豆鉄砲
上層部の指示した施設を尋常ではない適当さで案内したキフィは、全く予定に入っていなかった自室に二人を招きいれた。
通常怒り出してもいいだろう対応なのに二人の王族は気を害する事無く、それどころか好奇心溢れる顔で楽しんでいる様子だった。
途中案内予定に入っていた施設の人々はキフィが真面目に王族に対応している事と、大まか過ぎる説明に唖然としているうちに通り過ぎられていた。
普段から、提出の書類が山ほど置かれているキフィの机も、今日は部下の部屋に全部渡しに行っていたため奇跡的に綺麗だ。そして二人分の机にしていた事で応接用のソファと机が出ていたこともまさに運が良かったとしかいえない。
つい先日までこの部屋はぎっしりと机が入り修羅場と化していたのだから。
いつもならキフィの昼寝くらいにしか使われないソファにマラとオーウェンを座らせるとキフィはにっこりと微笑んだ。その顔を見てマラも笑みを返す。案内していくうちにキフィとマラはすっかり仲良くなったように見える。
「それでは、オーウェン様のサキを見せてもらえますか?」
「ああ、構わないが…何かする必要があるのか?」
オーウェンは少しだけ慎重にキフィに訊ねる。
「それじゃあ…」
「何もありません」
ケノワが答えると何かを楽しそうに告げようとしていたキフィが不満そうに自分を見るのが分かる。王族に対してキフィが何か無茶を要求しようとしたのは一目瞭然だ。
「クレイ様、本当に何もしなくても?」
マラが興味津々の顔で首を傾げる。
「…ええ、何もされず座っていていただくだけで十分です」
笑みを戻すとキフィは向かい合うようにして座りじっとオーウェンの顔を見つめる。
ケノワはそちらに注意を向けながら何とかまともそうな紅茶の葉を引き出しから見つけ出し準備をする。
キフィの能力を使っている姿は無防備に近い。
それでも彼の雰囲気に負けて誰も触れないのは数年来の経験で把握済みだ。そもそもぼんやりしていたのかと思ったらサキヨミをしていたりする事もあるのだから、真面目に儀式的な物を行なうわけでもない。
それでも真剣な顔で王子兄妹はキフィを見つめている。
入れたての紅茶を二人の前に並べている所で「へぇ」と思わず、といった感じでキフィから言葉が漏れる。
口元にかすかに笑みが浮かぶ。微笑と冷笑どちらとも取れるがこの場合ケノワは冷笑をとる。
二人はどう取っただろうか?
「リュウ様、クレイ様は何かお分かりなのですか?」
マラがうっとりした瞳でキフィの顔を見つめたまま訊ねる。
ケノワはただ首を振った。自分がキフィの考えてる事など分からない。
そっとキフィは閉じていた瞼を上げると楽しそうにオーウェンの顔を見た。いや、面白くてたまらないといった顔に訂正。
「オーウェン様、貴方の考えていらっしゃる事はきっと良い方へ転がるんでしょうね」
「それはどんな…?」
抽象的な言葉にオーウェンは首を傾げる。
「貴方の一生を決めるような一大事がこれから予定されているのではありませんか? とても綺麗な人と関わるような…」
一瞬、オーウェンがキフィの後ろに控えていた自分を鋭い目で見たことに首を傾げる。
「…ええ。そうです」
「まあ、お兄様本当ですの? 良い方へ行くと? 喜ばしい事ですわね! いったいどんなことですの」
マラが嬉しそうに隣座るオーウェンに言葉をかけるが彼はにこりと笑ってマラに告げる。
「この事はきっと私の将来を左右する事だ。彼から詳しく聞きたい…出来れば二人だけで」
「それはいいですね、貴方のこの未来について少しお伺いしたい事がございますので是非お願いしたい」
キフィも賛同し立ち上がる。
「悪いけどリュウ、しばらくオーウェンと私で話してくる。お前はマラ様のお相手を」
「…それは…できかねます」
「大丈夫、王子いじめたりしねーし。お前は婚約者のマラ様とお話でもしとけばー?」
耳元に囁かれてケノワはキフィを思わず睨む。傍目では分からない変化だがキフィには十分伝わったらしく肩をすくめてオーウェンを促す。
「リュウ殿、私からもお願いしたい」
彼からそういわれてしまえば自分が止めることもできない。
「オーウェン様、気をつけてお行きください」
「ああ、大丈夫だ」
ケノワの言葉の意味をオーウェンが分かっているかは不明だがそう言葉を返され見送るしかない。
二人が扉から出て行くと、ケノワは今一番会いたくなかった人間ナンバーワンのマラ王女と二人きりになる。
「…」
