアイシルの心は痛くまるで締め付けられたみたいになる。
アイシルは再びいろいろな思考に陥りそうになるのを軽く頭を振ることでちらしルーサに向き直った。
「明日、私は古の約定を守るため一度領地に戻ります。この屋敷を含め帝都にある屋敷で働いている者達には一切の責がいかない様に全て計画通りに行いなさい。当主代行はお父様にお願いしてあります。が、もしも私が戻れないときには次期当主のことは叔母様の娘にお願いしてあります。もしもの時はよく仕えてあげて」
「……御意に」
表情を引き締めなおし返事をするルーサだが、少しだけ低くなった声が納得していないことを伝えているがアイシルはそれに気が付かなかったふりをして執務室の窓から見える月を見上げポツリともらす。
「あの方……、殿下はきっとあの娘の味方をし、私達の邪魔をするでしょう」
「……」
「もしかしたら約定を違えてしまうかもしれないわ。その時はどんな手を使ってでもハデルの血かそれに順ずる高位貴族の血を何としてでも王家に入れなさい。そうすれば暫くは古の契約が効力を発揮してくれるはずです。これはお願いではなく命令ですルーサ、必ず遂行しなさい。」
その言葉にルーサは何も言わなかったけれど深く頭を下げて了承の意を示した。
これでアイシルにとって少しだけ後顧の憂いは軽減されたとホッとする。
始まってしまったものは終わるまで止めることは出来ない。
だからこそアイシルは改めてその胸に何度でも刻みこむのだ。
大切なものたちを救うためならこの身などいくらでも差し出してみせる……と。
―――その翌日。
王宮より王暗殺未遂だという罪名でアイシルを捕らえるため、近衛兵達が王の勅命を持ちハデル家へと訪れたがすでにそこにアイシルの姿はなくそれから後、王都内にてハデル家当主の姿を見かけるものはいなかった。