三話 話にて
昼ごろ。だろうと思う。
視覚が働かないと、普段は解るそんな事すら解らない。
が、今の僕にとって今が昼であるのか、それともそうでないのかは、問題ではなかった。
ただ一つ。ただ、夕べの“事”だけが、頭の中で何度も何度も反芻されていく。
荒い息遣い。今でもハッキリと思い出せる。
「夢だ」と言われれば、そうかも知れないとは思う。が、それでも納得できない“現実感”があったのも事実だった。
夢なのか。そうではないのか。
それが頭の中でぐるぐると巡り、さっきから垂れ流しにしているテレビの音も、殆ど耳に入ってこなかった。
だから、
「やぁ」
その声が聞こえた時、僕は身を固めた。
反射的に、声が聞こえた方に顔を向ける。
「な、何・・・?何でそんなにビックリしてるの・・・?」
と、声は言った。
その声には、聞き覚えがあった。
「お姉ちゃん・・・」
島野 明美さん。当時確か19歳で、大学生であったと思う。
よく近所の子どもたち――つまりは僕等であるが――と遊んでくれる人で、気さくで優しいお姉さんだった。
「ああ、何でもないよ。大丈夫」
僕は声のするほうに顔を向けた。
「ああ、よかったよ。元気そうで」と声が言った。
「ゴメンね」とも。
「本当はもっと早く来たかったんだけど、予定がね」
「ううん、いいよ」
声が移動している。
今、僕の隣にお姉さんが居た。
ふと、僕は思った。
昨日の話を、お姉さんに相談してみようか。と。
別にお姉さんがこういう話に詳しい、というわけではなかったが、誰かに話しておきたい気持ちがあった。
家族にそんな話をすると心配されそうだから、まだ誰にもその話は話していなかった。
「あのさ・・・」
と、僕は口を開いた。
「ん?何?」と、お姉さんは言った。
「夕べね・・・」
僕は夕べの話を簡潔に話した。
“何”かが僕の部屋に居た事と、それが確実に“人”ではないという事を。
「・・・・・・」
お姉さんが黙り込んだ。
僕は何も言わないまま、お姉さんの反応を待つ。
数分して、お姉さんが口を開いた。
「私の、大切な人の話なんだけどね・・・」と。
「私の大切な人は、この病院にずっと入院してたの。森川 修一って言うんだけど・・・」
お姉さんの声は、とても悲しそうに聞こえる。
「その彼はね、もう絶対に治らない、ってお医者さんに言われるくらいの重病にかかってて、手術もできない状態だったの」
僕は頷く。
「私、毎日この病院に通ってて、何とか治って欲しかったの・・・。それでも、彼の容態はどんどん悪化して・・・」
それでね、と、お姉さんが口を開いたとき、
ガラガラガラ
と、扉の開く音がした。
僕は思わずそっちを向く。と、
「お昼ご飯ですよ」と、看護婦さんの声がした。
「あ、はい」僕は頷いた。
「じゃあ、私帰るね」
お姉さんが言った。
僕は黙って頷いた。あの話を、看護婦さんの前で出来ないことくらい、子どもの時分にもよく解っていた。
それに、と、僕は思った。
もう、皆まで言われなくても、確信できていた。
「あの、看護婦さん」
お姉さんが出て行ったのを確認して、僕は看護婦さんに話しかけた。
「何?」と答える看護婦さんに、僕は、
「森川 修一って人、ここに入院してたの?」
と聞いた。看護婦さんは驚いたような声で、
「そうよ、何で知っているの?」といった。
僕は首を横に振って、別に、とだけ言った。
間違いない。
昨夜この部屋に居たのは、その人だ。
と、子供心に、何故か納得していた。
遅くなってしまいました。