「リュウ様、こちらでわたくしとお話をしてくださらない? お兄様はいつでも大事な事をわたくしに隠したがるのです」
マラに促されてケノワは覚悟を決めてマラと相対するようにソファへと腰掛ける。
「…今日は、急に現れてごめんなさい」
少し改まった様子で彼女が告げる。
「いいえ」
「私も驚いているのです。お父様がまさかこんなに急に縁談を進めようとされるなんて…一度もお会いした事が無い方と」
「そうですね」
自分だって驚いているし、本当に厄介だ。何故父上がこうやって自分の生き方に急に手を出してきたのかが未だに不明なのだ。理由を聞くためにヤサまで帰るわけにも行かないのだから、兄に抵抗するしかない。
「リュウ様は…辺境伯様と本当に良く似ていらっしゃるのね」
マラにそう言われ顔を上げると彼女は微笑む。
「よく言われます」
そうなの、と首を傾げる仕草でマラの豊かな赤毛が揺れた。
しかし、その動作でケノワに浮かんだのは、いつも朝から一生懸命巻いているレイダの赤い柔らかい髪の毛とはにかんだ顔。
「リュウ様はクレイ様とずっとご一緒なのですか?」
「ええ、5年ほど補佐官をしています」
「わたくしと同じ年齢なのにクレイ様は凄い能力者だとお伺いしています。戦地の情報をあの方が正確にサキヨミされると。クレイ様もリュウ様も優秀な方なのですね」
「…」
能力面で見ると十分優秀だが人間性のほうになると微妙なキフィについて何もコメントができない。
「クレイ様は・・・いつもあのように明るい方なのですか?」
「明るい・・・? そうですね、いつも活発です」
またもや微妙な質問に曖昧に頷く。
「お兄様もなんだか気に入られていらっしゃる様子で、今日はとても楽しい視察でした」
「それは…良かったです」
話が途切れ二人がゆっくり紅茶を啜っているところに勢いよく扉が開く。
「お待たせしました」
キフィが元気にそう言い、マラに微笑む。ついでに自分へも何故か笑みを向けられた。
「お兄様、有意義なお話はできましたの?」
「ああ、とてもいい事を彼から聞く事ができた。少しこれからが楽しくなりそうだ」
「そういってもらえると、とても嬉しいですね」
キフィとオーウェンは、少しの間に友人のようになっており肩でも組みそうな勢いだ。
つい先ほどまで嫌がっていたのに、この変わりよう豆鉄砲を彼の場合は鳩ではなく自分に乱射している気がする。
人付き合いの苦手なケノワからは全くで理解できない、キフィの驚異的対人能力だ。
キフィが部屋へ戻ってきた時点で決まっていた時間がちょうど終り、迎えが現れるはずの本部正面へ送る。
「きっとまた会おう、クレイ殿」
「ええ、是非」
やたらと親しげな二人の言葉にマラも微笑んでいる。
「クレイ様、私からもお礼を申し上げます」
無口なケノワを放置し三人でひとしきり挨拶しあうと、二人は馬車に乗り軍敷地を出る正門へと消えていった。
どうやらその正門にたくさんの従者は待たせてあるということらしい。
「うー、終わった。何あの言葉遣い? 超疲れんだけどぉ」
自室に無言で戻ったキフィの第一声がこれだった。
「普段の言葉遣いが間違ってると思いますが?」
「…かたっくるしー話し方なんて日常会話でできるかっつーの。王子まで格式ばった話し方でうぇっって感じ」
「オーウェン様とは何を話されたんですか?」
「教えるかよそんなもん。王子もお前に漏らすんじゃねーぞって言ってたし」
あえて、雑な言葉遣いでキフィは着ていた上着を脱ぎ捨てる。ソファに放り投げられたそれをケノワはハンガーに掛けなおす。その背中にキフィが少し不機嫌な声をかける。
「それで、なーんでお前はレイダちゃんと付き合ってんのにあのお姫様と結婚する予定なんだ?」
振り返ると声予想したとおりの顔が自分を睨んでいる。
「…そのつもりはありません」
「じゃあどうして、お姫様がここに押しかけてくるわけだ?」
「私は断ることを何度も兄に伝えています」
「それが彼女に伝わってなければ何の意味もなさないだろうが。大体、さっきそれをマラちゃんに伝えたか? そもそもレイダちゃんはこの話を知ってんのかよ?」
「…」
早口に鋭い指摘を出すキフィにケノワは口を噤む。
キフィが大きな溜め息を漏らす。
「お前最低だ。何もかも中途半端になって一番傷つくのが誰か分かってやってるのかよ」
「それは…」
言葉が出てこないケノワにキフィは、半眼で整えていた髪をかきあげると、昼寝をしてくると言い残し部屋から出て行った。