外堀
ゆっくりと飲食店が並ぶ通りに向けて足を運ぶ。
軍の大通りの裏通りがケノワのアパートメントなのだが、少し遠回りにそちらへ向かう。
それは嘘から出た真実なのだが、レイダを迎えに行こうと思ったのだ。
いつも仕事が先に終わるのはレイダのため、彼女が家に居る時間にしか帰宅した事がない。
今からケノワが行けば丁度良い時間になるだろう。
ケノワがレイダの働くエレノアの花屋に顔を出すと、店じまいしていたレイダが驚いた顔で出迎えた。
「どうしたんですか?」
当然の反応にケノワは曖昧に頷く。
言葉が出て来ない。
どうやらロットショックはケノワの中でまだ続いているようだった。
奥からエレノアが出てきてケノワを見止めると嬉しそうに笑った。
「お迎えにきてくれたのね。いいわよ、今日はこのままレイダちゃん上がっちゃって!」
「え?! 良いんですか?」
「いいの、いいの~。こんな事滅多に無いと思うから帰っちゃいなさい」
エレノアはしたり顔でレイダの肩をぽんぽん叩く。
「あの、すぐに準備します」
レイダが慌ててエプロンを外しながら奥へ荷物を取りに行く。
残ったエレノアと目が合う。
「…悪いな」
「いいわよ、このくらい。意外にリュウも優しい事するのねぇ」
意外の意味が分からずに何も答えずにいると、再びエレノアは続ける。
「レイダちゃんに意地悪したら、この私が許さないからね。あんただと思って同棲だって許してるんだから」
「それは…」
母のようなその言い回しは違うんじゃないかと思ったが、レイダが戻ってきた事で続けるのをやめた。話の意図を読みながら会話するのが面倒くさい。
「お待たせしました」
「急がせたな」
「いいえ」
レイダが嬉しそうに微笑んだのを見て歩き出す。
「エレノアさん、お疲れ様でした」
「はーい、また明日ね」
レイダがエレノアに手を振ってケノワに追いつく。
何気ない仕草でレイダはケノワの手のひらに自分の指を絡ませた。あの一件からレイダはケノワと歩く時に手を繋ぐようになっていた。
ケノワ自身、嫌なものでもないのでそのまま彼女の手を引く。実際、手を繋いでいると彼女との歩幅の差で逸れ気味になる事も、彼女を見失う事もなくなったので便利だった。
ケノワのぬくもりを確かめるように手を繋ぎなおしながらレイダは訊ねる。
「あの、今日はどうしたんですか?」
隣りを歩く彼女を見ると少し上目使いに自分を見上げていた。
「…兄の所に行っていた」
「ロット様のところですか?」
レイダはすぐにピンときたのか繋いだ指に力が籠もった。
「あぁ、ただの世間話をしてきただけだ」
「そうなんですか…この前の事に関してではないんですか?」
「その話は話の一割もしてないな」
先程までのことを思い出してウンザリした。
彼もレイダとの会話のように何も余計な事を考えずにゆっくりと思っている事をそのままに言葉が交わせないものだろうか。
「気にすることは無い」
レイダの指先を握り返しながらゆっくり告げるとレイダは頬を染めて頷く。
「はい。ありがとうございます」
アパートメントに帰るとそのまま手を洗い、簡単な夕食を作る事にする。下味をつけていた肉に火を通し、スープを別の鍋で作る。
そして包みに入っていた容器を開けた。
ロットの妻は夫の半分も喋らない、つまり普通の会話量なので少しだけケノワとの会話が成立した。事情を察した彼女から夕食の足しにと一品分けてもらった。
「わぁ、これはなんですか?」
レイダはケノワが皿の盛り付けたその一品に目を輝かせる。
「譲ってもらった。パイ生地の上にミートソースと具を載せてオーブンで焼くとすぐできる料理だ」
「凄いです!」
その『すぐ』ができないレイダは初めて見る食べ物に興味を示している。
兄のあの反応からするとレイダを料理上手と判断しているようだった。現在、少なくとも普通の料理を作れるように仕込んでるところだが…。
それを温めながら既に出来上がった他の料理を盛り付けていたレイダに告げる。
「今度作り方を教える」
「本当ですか。王都の料理も教えてもらえるなんて嬉しいです」
レイダがにっこり笑う。
彼女はケノワが教える料理を一つ一つ書き残しているようだった。上手に作れなくても挫けずに作り続ける彼女はなかなかのものだと思う。
ゆっくりとレイダと食事をしながら兄からの申し出を断れてつくづく良かったと穏やかに思ったケノワは、それが何を意味するのか分かっているのだろうか。
じわりじわりと外堀は埋められている。
レイダの態度に、ロットの言葉に、エレノアの忠告に、それはもしかすると既にケノワの心の中まで納まっているのかもしれない。