知らない感情
「レイダ!?」
大きな声ではなかったもののしっかりと扉の向こう側にも聞こえていたらしく、まだ鍵を閉めていなかった扉を躊躇いも無くケノワが開ける。
「どうした?」
「っう、ちょっと驚いてしまって…」
尻餅をついて涙目でケノワの助けを借りて立ち上がる。
入ってすぐにあった自分を驚かせたものを恐る恐る見る。何度見ても怖い。
「さっき言ったのを聞いてなかったのか? ちゃんと入ってすぐに絵が描かれた仕切りの布があると」
「すみません」
ケノワから恥ずかしさで逃げる事ばかり考えてケノワの助言は一切耳に入っていなかった。
「でも、なんで蛇が…」
「この地方の守り神として崇められているのが、大蛇神らしい。こうやって風呂などから災厄を祓うんだ」
「そうなんですか…」
ちょっと情けなくなって俯くと、急に肩を掴まれる。気付いた時にはケノワの腕の中に収まっていた。
「怖がるな」
優しく耳元で囁かれて背中にゾクリと甘い何かが走っていく。
それでも、ケノワの言葉に蛇なんてただの絵なのだから大丈夫と思うことが出来た。
「はい…もう大丈夫です。布に絵が描いてあるだけですよね、ありがとうございます」
体を離すと何か言いたげな顔でケノワが自分を見下ろし、小さく息を吐いて浴室を出て行った。
今度はちゃんと鍵を閉めて服を脱ぐと布を潜り抜ける。
奥さんが言っていた通りに大きな湯船だった。
ケノワの家にある湯船の3倍くらいありそうだった。
「温泉だって言ってたなぁ、気持ちいい」
ゆっくりと湯に浸かりながら肩に湯を掛けてビクリと手を止める。
さっきケノワに抱きしめられる瞬間肩を掴まれた。
そこから、彼の声も言葉も体を離した時の表情も全て違うように感じた。
それがなんと言う言葉で表されるのか、どういう感情なのか恋愛経験値ゼロのレイダには分からなかった。
それでもケノワは大人だけじゃなく男の人なのだと赤面し、のぼせそうになる位の動揺は残った。
「うぅ、お風呂から上がったらどうしよう…」
小さく呟いてレイダは湯に頭ごと顔を沈めた。
浴室から出ると、ケノワがスタスタと出て行こうとする。どこかに行ってしまうのかと声をかける。
「あの…」
「疲れているだろう、先に寝てなさい。私は湯を頼んでくるから」
確かに奥さんにケノワがそう言っていたことを思い出して頷く。
「あ…はい。分かりました」
ケノワは先ほどまでと全く変わりなく優しい。
そんな事を考えながら少し伸びてきた髪を乾かして、化粧水をつける。
そうしている間にケノワが戻ってきて、浴室に入っていった。
「どうしようかなぁ…」
ケノワは寝ているように言っていたけど、自分だけ先に寝るのは少し悪いような気がした。
けれど、起きてるとまた怒られるような…。
「いいや、横になってよう」
本当はいっぱい話がしたかった。
バンの話も今日はいっぱい聞いたけれど、ケノワの事がもっと知りたい。
ケノワが出てきた時に声をかければいいのだ。