困惑
この回からレイダ目線も入ります。
耳元で心地よい音が聞こえる。
歌?
歌詞は無くただメロディだ。
子供のころ故郷の町では母親たちが歌ってくれる歌。
夢から覚めつつベットの脇にあるレースのついたカーテンを見てレイダは飛び起きた。
まったく見たことがないもの。
娼館の部屋じゃなく、カーテンから透ける太陽の位置は恐ろしく上だ。
そうだ、この場所はケノワの家だ。
「なんで」
レイダは慌てて、鏡の前に立って愕然とした。
昨日の夜、かなりの間泣き続けて疲れて寝た目は不恰好に腫れていた。その上青あざつきだ。
「どうしよう…」
髪を梳くのさえ忘れて立ち尽くしていると、扉が叩かれる。
「レイダ、起きたのか?」
「え? あ、はいっ」
「入るぞ」
唐突にドアノブが回転する。
レイダは半ば突進するようにドアを押さえた。
「だ、だめです! いけません。私死んじゃいます」
「? 何がだ」
レイダはまた泣きそうになりながら扉にはりつく。世界で一番憧れていて、大好きなケノワにこの最低最悪の顔など見せたくない。
レイダに入室を拒まれて、ケノワは混乱した。
昨日はあそこまで擦り寄ってきて今度はこれか?
ケノワは、意地になってレイダの制止を振りきって部屋の扉を開けた。レイダは押される形で床に尻を着いていた。
「レイダ? 今度はなんだ」
「ううぅ、見ないでください~私ひどい顔です」
必死で顔を隠す彼女の姿にため息を漏らす。
「そんなことか。さっき見たからどうにもならない」
無表情の下そう告げる。
「み、見たっていつですか?」
腫れた目で不安げに見上げてくる。
「一晩中泣き止むまで一緒に居たんだ、いまさらだ」
彼女は絶句して次に赤くなる。
「あの、その、ありがとう…ございます」
ケノワは床に座ったままのレイダを抱き起こす。
「いいから、顔洗ってきなさい」
「はい」
レイダは言われたとおりに顔を洗いながら困惑していた。昨日からケノワがこの前までの彼よりも自分に近い気がしたのだ。
優しくされている。
それも自分が。
このことに対してレイダは特別な感情が湧き上がるのを感じた。いつも、いつも憧れていた彼の隣りに自分が居る。
顔を洗い終えリビングに入るとテーブルには既に朝食が並んでいた。
その完璧な朝食にほうけてしまう。
「ほら、座りなさい」
既に座ってレイダを待っていたケノワが促す。
「あ、はい」
レイダが座った事を確認したケノワはそのまま食事を始めた。
レイダはそれをついまじまじと見てしまった。
「・・・どうした?」
レイダの目線に気付いてケノワが訊ねると慌てて首を振った。
おずおずと口に運んだケノワの手料理は緊張で味が分からなかった。
「あの・・・私」
朝食を終えてコーヒーを口に運ぶケノワにレイダは恐るおそると切り出した。
「なんだ?」
「私、その、どうしたらいいのか・・・」
少しケノワが怪訝な顔をする。
「何を? はっきりいってくれないか」
ケノワの声にレイダは少し肩を揺らす。
「私、いつか戻されちゃうんでしょうか? 今日ですか? 明日ですか?」
勇気を出して言うと、ケノワの表情は呆れた顔に変わっていた。
「昨日言っただろう。ここに居て良いと。その娼館に帰すつもりはない。帰りたいのなら止めないが」
「いいえ、そんな。ありがとうございます」
慌てて首を振る。
夢のようだった。このまま、ケノワの家にいられる。嬉しくて顔がにやけてしまう。
「あの、私家事とかします」
そういうとケノワはちらりとレイダを一瞥して呟いた。
「好きにしたらいい」
「はい!」
「ケノワ~♪」
朝から至極上機嫌のキフィに出勤早々絡まれた。
「お前、昨日レイダちゃんといただろ?」
「サキヨミですか」
軽く睨むと、キフィは首を振った。
「違う。お前のうちに近所の奴に聞いた情報だ。仲良く買い物とかしてたって?」
誰だろう近所の奴と言うのは。
休日の内容まで一番めんどくさい相手に情報を流しているなんて。
「・・・ちがいます」
「違うって何が? 今、自分でサキヨミとか言っただろ。事実なんだろ。恋人にしたのか?」
「何を言ってるんです」
軽い頭痛を覚える。恋人であるはずが無い事などキフィにもわかっているはずなのに。
「で、本当のところはどうなんだ?」
「拾っただけです」
「どこで?」
キフィはニヤニヤしながら訊ねる。
「・・・・・・家の前です」
「家の前って何だよそれ」
「彼女を買った娼館から逃げてきたらしいです」
「は?」
キフィは予想もしなかった事だったらしく、大きく口を開く。
「あのレイダちゃんが娼館から?」
「殴られていてあまりに酷かったものですから」
キフィはただ頷いて真剣な顔をして考え込んでいた。
「…許せねぇ」
「なんですか?」
キフィがふいに出した言葉に聞き返す。
「信じらんねぇ。女の子を普通殴るかよ! レイダちゃんいくつだと思ってんだよ!」
キフィは一つ下の妹が居るといっていた。
きっとレイダを見たときのケノワの心境と同じなのだろう。
しかし、彼は勘違いしているようだ。
彼女の年齢を聞いて驚いたが、あれでも十八歳。十七歳の彼よりも年上らしい。
わざわざそこまで言う気はさらさらないので訂正はしないが。
「しばらくうちで預かります」
「お、じゃあ…」
きらきらした顔で身を乗りだしたキフィにケノワはすかさず付け足す。
「貴方はうちにはいらっしゃらなくて結構ですから」
「ちぇーけちだな」
ケノワの先回りの言葉にキフィは唇を尖らせる。
「…ま、彼女が落ち着いたら会わせてもらおう」
頭を掻きながら呟くと自分の椅子へ戻っていった。
家に帰ると部屋に充満する匂いにケノワは慌てて台所へ行った。
そこには何ともいえない顔で立っているレイダがいた。
「何があったんだ?」
レイダは一瞬目線を横にそらすと呟いた。
「夜ご飯、作ろうと思ったんです」
「夜ご飯…?」
目の前の光景にケノワは頭を抱えたくなった。
まずレイダの髪の毛が若干こげている気がする。そして見るも無残な色合いに焼けている肉。鍋には怪しい紫色のスープが湯気を立てる。
食べられる物がこの中にどれかあるのだろうか?
正直ここまでは破滅的な食材の壊し方を初めて見た。あのキフィさえもおいしい料理が作れるのに。
「その、ごめんなさい」
レイダは本当に申し訳なさそうに言った。
「あぁ、これはしょうがない。私が料理を教えるから」
レイダは驚いて顔を上げる。
「本当ですか?!」
「ただし、習った物以外は作らないで欲しい」
この部屋が彼女によって崩壊してしまう事を阻止しなくてはならない。
ケノワの真剣すぎる顔にレイダは頷いた。
お読みいただきありがとうございます。
感想・評価などいただけると嬉しいです。