シロップ
シロップ―それだけを舐めるには甘すぎて、苦味の中に無ければ本当のよさは分からない。
家族の記念日に飾るという花束をお客に渡し、笑顔で別れて奥のテーブルに戻ると大量の贈答用の花束を作るエレノアが笑う。
「この前から機嫌、いいよね」
「え、そうですか?」
「気付いてないの、鼻歌うたってるじゃない」
驚いて口元を押さえるとにっこりと微笑まれる。
「何かいいことあったんでしょう。何があったのかなぁ…あ、実行してみた? 私たちのアドバイス」
「…してませんよ…ただ、先日ケノワ様のお兄様とお姉様に会ったんです」
エレノアが驚いて手にしていた鋏を取り落としそうになった。
「それって、リュウが会わせたの?」
「いえ、そうじゃなくて…おうちにいらっしゃって」
「驚いたんじゃない? なんだかリュウって同棲してること伝えてるとは思えないし」
「よく分かりますね、随分驚かれていました。二人ともやっぱり凄く綺麗で、私なんてそれこそ地味な部類ですから異世界…それでもなんだか凄く優しい人たちでした」
思い出してうっとりしているレイダの横で複雑そうな顔でエレノアは口を尖らせる。
「レイダちゃんだって十分可愛いわよ。中身も外見も」
「お世辞でも嬉しいです。ありがとうございます」
自分のことは自分が一番分かっている。レイダはからりと笑う。
「それにしても、ちゃんとアドバイスは実行してよね、せっかく考えたんだから」
話を逸らしたつもりだったが、エレノアは忘れてなかったようだ。
「毎日抱きしめてもらうだけじゃなくて、口づけだって重要なんだからね」
話をする為の職務放棄をして、エレノアはポットから珈琲を作る。それを見ながら再度自分がアドバイスを実行している所を想像して耳まで赤くなる。
「…あれって凄く勇気が要りますよ。それに急にそんなことしたら嫌われちゃいます」
「そうかな、しないほうが勿体ない気がするけど」
さらりと言われて、そうなのかなと一瞬思ってしまう。自分用に差し出された珈琲をそのまま口に含む。
「苦」
「あ、それブラックだもの。ミルクとシロップいる?」
「お願いします」
エレノアが珈琲の中にたっぷりのミルクとシロップを流し入れる。
くるくると渦巻いていた白と黒はある瞬間に霧散して溶け合った。レイダにとって丁度良い味に自然微笑んでしまう。
「レイダちゃんは―…リュウとずっと一緒にいたいの?」
「え、どうしてですか」
「なんとなく、一緒にいることに遠慮してるように見えたから」
「そんな事…無いです。ずっとケノワ様のこと好きだったんです。出来る限り一緒にいたいです」
「そこまで思ってるなら、アドバイスをさっさと実行しなさい」
「ううっ、それとこれとは違うと思います…」
言葉の最後の方は声が小さくなる。
それは通りの方を向いて椅子に座っていたエレノアが驚いた顔で立ち上がったからだ。何事かと振り返ってレイダも硬直する。
「あれなに…どうして?」
困惑した顔でエレノアが自分の店の前にあるモノを指差す。
「わからないです」
レイダは今までで見たことも無いような大きくて豪華な馬車に首を振る。その馬車から老人が現れて、こちらにやってくるのが見えてエレノアと顔を見合わせる。
「どうしよ」
レイダには大人に感じていたエレノアとて田舎から出てきた娘、馬車で乗りつけるような貴族と会ったことなどない。
それこそリュウと知り合いのレイダのほうが免疫があったかもしれない。
「失礼いたします。こちらにレイダ・ゼイライス様はいらっしゃいますか?」
名前を呼ばれて怖々とレイダが顔を上げる。
「私です…」
「あなた様をお迎えに参りました」
「へっ?」
何を言われたか一瞬分からずレイダが間の抜けた声を出す。
「どうぞあちらへ」
「レイダちゃんを迎えにって、誰が待ってるの? どこに連れて行く気?」
エレノアが怪しんだ顔で訊ねる。
数ヶ月前に娼館で危うく貴族に買われそうになったことを思い出したらしく若干憤慨もしているようだ。
「そう警戒なさらずに、わたくし、リュウ家執事のブルクハルトと申します。リュウ家へご招待させていただくだけです」
「しょ、招待…?」
二人は知るよしも無いが丁度ケノワが強制的に迎えに来られた時の馬車と執事が来ていた。ケノワの時のように執事がレイダを誘導していく。
「さあこちらへ」
「あの、どどどどうしたら…。エレノアさん、私こんな格好で行って大丈夫なんでしょうか?」
自分の着ている仕事着のワンピースとエプロンを見下ろしてレイダは泣きそうな顔で訊ねる。どう贔屓目に見てもそれは貴族と会うときの格好ではなかった。
きっと自宅にある服のどれを選んでもそうなるはずだが。
「とりあえずエプロンを取って、このカーディガン貸してあげる。助けて上げられなくてごめん」
急すぎる招待にエレノアもどうすればいいのか分からず、取り繕ってやることしかできない。
「頑張って」
「はい…」
エレノアの言葉に半ば泣きそうな声でレイダは頷いた。
「お乗りくださいませ」
言われるがままに馬車に乗り込んだレイダは、座席が家のソファよりもいい素材で座り心地がいい事に驚く。王都に出るまでに乗合馬車に乗ったが、座席は薄っぺらで長時間座るとお尻が痛くなった。
それが馬車の常識だと思っていたレイダにはこれだけで異常事態だった。
どうして自分が急にリュウ家に呼ばれたのかが分からない。
そこにはケノワが居るのか、誰か別の人が待っているのか…不安になりエレノアが貸してくれたカーディガンをぎゅっと引き寄せる。
どうして乗ってしまったのだろうと今更後悔している。何かを言って一度ケノワに相談するべきだったのかも知れない。
しかし、どちらにしても自分はそこに向かっている事には変わりは無かった。