お誘い
目の前の光景を見て一番ぴったりな言葉は何だろうか、と嫌に冷静に場違いなことを考えた。
一見無表情に見える彼も実の所、完全に頬を引き攣らせていた。
軍正門前、大通りに面するそこは自宅から通いである軍人達が終業の時間と共に出てくる場所だ。
その前に横付けされたのは、それはそれは豪奢な馬車だった。そこら辺を走るような賃走のものでも貨物用のものでもなく、貴族の使用する重厚な造り。窓には高級なビロードのカーテンまでついている。
「お疲れ様です。ケノワ様、お迎えに参りました」
注目の中、目の前の老人が恭しく頭を下げる姿に手にしていたものを取り落としそうになった。彼はリュウ家に使える執事だ。もう随分会っていなかったが間違いないだろう。
「何故、わざわざお前が迎えに来る」
「ロッド様のご配慮により」
ロッドの配慮? 前回軍に書簡を送りつけてきたときにはこんな状況にはならなかった。
なぜ身内の自分に馬車を準備する? 華美や無駄を嫌うリュウ家の中でもロッドは一番倹約家だ。こんな馬車は貴族同士の行き来や王宮に何らかの理由で行かなくてはいけないときのみのはずだ。
「ロッド様がお待ちです。お乗りくださいませ」
「…」
このままここに居ても好奇の的にしかなりえない。この行動の意図を聞くのは気が重いがやはりロッドに直接会うのが一番だろう。
素直に馬車に乗り込むとすぐに動き始める。
やけに座り心地が良い座席でケノワは目を閉じた。兄が何を考えているのか気を揉むのはとても無駄なことだと知っている。ならば彼の家に着くまでは眠っていたほうがマシだ。
以前と同じように家族のみが使うリビングに通される。
そこは先ほどまで乗っていた馬車から比べれば庶民の家か? と思わせるほど質素だ。ロッド自慢の大きなソファも特に金をかけたものでもない。そしてその環境に居心地の良さを感じているのも事実。
「やあ、悪かったね。仕事が終わって疲れてるところに来て貰ってすまない」
「いえ」
「そうか…」
向かい合ってソファに座ると兄は微笑む。元々微笑んでいるのに一層深めたその笑みにケノワは眉を顰める。
「何か話があるんですか?」
「えっ、どうしてわかるんだ」
ロッドが驚きの顔で自分を見る。
いくら人間観察に興味が無いケノワでも自分の兄妹の癖くらいは把握している。ロッドはいつも重大な事をする時、笑みが深くなるのだ。そしてあの地獄の矢継ぎ早の言葉数が減る。その事を指摘するとロッドが苦笑する。
「なんだ、ケノワはちゃんと長い話が出来るんだね」
「はぁ」
いつも会話の成立の前にロッドが一方的に話す事がケノワの口数を減らす要因なのだが。
「じゃあ、遠慮なく聞いてしまおう。ケノワ、数ヶ月前に君が助けた女の子と付き合いはまだ続いているかい?」
「ええ」
出された珈琲を折角だからと口に含む、何だか居心地も悪くなってきた。
じっと自分の顔を見つめる兄にケノワは疑問の目を向ける。
「その子と君は―…結婚するつもりあるのかい?」
「!」
前回に続き今日も口に含んだ珈琲をふきだしそうになった。今回はケノワの動揺が伝わったらしく、それでも無表情の弟にそっとハンカチを差し出してくれる。
ケノワは受け取りながら何を言われたかもう一度反芻する。
先ほどキフィが同じような事を聞いてこなかったか? 彼はやはりサキヨミをしていたのだろうか?
「どうなんだい? 私やリーガル、リアは君の年齢には結婚を決めていたんだが…」
「……」
そういうものなのだろうか。
キフィやロッドの言うように自分もそういったことを考えなくてはいけない時期に来ているのだろうか? でも自分はこのことについて今考え始めたばかりでロッドの質問に答える事ができない。
「まだよく分かりませんが…結婚については考えていません」
「そうか…考えていないのか」
なんとも言えない顔で頷くロッドにケノワの疑問は更に増える。
レイダと自分の関係について彼がここまで真剣な顔で尋ねてくるとはいったいどう言う事なのだろうか? ケノワ自身いつも家からは何事も自由にさせてもらっていた。家督についてもロッドが継ぐ事が決まっていたし、政界などではなく軍に入ることにも賛成してくれた。何事もマイペース過ぎる弟を兄は心配しているのだろうか、婚期を逃してしまうなどと言う理由で?
ケノワが珍しく素直に怪訝な表情を作っていることに気付いて、ロッドは咳払いをする。
「無粋なことを聞いてしまって悪かったね。家長としてケノワがちゃんと将来のこと考えているか知りたくてね」
「はあ」
自分の推測が合っていた事を示す言葉にケノワは若干安心しながら頷く。
あまりにもロッドが真剣な顔で呼び出すのできっと何か大事が起きたはずだと予想していたからだ。
「今日も彼女と夕食を食べるのかい?」
「そうします」
「仲はいいんだね、毎日一緒に夕食を取るのかい?」
「ええ」
「そうかそれはいい」
ロッドは嬉しそうに今度こそ本当に微笑んだ。
「じゃあ今日もうちの厨房から何か夕食になるものをもって行きなさい。この前、本宅から来てくれたシェフのアルドの料理は本宅の味を出してくれるんだ。彼女もきっと気に入るさ」
「ありがとうございます」
いつもの調子戻った兄はいつも通りの優しくて長い言葉をくれた。
ただ、彼がその時何を考えているのかなどは全くケノワには予測できていなかったのだが。