ちゃんと…伝えます
揺れていた馬車が止まり、ブルクハルトに手を借りて降ろしてもらった。
「ありがとうございます」
こけてしまわぬように地面に向けていた顔を上げたレイダは、顔を強張らせる。
「レイダ様、どうされました?」
「いえ…なんでもないです」
言葉では返しながらもレイダは動揺を隠し切れない。
何故ならば、レイダが想像していたお屋敷と随分と差があったからだ。
故郷ヤサ、ルンデの町にもリュウ家の本宅があったがそこは広さとしっかりとした造りに素朴さを含んだ建物だった。ここでもそういった物を想像したレイダは、リュウ家の屋敷として連れて来られた貴族然としている豪華な様式に驚く。
貴族間の認識では質素に近い家でもレイダには十分な衝撃だったのだ。
レイダは先を歩くブルクハルトの背中を追って屋敷に足を踏み入れる。
大きなホールを抜けて奥にある大きな扉の前でブルクハルトは立ち止まりノックする。するとすぐに返事の声が聞こえ、ブルクハルトが扉を押し開けた。
大きな暖炉と陽の光が大きく取り込める壁一面の硝子戸、壁には最近王都で人気が出始めたヤサ出身の画家の絵がかけてある。
明るい部屋の中央には一枚板からくりぬいてあるだろうテーブルと応接用のソファ。来客時に使用する部屋である事は一目瞭然のきめ細かい調度品だ。
そして、そして――・・・
「やあ、すまなかったね。急に呼び出してしまって仕事中だったのだろう」
こちらに向いてソファに座る人物はそう言ってにっこり笑った。
淡い栗色の髪に綺麗な彫刻のような顔立ち、すっと通った鼻に整った形の目、唇のラインその全てが今朝一緒に朝食を取ったケノワの物と同じだった。
その違いは少し年齢が年上で優しく細められた目とその中の瞳の色がブルーグレイではなく黄色に近い緑というところだけ。
驚きに言葉を返せないレイダにゆっくりと立ち上がった彼は、扉の前に立ちすくむレイダの前までやってくる。近くで見れば見るほどにケノワと同じところが見つかる。
「初めまして、レイダさん。私はリュウ家の当主ロッド・リュウです。ケノワの一番上の兄です。そんなにケノワに似ているかな?」
苦笑してロッドは訊ねる。
「あ! ごめんなさい…」
自分が随分とロッドを凝視していたことに気付いて真っ赤になった。そうだ、ケノワ自身も確かによく似ていると言っていた。本当にここまでとは思わなかったが。
「…レイダ・ゼイライスです。初めまして」
頭を下げた後、手を取られてソファに座らされる。後ろにずっと控えていたブルクハルトにロッドが一言声をかけるとブルクハルトは部屋から出て行ってしまい二人きりになる。
どうしていいのか分からずにレイダは言葉を探す。ここで自分から話しかけるべきなのか否か。その逡巡はすぐ無駄になるのだが。
「改めて御礼を言うよ、今日は無理に呼び出してしまって申し訳なかったね」
「いいえ。びっくりしましたけど、大丈夫です」
「そうか、それは良かった。・・・思ったように可愛い子だね。以前から会いたいと思っていた、ケノワに家に連れて来るように言ってもかわされてしまって実現が難しそうだったんで来て貰ったんだ」
レイダの背後からブルクハルトが紅茶を持ってきてそれぞれに入れてくれる。それを受け取る。
「ケノワと付き合っているんだよね」
一口紅茶を啜った後にロッドが呟く。それでも静かな室内ではしっかりとレイダにも届いた。その声が先ほどの温和なものから若干鋭くなった気がして、レイダは背をピンと伸ばして答える。
「…はい」
「気難しい弟だが、ちゃんと優しく出来ているかな?」
「ええ、とても」
「あと、同棲しているそうだね」
ケノワから話しているとは思えないが、先日家に来たリアやリーガルがロッドに報告をしていてもおかしくない。
顔に出てしまったのだろうかロッドは言葉を続ける。
「独自に調べさせたんだ、リーガル達の話を聞く前から知っていた。これから話す事に必要だからね。聞いてくれるかな?」
「はい」
疑問形でありながらも有無を言わせない言葉にただ頷くしかできない。ロッドの顔が笑顔ながらも改まったものに変わり何だか嫌な予感がして逃げ出したくなる。
「よかった、聞いてくれるか。もしかするとケノワからもう聞いているかもしれないが、王家からリュウ家に対して婚姻の申し込みが来ている。第二王女のマラ様の相手として、ケノワが候補に上がっているんだ」
状況を理解しようとしている間にもロッドが続ける。
