素敵なおはなし
「…ノーマ? フリーダか?」
知らない声にレイダは身を竦ませる。
けれど、その声は少年のものだった。恐るおそる振り返ると、声の持ち主と目が合う。
彼はちょうど足元に落ちた本を手に取っていた。
どうやら奥にある二人がけのベンチに彼はずっと居たようだった。彼の様子からそこで寝ていた雰囲気があった。
「どこの子だ?」
見た目の幼さの抜けない顔立ちからは想像できない落ち着いた口調で彼はレイダに尋ねる。しかし、レイダは答えることが出来なかった。
薄い栗色の髪が太陽の光に晒され、その下でブルーグレーの綺麗な瞳が自分を捕らえている。
それは、初めてフリーダの顔を見たときに感じた驚きを越えていた。端整な顔かたちとはやはり貴族の遺伝子で作られるのだと幼いながらもレイダは認識したのだ。
答えを返さないレイダに不思議そうに少年は首を傾げて腰掛けていたベンチから立ち上がる。
それと同時に強い風が吹き込む。
それは一気に花々を襲い、儚い花びらを奪い取った。しかし、レイダが目にしたそれは美しかった。ゆっくりと舞い散る花びらが彼を引き立てる物にしか見えなかったのだ。
ゆっくりと彼が近づいてきてレイダの肩を捕らえる。
「大丈夫か?」
発育の悪いレイダの身長は彼の肩にも届かないほどで覗き込むように訊ねられる。
「!」
レイダは近づいた顔に自分の顔が一気に熱くなるのを感じた。
何か答えなくてはいけないと思うのに、混乱して答えることができない。怪訝そうな顔の彼に半ば泣きそうになりながら口を開く。
「ちょ、蝶を捕まえようと…」
やっとの事で出てきた言葉は彼が質問していたどの内容にも当てはまらなかった。
しかし、彼は数度頷くとそのままレイダの頭を撫でる。
レイダの体は蝶を捕まえようとしていた時のままだったため、その手を引いて彼はレイダを誘導する。
自分がもともといたベンチに再び腰掛けてレイダにも隣を勧める。
「悪かったな」
「え?」
されるがまま彼の隣りに座ったレイダは何について謝られたのか分からず、キョトンとする。
「蝶を、捕まえたかったのだろう」
レイダのことを見ることをせずに真っ直ぐ前を捉えながら彼は言った。
「あ…いいんです。ただ見せてあげたかっただけだから」
なんとか答えると、レイダの方を向いて彼はゆっくり微笑んだ。
「そうか、それならまた現れるまで待てばよい」
「あ、はい」
レイダは彼の笑顔に魅了され、それが心を満たすのを感じた。まだお互い名前も知らないのにこんなに嬉しいのは何故だろうか。
レイダの隣りで彼は手にしていた本を開いた。本自体の値が高くあまり買ってもらえないレイダは綺麗な横顔で本を読んでいる彼を知らず見つめていた。
「何?」
特に目線を寄越す事無く彼が尋ねる。自分の目線に気付かれていたのだ。
「ごめんなさい」
「別に怒ってない」
そっけない様に聞こえるが、それは本当に彼が怒っているわけではないと口調から分かった。
「何の本を読んでるんですか?」
勇気を出して訊ねてみる。ちらりとレイダを見ると彼はゆっくりと自分の前だけに出していた本の内容をレイダに広げてみせる。
「伝奇」
「物語ですか」
「そうだ」
それはレイダが普段読んでいる本の倍くらい文字数があり、その横に異国風の挿絵が入っている。レイダには難しくて内容を上手く読み取る事が出来なかった。
そんなレイダの様子に気付いたのか、彼は一つだけ短い話を聞かせてくれた。ゆっくりと彼の声変わり前なのに落ち着いた声で読み上げられた物語は、レイダの全く聞いた事がない物で夢中になって聞き入った。
それはどのくらいの時間が経っていたのかわからない。話を聞き終わった後にしばらくぼんやりしていた時だった。
「レイダちゃん?」
庭の入り口からノーマの声が聞こえた。
夢のような時間が破られてレイダは一瞬にして現実に引き戻された。
ノーマとフリーダがベンチに座る二人を見つけて走りよってくる。隣りの少年は二人を見ても特に驚く様子も無く無言で座っている。
「なかなか戻ってこないからどうかしたのかと思ったわ」
ノーマが安心したように笑うと、フリーダも頷く。
「本当に。でもケノワお兄様と居たのね」
隣に座る少年・ケノワは改めてレイダを見ていた。
そうか、二人が先ほど話していたお兄様とは彼のことだったのか。ケノワ様、と心に刻むようにレイダは頭の中で繰り返した。
名前を知れた事で高揚する気持ちを抑えて答えた。
「うん。物語を聞かせていただいたの」
答えを聞いた二人の表情が変わる。
「え、お兄様から?」
「お話を聞いたの!? 私たちだって聞いた事がないのに」
「そうよ、フリーダがどんなにお願いしても聞かせてくれないのにずるいわ」
二人が頬を膨らませているのは嘘ではないようだった。当の本人は知らん顔でまた本に目線を戻そうとしていた。
「お兄様、私たちにも聞かせてください」
ノーマの言葉にケノワは、眉を顰める。
「お前たちは黙って話を聞くことが出来ないだろう」
煩く非難していた姉妹はひるんで口を噤む。ケノワは立ち上がると二人の頭をそれぞれ撫でると脇をすり抜けるようにして庭から出て行ってしまった。
「うーん、やっぱり一番ケノワお兄様がクールよね」
唸るようにして八歳のフリーダが幼い顔にしたり顔で呟くと、ノーマも頬に手を当てながら頷く。
「ロットお兄様やリーガルお兄様も優しくて大好きだけど、あんな風にそっけないのもなかなかだわ。本当は優しいのだもの。レイダちゃんもそう思わない?」
ノーマはレイダに確認するように訊ねた。
それまでぼんやりしていたレイダは掛けられた言葉に頬を赤くする。ノーマの質問がまさにレイダが心の中で考えていた事と一致していたからだった。
その様子見たノーマとフリーダが顔を見合わせて笑った事にレイダは気付かなかった。