朝のあいさつ
勢いよく扉は開いた。
「おは~」
陽気な、なんとも言えない朝の挨拶にその場は凍りついた。
「おはようございます」
パースが手にしていた珈琲のカップを動揺に揺らしながら机に置いて答えた。他のメンバーといえば硬直して動けないようだ。
「朝からなんだよ、辛気臭い顔して」
「…そんなことはないです、今日はクレイ殿自らどうされたんですか?」
とても重要でこの分室の全員が確認したい事に勇気を出しました、という風情でシャルルが尋ねた。がっしりした体つきのわりに弱腰だ。
キフィは鼻を鳴らす。
「ふん、どうって決まってるだろ。仕事だよ、しーごーと! この素晴らしき能力により今朝視てしまったわけだよ、俺様は。今日、俺の正補佐官は急用で休む。この知らせは一鐘の後には届き、パース辺りが俺の所にやってくるというありきたりなものを」
もうこの彼が言っているので間違いは無いはずだが、嬉しくもなんともないサキヨミの報告に、泣きそうになるメンバーと血が引き過ぎて真っ白なパースは呻き声を堪えた。
「それは、大変なことですね」
「そう大変だ。よってお前を一日補佐官にする為に迎えに来た。この俺様がわざわざだぞ!」
多大にはた迷惑なご足労によりパースは一日が暗黒と化す事を決定づけられた。
尊大で傲慢に言い放つとキフィはその端整な顔に至福の笑みを浮かべて踵を返した。
「お前ら、速攻で俺の部屋に来いよー? 一瞬で、光速で。何だかんだでケノワって仕事量多いし、俺そんな事はしたくないし」
すたすたと廊下に出て行ったキフィの後姿に既に揃っていた全員が引き攣った顔で立ち上がる。
「…つまり、全員あの部屋へ舞い戻れという指示ですよね?」
確認の為とシャルルがパースへ訊ねる。出来れば全否定して欲しい。
「お前、逃げるつもりか? 我らが特別上級能力士官様は“お前ら”と言われたんだぞ、つまりお前もに決まってる! 全員準備して出向するぞ!」
どこにもやりようが無い怒りを発散するようにパースは投げつけるように命令を出す。
「副長―、準備の中には胃薬要ります?」
どこか淡々とした声でトーコがビンを手にしている。
「当たり前だ!」
「「「ですよね」」」
花屋の朝は早い。
昨夜泣いていたレイダも仕事の顔で忙しく動き回っていた。
店で育てている植物の世話は開店してからでいいのだが、切花に関しては早朝に市場へ出かけて仕入れを行なうのだ。
仕入先から手に入れた花を水を張ったバケツに移し変え終えた時だった。ちょうど町が動き始めて仕事へ向かう人々が通りを多く歩く中、店の前に馬車が止まる。
「―――レイダちゃん」
先に気がついたエレノアがレイダを呼ぶ。
先日この店に現れた形と同じものだった為、エレノアの顔は険しい。
顔を上げたレイダの顔は強張ってエプロンの端をぎゅっと握り締めた。
「…今度は絶対行かせないからね。私が守ってあげる」
エレノアが安心させるようにレイダに笑みを向ける。そのままエレノアは店先に出て行く。
「おはようございます」
馬車から降り立ったのはやはりリュウ家執事のブルクハルトで、エレノアの眉が吊りあがる。
「レイダちゃんは渡さないわよ」
ブルクハルトは冷静な執事の顔で首を振る。
「先日は、レイダ様へ大変ご不快な思いをさせてしまい申し訳ありませんでした」
「本当に不愉快な上、最低なことして下さったみたいね」
「申し訳ありません」
エレノアの毒を含んだ言葉にブルクハルトは頭を下げ、店の奥に居たレイダへ目を向ける。
「レイダ様」
びくりと肩を揺らしレイダは俯く。
「本日は、再度お話をさせていただく為に参りました」
「え」
驚いてブルクハルトを見たレイダの顔には、怯えが混じる。これ以上リュウ家に関わる事で自分に何が起こるのか分からない恐怖に首を振る。
「だから、言ってるでしょう! レイダちゃんを貴方達のところへ連れてなんか行かせないわよ! どれだけ苛めれば気が済むの?」
エレノアが怒りのまま告げる。
「リュウに何かをさせたいのなら、レイダちゃんにさせる前に直接あいつに言えばいいじゃないの! 無神経ね!」
「ですから――・・・」
「待って下さい」
ブルクハルトの告げようとした言葉を遮り、凛とした声が入る。
店の入り口に居たブルクハルトの背後から聞こえた声にエレノアとレイダは顔を向けた。
そこに居た人物にレイダはただ声を失った。
※※※
「…朝か」
眩しい光にまどろみの中から一気に覚醒したケノワは首を振った。
なかなか寝付けずにやっと数時間の睡眠を取れたところだった。カーテンを開けるとそこには快晴な空と高い所に太陽が出ていた。
玄関からドアをノックする音が聞こえてベッドから立ち上がる。もしかすると自分が起きたのはこのノックの音の所為かもしれないなと考えながら玄関の扉を開ける。
そこには意外な人物が立っていてケノワは困惑を示す。
「おはようございます。隊長」
「…おはよう」
玄関先に立っていたのは部下であるシャルルで、ラフな部屋着姿のケノワに少し驚いているようだった。
「何故、ここにいる」
「あ、はい。今日は休んで良いというクレイ殿の伝言を知らせに来ました」
「キフィの?」
「ええ」
休む、といっても寝過ごしている為、もし仕事に向かっても遅刻には変わりない。そして、本当に今日は休みをもらいに行こうと思っていたのだ。
「…サキヨミか」
「そう言われていました」
「分かった。そうさせてもらう。だが今日の分の仕事は、確か長官の研究と軍事サキヨミだったはずだが…」
「大丈夫です。クレイ殿自ら副長を呼びにいらして、全員で補佐の仕事をしておりますので」
意外に気の回るキフィの厚意に感心しながら頷く。
「わざわざ、すまなかったな」
「いいえ、あの部屋に残っているよりは幸せですから。では、失礼します」
シャルルが本心からそう告げて帰っていく。
シャルル含め自分の部下達が思っている以上にキフィへの対応に慣れてきていることに驚く。やはりキフィ・クレイの補佐隊へ入ることは彼らのスキルを上げるのだろう。
他の上級士官補佐の仕事をしたことはないが、もしかすると今より凄くスムーズに仕事が出来るのかもしれない。
もし、そうでも、自分はきっとキフィといることを選んでしまうような気がするのだが。
「現実逃避だな」
リビングへ戻りながらケノワは呟く。
レイダと作る朝食からすると手抜きで腹を満たすだけにつまみ外出の準備をする。