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――これまで何度、涙を流したかしら
アイシルはそう考えると泣くのはこれで最後だと自分に言い聞かせ、手にしていた紙を静かに暖炉にいれて燃やした。
それはアイシルにとって何の前触れもなくやってきた夢の終わり。
偶然が重なり必然になって、必然が重なり運命になったために呆気なく消えてしまった夢……。
その知らせが来たときアイシルはそれは嘘だと、何かの間違いではないのかと何度も考え思い込もうとした。
だけど何度不定しようともその答えが変わるわけはなく、苦い思いと共に最後の最後まで信じ続けようとしていた思いは簡単に裏切られた。
紙を燃やすことはアイシルにとって幼さを含んだ想いと決別をするためのある種の儀式でもあり、僅かに残っていた子供の自分との最後の決別でもあった。
愛した人が他の人を好きになっただけ。
言ってしまうのならば唯それだけの事。
他の人間からしたら在り来たりな理由。
だけれど彼女にとっては唯一許されることが出来たそれ感情は初めて自分が望むことが許された夢だった。
若くして一族の当主となったアイシル。
彼女が五歳の頃から望み、相手からも望まれて結んだはずの十三年越しの約束の夢。
ただ一人好きな人の妻になるというだけのこと……。
それを、その日をずっと夢見ていた。
だけどそれは突然、一方的に相手から言い渡された婚約破棄と言う言葉で崩れてしまった夢。
貴族達の集まる議会で承認されていないために、今はまだ婚約者であるのはアイシルであるが、心はすでに他の人の者だと婚約破棄を一方的に突きつけられたときに思い知らされているため、アイシルが婚約者でなくなるのも時間の問題でだろう。
貴族であり一族の当主を務めるアイシルにとって、裏切られることにはなれていた。
だからこそ今回のこの突然な話もいつもの貴族達の裏切りと同じことだと、何度も何度も暗示を掛けるかのように心の中で呟いたのは無意識にでも自分の心を守ろうとしたのだろう。
始まりはいつも誰に知られることなく、静かに幕を開けていく。
世界が当然のように朝を迎え、夜を見送るように。
誰に認識されることもなく、静かに静かにその幕をあけていく。
それはどんな者にも例外はなく、世界の歴史が動く瞬間がその時また静かに訪れた……――。