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ある男



思えば彼女は、俺に何を望んでいたんだろうか?


***


―ねぇ…

「来るな!」

―貴男…

「失せろ!」

―どうして…

「消えろ…消えろォォォォッ!」


暗闇の中、青年は擦り寄ってくる女―嘗て自分がこの世の何より愛してやまなかった只一人―を、必死に拒み続ける。

理由はない。ただ、拒むことしかできないのだ。


***


「…また…あの夢か…」


朝日の差す廃墟の中で、青年は目覚めた。

この生活を初めて1年半。廃墟を転々とし、軽いアルバイトで金を得る浮浪者のような生活を、彼は大変気に入っていた。

そして彼には、毎朝なるべく欠かさないようにしている日課があった。


朝食である。


無論、必要最低限の者すらマトモに持つことのない男に、朝食の自作など出来るはずもない。

よって彼は、ある店で朝食を取るのである。


カランコロンカラン


「あ、いらっしゃい」


男が店のドアを開けると、軽快なベルの音と明るい声が彼を出迎える。

男は席に腰掛けると、従業員の女に決まり切った一言を言う。


「いつもの奴を頼む」

「OK。ちょっと待ってて」


女は小走りで店の奥へと向かい、奥にいる店主に一声掛ける。


「姐さーん、朝セA一つねー」

すると店の奥から老女の声が帰ってくる。

「サユリさん、マスターでしょう?それとモーニングセットAよ」


暫くして、サユリが男の元へとプレートに載せた食事を持ってきた。

焼きたての食パンに、サラダ。そしてベーコンエッグ。ごく当たり前の洋食だったが、男はこのメニューが大好きだった。

朝食を終えた男は、少しの間店に居座ってから、レジに代金を支払って店を出た。

まだ金はある。コレで暫くは働かずにやっていける。


***


暗い空。雨の中を、男は歩いていた。


「畜生ッ…あいつが…あいつが何したってんだよ……あいつの何が悪いってんだ…」



男の目の前に、突如大きな白い家が現れた。


「…こんな所に…家なんて…」


男が雨に打たれていると、ふと、彼の背後から声がした。


「やあ」



「!?」


「驚かせて悪いね。僕は古藤。この家の主だ。君は?」


「…坂原だ」


「そうかい。では坂原君……何があったかは知らないけれど、とりあえず我が家で休んでいくと良い。

そのままじゃあ君は…死ぬかも知れない。家の前で人が死ぬのは正直不快でね」


坂原は古藤に招かれ、白い家に入った。


***


「悪いなァ。こんなくっだらねー仕事に付き合わせちまってよ」

「お前がそれを言うか?」


知人・手塚の家にて彼と共にゲーム画面へ向かう坂原。

彼は今現在、ゲーム雑誌の記者である手塚に頼まれて、新作ゲームの記事を書くためのテストプレイに付き合っていた。

強大な敵に協力して挑んでいる二人のゲーム進行は良好で。現在三番目のボスを倒し、次なるステージの序盤を進んでいた。


「大体、悪いのは寧ろ俺の方だろ。飯貰って、ゲーム借りて。この前は金まで貰ったし」

その言葉に、手塚は答える。

「飯もギャラも当然のことだ。このゲームプレイも記事製作手伝いっつーちゃんとした仕事なんだからな」

「そういうもんなのか?」

「そういうモンなんだよ。物事何でも裏目に出るパターンは少なくねぇ。役に立とうと思っての行動が被害を出したり、役に立っていないようにしか思えない仕事とか特技とか研究とかが役に立ったり、世界良くしたりなー。っと、来るぞー」

「お…あぁ」

その夜、坂原は手塚の家に泊まった。


◇◇◇◇


翌朝、店でちょっとしたトラブルが起った。


ガタン

パリィン!


サユリが転んだ。床には、割れた皿。近くには、ガラの悪い三人組。


坂原には見て取れた。

一番外側の席に座っていた金髪でリーゼントの男が、サユリを転ばせたのだ。

しかし、こんな事は世の中何処でも起こりうることだし、坂原にはサユリが公私の区別をキッチリと付け、感情のコントロールも上手な意志の強い女であることを知っていたので手出しをしなかった。

何より彼は、無意味だと思うことを極力したがらない人間だ。

だから、ここはサユリに任せようと思った。


「おい」

せっせと掛けた初期を拾い集めるサユリに、脚をかけた男が行った。

「何やってんだテメェ、謝れよ」

言われたサユリは、何喰わぬ顔で男に頭を下げ、作業に戻ろうとする。しかし、

「なんだその謝り方は?それがお客様に対する態度かァ?こういうときは普通土下座するモンだろうが」

言われたとおりにするサユリ。しかし男は、そんな彼女の頭を踏み付けて言う。

「誠意が足んねーぞ―

「おい」


坂原が、動いた。


「あァん?何だテメェ!」

「目障りだ、ゴミ。その汚ぇカラッポの頭なァ、見てるだけでイライラすんだよ。失せるか死ぬかどっちだ?」

坂原は男を睨み付ける。その眼はまるで、獲物を狙う獣のようである。

そんな彼に恐れを成した男は、仲間二人の内、背の高い狐の面を被った男に言う。

「のっ、野村ァ!殺れ!殺っちまえっ!」

しかし野村は首を横に振ってこう言った。

「逃げるがよい、さもなくば此奴はお主等を本当に殺しかねんでな」

古風な低い声には重みがあり、それを聞いた男二人―金髪リーゼントと太った茶髪は一目散に逃げ出した。


騒ぎの後、野村は二人に事情を話した。

「すまぬな。儂はアレの親父に言われ、アレの用心棒をしているのだが、あの通り坊主は小物の癖に高慢でな。

お主等には苦労をかける。もしまた何かあったのならば言ってくれ。出来る限りのことはしよう」

そう言って野村は二人に自分の携帯番号とアドレスの書かれた紙を渡し、店から去って行った。

その態度たるや、初対面にしては随分と馴れ馴れしく親しげで、まるで以前から深い交友関係があったかのような接し方だった。



暫くして、サユリが言う。


「…何、アレ?」

「知らねぇよ。世の中にゃ変わった奴が居るって事だろ……それよりお前、大丈夫か?」

「え?あぁ、平気よあんなの。小四の頃なんて喧嘩相手にカッターで右のおっぱい切られた事あるし」

「…小四にしてその勢いは何だよ…つか、原因は?」

「クラスにBLしか認めないバカ女子が居たのよ」

「そうかよ」

「あ、信じてないね?傷跡残ってるんだから。何なら見せてあげよっか?」

「冗談は止せ。つーか女が男の前でんな事冗談でも言うな」

「え?本気だけど何?」


盛大に転けた坂原は、サユリをどついてから「尚更だっ!」と怒鳴りつけた。

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