「その話が来てすぐにケノワを呼び出して訊ねてみた。恋人の君との将来や結婚について考えているのかと」
「え」
自分でさえも訊ねて確認したことがない、ずっと聞いてみたかった事にケノワがなんと答えたのだろうか。自分は彼の中にどのくらいいるのだろうか? 知りたくても知り得なかったもの、その緊張感に膝の上に置いた手を握り締める。
僅かな期待を込めてレイダはロッドを見上げる。しかし、対するロッドの顔からは全くと言って読み取る事ができない。
ロッドが殊更ゆっくりと口を開く。
「ケノワは結婚については考えていない、と言っていたよ。とても彼らしい言葉だけどね」
「そう、なんですか」
口は勝手に動いて言葉を返していた。
全身から一瞬にして熱が奪われた気がした。強く握り締めていた指先が痺れ震える。
そんな様子にもロッドは続ける。
「…ケノワには先日、王家からの要請のことを伝えた。真面目に考えるつもりはないようだけど、これは個人的なものではなくリュウ家の問題になるんだ。もしよかったらレイダさん、貴女からもこれからのことについて考えるように話してくれないかい? これはレイダさんとケノワに関係する問題でもあるしね」
「それは、そうですね」
随分と酷い頼みごとであるにも関わらずやけに乾いた言葉が自分の口から出てくる。
遠回しになんとも思われていない自分から、王女様との結婚を勧めるように頼まれたのだ。そのためにケノワの恋人のはずのレイダは、ロッドに呼び出された。
「ちゃんと…伝えます」
ずっと、どこかで分かっていたのだ。
自分とケノワの間には違う物が多い。
それは生まれでた時からはっきりと分かる物だ、大貴族の息子として育ったケノワと日々細々と生きていく事に精一杯だったレイダ。擦れ違うことはあっても本当は一緒に過ごすことなど叶わないことのはずだった。
それでもレイダはケノワが自分を愛してくれるならばそんな物は関係ないと思っていた。一緒に居て笑ってくれるケノワは自分を必要としてくれていると思い込もうとしていた。
けれど本当は、レイダがケノワの優しさにつけ入り、家に上がりこんだだけだったのだ。
甘いシロップの中に浸かっていた自分は、何も分かっていなかった。
王家との婚姻なんて庶民のレイダには到底理解できないことだけれど、少なくとも身分も素養も何もかもしっかりしている王女様の方が、自分よりは祝福される結婚となるのだろう。
その上、ロッドは自分がヤサから売春目的で売られてきた娘だと知っているのだ。
汚れても平気な着古したワンピースにエレノアが防寒用としてきている自分が持つものより少しだけ立派なカーディガン、震える指先は花屋の仕事で荒れてかさついている。
自分が急に恥ずかしくなる。
どうしてここに自分は来てしまったのだろう? 何も分かっていない場違いな自分。きっとこの優しげな表情の下では嘲笑われている。
鼻の奥がツンとして涙がこみ上げそうになるのを感じる。それをグッと堪えて立ち上がった。
「あの、私、帰ります。ちゃんと、ケノワ様にはさっきの王女様との結婚の話を前向きに考えるように伝えますから。お邪魔しました」
「え、レイダさん?」
一気に言って頭を下げると、そのままロッドの言葉を何も聞かずに扉へ向かう。勢いよく開けると扉の外にはブルクハルトが立っていて、その横をすり抜ける。
「レイダ様、お送りします」
「いらないです!」
後ろから聞こえる声に走りながら答えると大きなホールに出る。酷い顔を見られたくなくて俯いたまま玄関の扉に向かっていく。
「きゃ」
ドンっと肩が何かにぶつかった。ホールの脇にある階段から降りてきたばかりの女性だったようだ。尻餅をついてしまったその人に手を伸ばす。
「ごめんなさい」
それだけ言ってその人を立ち上がらせる。顔は見なかったが、同じ年齢くらいのその人の手はつるつるで柔らかくて惨めな思いと悔しさが押し寄せる。
「失礼します」
耐え切れずに頭だけ下げると今度こそ帰ろうと扉へと走りよった。あと少しでもこの屋敷にいたら不覚にも泣いてしまいそうだったから。
すっかり日が落ちた裏通りをとぼとぼと歩いていたレイダは足を止める。
そこはケノワがちょうどレイダを拾った場所、ケノワのアパートメントの前だった。そこから最上階を見上げる。
あの時、自分はここに立っていた。
娼館での仕事のあの日はこれからの生活に凄く不安になって最後に一度ケノワに会いたいと強い望みを思っていた。その思いにケノワは応えてくれたのだと思っていた。
けれど今は、どうなんだろうか?