彼女への思い
「ケノワ様…赤ちゃんの事嫌いですか…?」
ぼんやりと窓の外を眺めていたケノワはレイダにそう唐突に訊ねられて、目を瞬く。
「赤ん坊か?」
「そうです」
目の前に座るレイダはコクンと頷いて自分を見つめている。
「嫌いではないが…」
「苦手?」
「そうだ、私が近づくと大抵は大泣きされる」
「アーフィ君は笑ってましたよ」
「あぁ、そうだが…」
「可愛かったですよねぇ」
ただ、経験上は甥や姪など身内の子供達にはすこぶる印象が悪いらしく、できれば近づきたくないのは事実だった。
彼らの両親にさえ辟易しているのに、あのまん丸の瞳いっぱいに助けを呼ぶように涙を浮かべて訴える姿にこれ以上慄きたくない。
「…どうして思う?」
レイダにどうしてこの苦手意識がばれてしまったのか分からない。
「気付いて無いと思ったんですか? アゲハさん達が居なくなった時ホッとしてるのが分かりました。アーフィ君の前で緊張してましたよね?」
「まあな」
「ケノワ様の弱点ですねぇ」
レイダはくすくす笑いながら窓の外へ目を向けた。
ケノワも再び外に目線を戻す。そこは速い速度で町並みや森が通り過ぎていく。
二人は国を横断する鉄道の汽車のボックス席に乗っていた。
向かう方向は西。
ヤサへ向かう汽車とは逆方向だ。
故郷へ帰ることはしたくなくても少しの遠出をレイダが望んだ。
これまで王都に出てくるまでは、ほとんどの者がそうであるようにヤサでしか生活をしたことが無く、他の土地がどうなっているのか全く知らない為、観光をしたいようだった。
何故、西へ向かうのかというとエレノアのアドバイスだった。
ほとんど仕事以外のことに興味が無かったケノワは遠戦やキフィについての出張以外の土地にはいったことが無い。それだけでも十分な国内旅行ではあったが、レイダに案内できるような平穏な場所ではない。
今回はエレノアがどこかに行きたがったレイダに自身が住んでいた地方の観光地を教えたらしい。
休みの前日にきらきらした目でその場所へ行きたいと言ったレイダはこれまでのどんな時よりも生き生きした歳相応の顔だった。
ケノワにはレイダが望むことを否定する選択肢は最初からないので、そのままこれから向かうメーティア行きの計画を立てたのである。
まだ薄暗い早朝からケノワたちを乗せていた汽車はメーティアの中心部にある駅に昼過ぎに停車した。二人は汽車から対して多くない荷物を手に降り立つ。
他の都市がそうであるように、メーティアも鉄道沿線に町が発展している。
「…綺麗な町ですね。森と町が共生してるみたいです」
「ああ」
レイダが心底感心した声で言った。
ケノワも同じ事を考えていたので相槌を打つ。
駅の建物自体はわざと木造の重厚な造りになっており、ホームから駅舎の奥に見えるのは駅前の道路から緑鮮やかに彩る街路樹だった。その隙間に主要な建物が鎮座していてさすが観光都市。
二人の出身地ヤサへ行く為に利用する都市の駅は沢山の建造物に囲まれ、工場なども多く見られた。
その雑多な雰囲気を知っているだけに一層思えることだった。
「ケノワ様もメーティアは初めてですか?」
「そうだ。この近辺は比較てき安定をしている地域だからな」
駅舎を出てレイダは街路樹の下に植え込まれている花々を確認するようにしながら歩く。
ケノワからすると、紫と黄色の二色のいく種かの花々がバランスよく並べられている事を把握することが精一杯なのだが、彼女のその瞳は真剣で歩みを止めてじっと観察を始めそうだった。
レイダの一直線は愛すべき所だが、真剣すぎていつの間にか逸れかねない。
「レイダ」
彼女を掴まえておくために右手を差し出すと、顔を一瞬にして明るくして腕に飛びついてくる。
「嬉しいですっ!」
本当に嬉しそうに手を繋ぐと幸せそうに笑みを広げる。
駅の近くにある宿もエレノアから教えられていたため、二人はまず荷物を置く為にそちらへ向かった。
エレノアのセンスは悪いものではなく、レンガ造りの牧歌的な建物の外装と思わずレイダが飛び跳ねた優しい家庭的な内装は素晴らしかった。
窓の外を見るとちょうど宿の裏に広がる森の入り口が見えるようになっていた。
二人分の荷物を持ってくれていたケノワが窓際にある台の上に乗せると外を見るレイダの隣に立つ。
今日はこの部屋に泊まるのだ、隣りに居るケノワと。
――同じ部屋に。
今まで同じ家に住んでいても、同じ部屋で寝たことなど無い。
それもこの二つ並ぶベッドの近さなど…そう考えてレイダの心臓は跳ね上がった。心の中で考えるな、考えるなと念じて平静を装う。
なんでもない様子で外を眺めていたケノワはレイダに顔の向きを変えると言った。
「この森はヤサを思い出すな」
「は、はい」
声が一瞬変になったが何とか答えた。
「リュウ家のお屋敷の奥にある森と同じ種類の木が多い気がします」
「レイダ、屋敷の近くに来た事があるのか?」
ヤサ地方は広く幾つかの町が集まり形成されている。その中で一番発展している場所がヤサの豊かさの源であるが、そこを納めるリュウ家はその街からそれて外れの集落の町に屋敷を持っていた。ヤサの中でも自然が多い場所だった。
「…はい。私の実家もあの町にありますから、お屋敷に入った事もありますよ」
レイダはやはりケノワが思い出してくれない事に切なくなりながら頷いた。
「そうか…だからレイダからは故郷を感じるんだな」
ケノワはレイダの頭を撫でながら僅かに微笑みながら呟く、その仕草と言葉だけでレイダの気持ちから一気に切なさなど消え失せる。
過去など無くてもケノワは確かにレイダのことを思ってくれている。それが普段、人前では出さない表情で分かる。
目の前でころころと表情を変えるレイダが、あまりにも真剣な顔で自分に尋ねてきたのはつい数日前だった。
自分を異性として好きなのか、と。
ケノワとしては、この前から意思表示はしてきていた気がするのだが彼女に伝わっていなかった事が意外に思った。
そもそも何とも思わない女を自室に何ヶ月も滞在させるほど金銭的余裕も心も広くない。彼女を助け出す為に普段関わりが無い者たちにまで助けをもらい、奮闘する事も無い。
キフィやライフたちが揶揄するくらいなのだから伝わっていてもおかしくないはずなのだが…。
何故伝わってないのか、それが自分が普段からちゃんと喋ることをしないからだ、という事を相も変わらず分かっていなかったりするのが彼らしいところだ。
「レイダ」
呼ぶと嬉しそうに顔を上げる彼女を見ると何度も名前を呼びたくなる。今も思いに耽っている様子だった彼女が微笑む。
自分を見上げている小柄なレイダに軽く口付ける。
なんとなく言葉にするより彼女にはこちらの方が伝わる気がした。
「ケ、ケノワ様…」
耳まで真っ赤になってしまったレイダは途惑った様子でたじろく。
「嫌だったか?」
レイダは慌てて首を横に振る。
仕事に行く為にすぐ出てしまったが、先日もこうしてレイダは真っ赤になったのだろうか。以前自分を抱けとまで言っていた彼女と同一人物の反応とは思えない。
あの時は相当切羽詰っていたのだろう。
今の反応が本当のレイダだ。
「そろそろ外にいこう、観光するのだろう」
「はいっ、行きたいです」
何とか頬の赤みをひかせたレイダを連れて部屋を出た。