兄
ケノワは、いつもの無表情にそこに立っていた。
目の前の人物が、この王都レアムドザインでそれなりの人物と分かっていてもその態度はいつも変わらない。
「やあ。久しぶりだな、この前は急に書簡を寄越したと思ったらそれが告発だとは、ちょっと意外だったな」
ケノワが訪問してきたと聞いて喜んで出てきたのはケノワの兄、ロットだった。
確か今年三十路だったはずだが、落ち着きの見えない兄だ。
それは身内にしか見せないものだが、リュウ家独自のこのテンションがケノワにはついていけないのだった。
これからのことを考えていつも以上に表情がなくなるのを感じていた。
レイダを娼館から連れ出して数日経った今日、急に軍へリュウ家の使いが姿を現してケノワへ招待状が届けられたのだ。
確かにケノワから訪問しておかなくてはいけないと思っていたが、招待状を軍に通してくるというのはさすが兄だった。ケノワの性格上、極端に家族との交流をしたがらないので催促されないと足が向かないのである。
貴族から通された招待状、それも当日付けだったら即そちらへ送り込まれることが計算ずくでの行為だった。
残業もさせる事無く軍から送り出されたケノワはその足で王都に集まる貴族たちの集まる区域へと歩いた。
帰りしなキフィがずるいと口を尖らせていたが、内心まだ彼といた方がマシだとケノワは思っていた。
貴族の住むその家も贅沢を尽くした門とその奥に大きな建物が見えてケノワは辟易していた。
それらと同じならびにある兄の家もやはり大きな門構えをしていた。
他から見ればきっと質素といわれる類の建物だろう。
けれど、そもそもその場所に屋敷を建てざるえなかった堅実を好む兄の僅かな抵抗を読み取った。
「ほら、こっちに座りなさい」
身内しか通されないリビングに入ると、大きなソファに腰掛けながらロットはケノワに対面する所を勧めた。
流れるような動作で使用人が現れて二人の前にお茶うけと紅茶が出される。
言われるがままにケノワが座ると、にっこりと兄は笑う。
自分と同じ淡い栗色の髪に母に似た黄色がかった緑色の瞳が嬉しそうに細められている。
「なんで、例の大事な彼女は連れてこないんだ? 出し惜しみ?」
単刀直入に切り出された言葉にケノワは口に含んだ紅茶を吹きそうになった。決してロットには悟られない程度に抑えたが。改めてゆっくり紅茶を飲み下して口を開く。
「…働いているので」
肯定も否定もしない答えを返した。
ふうん、と呟くと組んだ腕から顎の辺りを触りながらケノワを観察する。
「ちゃんと紹介してくれないなんてまったくつれないな。ケノワの彼女だ、きっと可愛らしい女の子なのだろう? それに同じ王都に住んでいるのだから普段からもう少し私を頼ってくれてもいいと思うんだが」
「いいえ、そういうわけには…」
弁解を試みようとするケノワの言葉にかぶせるようにロットは続ける。
「あ、そうそう。リアも嘆いていたぞ、お前が全く顔を見せないとな。
まぁ、リアの勢いは凄いからなかなか会いに行きづらいのはわかるがたまには顔を見せるべきだよ。あいつの所の次女はもう二歳になって一人で歩いているそうだ。家の子もあと少しで歩きそうなんだ、後で見て行ってくれよ。可愛いぞ~」
「はぁ」
曖昧な返事を返したケノワを気にする事無くロットは口を開く。
「そういえば、例のクロックランだが、彼は私と同期で上級学校と大学校を過ごしたんだ。いやはやあんなに腐った奴になるとは。いや。私も薄々は気付いていたんだが、なかなか全容をつかむ事が出来なくてね。お前のおかげでクロックラン子爵家の汚職や売春行為を摘発できたよ。厳重に処罰を行なった」
「ありがとうございます」
急に真面目な話をされて礼を告げると同じ流れで全く別の話題が飛び出す。
「いや、礼を言うのは私の方だ。感謝するよ。それよりも、今日はこの家で夕食を食べていかないか? 妻や子供達もきっと喜んでくれると思うんだが。是非そうしてくれ」
いつものことだが、兄のペースで進む会話に調子を狂わされまくったケノワはゆっくりと首を横へ振った。
「辞退します」
「どうして、一人暮らしなのだからたまにはおいしい料理も食べるべきだと思うんだが」
兄はやっと会話の速度を落としてケノワを見つめる。
そして、急に一人納得した顔で頷いた。
「あぁ、そうか。彼女が手料理を作ってくれるのか。そうだよなぁ、この屋敷の者の料理よりきっと愛する彼女の手料理が数倍おいしいはずだな」
自分の説に、満足そうににっこり笑っている兄を前にケノワは頬が引き攣るのを必死に押さえていた。一瞬レイダの過去の失敗作が脳裏をよぎったのだ。
折角の長話攻めから逃げられる唯一のチャンスだ。
ここでこの会話を今、覆す訳に行かずにケノワはゆっくりと息を吐いた。
いい材料になり過ぎないものを彼に与えるしかない。覚悟を決めて言葉を紡ぐ。
「確かに…彼女と夕食を食べなくてはいけないので…」
事実を抽出して告げる。嘘は言っていない。
「そうか。本当に彼女と仲良くやっているのだな。ケノワから恋人の事が聞ける日が来るなんてうれしいな」
いやぁ良かった~、と呟きながらうんうんと頷いている兄から、ケノワは今すぐ回れ右で逃げ去りたい衝動を改めて覚えた。
きっと普段の演習より数倍いい動きで綺麗に撤退できるだろう。
ゆっくりと目線を外へ向ける。
比較的早い時間に仕事を切り上げてきたので今やっと夕暮れの朱色が群青に攻め入られている所だった。あと半時もすれば全て闇に包まれるだろう。
今日は雨季にも関わらず午後から晴れていたなと全く別のことに現実逃避をする。
「ケノワ」
急に現実に呼び戻されて、ケノワはそちらに目線を戻す。何かを話しかけられていたようだ。
「?」
「だからな、今日は彼女が働いているのなら迎えに行くのかと聞いている」
兄の言葉で彼女への気遣いを見つけて、ケノワは頷く。
「そうですね、迎えに行こうかと思いますが」
「そうか…それなら暗くならないうちにお前を帰さなくていけないな。しょうがないか…今度は彼女を連れてうちに来るんだぞ。一人で来たら私が直々に迎えに行ってやるからな」
冗談に聞こえない言葉にケノワはまた曖昧に頷いた。
レイダを迎えに行くという口実を得てケノワはロットからの拘束を解除された。
帰りに彼自慢の息子、つまり甥を眺めた。
小さくて丸い生き物はコロンとベッドで寝息を立てていた。以前の経験から起きていたらきっと無表情のケノワに泣き叫ぶ所だろうから、心底安心した。
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