優しさの音階
「本当はどうしたいんだ?」
その言葉には今回の休暇についてだけではないものが込められている。
ケノワの目は静寂に満ちていて真剣だった。それに気付いてレイダは目を見開く。
急かされるように小さくレイダの唇から震える言葉が漏れた。
「私…は、嫌です。今、故郷にあの町に戻ってしまうことが怖い…売られて…私はヤサを一度捨てたんです…りょ、両親も妹も捨てて王都へ…」
苦しい、胸が苦しい、苦しい…それは心が苦しがっているのだと知っている。
もう何度も味わってきた苦しみだから。
「一生戻らないって、一生戻れないって覚悟をしたんです。それなのに…あの時あっさりと私は許されてしまった…あんなに辛かったのに…っ」
「…」
一気に視界が歪み頬を涙が伝うのを感じる。
それでも言わなくてはと唇を動かす。ケノワはじっと聞いていてくれるから。
「私をきっと誰も待ってくれていないんです…両親も町の人もこんな私の事なんて」
…怖い、お前なんかいらないって言われることが、それだけの価値なのだと自分は知ってしまった。
「ごめんなさいっ…エレノアさんたちの好意を素直に受け取れない、私は醜いんです」
思考と言葉が入り混じり自分でも何を言っているのかが分からなくなって、唇を噛み締める。泣きたくないのに涙はこぼれ、溢れる感情が彷徨う。
「それでいい」
急速に近づいた声にハッと顔を上げた時には言葉を告げたケノワの唇がすぐ近くにあり、触れた。それは一瞬涙に濡れる目元に触れて、レイダの体ごとケノワの腕の中に引き寄せられる。
背中に腕を回してケノワは自分の中に閉じ込めるようにレイダの背中を強く抱きしめる。
「思うまま言えばいい。誰もレイダを責められない、これはレイダ自身が決めてきた事だ。全ての好意を何も考えずに受け取ってしまう愚かさを持っていない」
「それでも、私は…」
自分で選んだことだと言い聞かせても割り切れない。
「レイダがいて良かったと思っている。それはレイダが選んでここに来たから成り立っている。苦しむなとも取り繕うなとは言わない、それでも嫌な事を押し隠してしまわなくても良い」
ゆっくりと頭に添えられた手のひらがレイダの感情を落ち着かせていく。ケノワの頬に頭が触れていて言葉が直に響く。
「レイダがここに必要だ。この場所に」
言葉が出ずに何とかこくんと頷いてケノワに知らせる。
愛する人に必要だと認めてもらえた、それだけで先ほどまで深い井戸の底でもがいていたレイダに助けの手が伸びてきたのと同じだった。
密着したケノワから彼の匂いを感じてレイダもケノワの体に腕を回して抱きついた。
もっと近くに居たい、もっともっとでも一つになる事なんてできないから力いっぱい抱きしめる。自分は沢山の優しさの中にいる。
ケノワがレイダの背中を優しく撫でながら言葉を漏らす。
「正直、実家には戻りたくない。実家にいると折角の休暇が休養ではなくなる…この部屋で過ごした方が幸せだ」
それは自分を慰める言葉にも、本音のようにも聞こえた。
次の日、花屋にいつもの様に出勤してきたレイダは前日と比べてスッキリした顔で告げた。
「私はヤサには帰らない事にしました」
「えっ、でもレイダちゃん王都に来てから一度も帰って無いじゃない。リュウが駄目っていったの? レイダちゃんは帰りたいでしょう?」
心配そうにエレノアが訊ねるが、レイダはゆっくり首を振った。
「…エレノアさん、その気持ちだけいただきます。少しお休みはもらえたら嬉しいけれど、ヤサへ帰ることはしたくないです」
「帰りたくないの?」
「そうです。実家に帰ることは私には必要無いことだから、ケノワ様と一緒に居られればいいんです。ケノワ様も私のしたいようにすれば良いって」
レイダの瞳には一切の嘘が含まれて居ないことがわかり、エレノアは頷いた。少し苦笑する。
「分かった。レイダちゃんが決めた事だもの、私達が少し押し付けすぎたかも知れないね。休みも欲しい日数あげるから決まったら行って頂戴…くやしいけどあっちの方が一枚上手だったなぁ」
「ありがとうございます」
レイダは嬉しくて微笑んだ。
昨晩のように思ったことを素直に明かすだけでお互いなんのしこりを残す事無く解決できた。
ケノワに帰ったら報告しようと思うと更に嬉しくなって笑みを深める。
エレノアも嬉しそうなレイダにつられて笑い、難しそうだった顔が笑みに変わった。




