そんなはず無い
「レイダちゃん、そんなはず無いって」
後ろからいつもの声でキフィが言う。
そのことでレイダも初めてケノワ以外の人が居たことに気付いたようだった。
「レイダちゃんが来てから、ケノワがどんなに生き生きしてるか分かるか?」
「そんな…」
「こいつ本当に変わったんだから。表情とか表に出るようになったし、行動力もでたし。レイダちゃんいなかったら困るって」
「そんな嘘要らないです。私なんか…」
レイダは信じていない声で答える。
「だったら、ケノワがエレノアさんに仕事を頼んだのは誰のため?」
「キフィ…」
ケノワが全てをさらす彼に非難の声をあげる。
「そうだよな、俺を脅してまでお前たちがエレノアの花屋の仕事を欲しがってたくらいだし」
ライフも便乗するように告げる。
「え? 嘘……あっ!」
動揺したレイダの手元がぶれるのを見逃さずケノワはレイダに手を伸ばす。ガラス片を持ち奪い取る。
ケノワはそれを投げ捨てるとレイダに近づく。
後ずさろうとしたレイダの両頬を優しく包むようにして呟いた。
「役立たずではない。ちゃんと家に育てられた花が並んでいる。家に居て良い証拠だ」
「ケノワさま」
レイダの瞳に一気に容量を越えた涙が浮かぶ。
子供のように涙を溢すレイダは縋りつくようにしてケノワに抱きついた。
ケノワの手は優しさを込めた手つきで彼女の頭を撫でる。
それは大事な物を慈しむ手つきで。
目立つ士官の目撃証言を集めながらたどり着いたそこは、これまでの人生で訪れる事は一生無いと思っていた場所だった。
立派な娼館の扉を決死の覚悟で開いたパースはその奥に広がる光景に愕然とする。
その見たことも無いような大理石の廊下の先に立っていたのは、ここにいないはずの上司ケノワ・リュウだったのだから。
彼が自分に目線を向けた事で慌ててそちらへ向かう。
「リュウ補佐官、何故ここにいらっしゃるんですか?」
私服の彼に敬礼しつつもパースは尋ねた。
「…私用だ」
彼の後ろに男物の上着を着せられた少女が立っているのを見つける。
怯えるように彼の袖口を握り締めていた。
補佐官の彼女だろうか? こんな所に? いや、その前に更に後ろにいる彼らのほうが問題だ。
「クレイ殿、それとローガン殿も職務中に軍敷地を抜け出すなんて何を考えていらっしゃるんですか」
んべぇ、と舌をだしてキフィは素知らぬ顔だ。
ローガン殿と改めて呼ばれたライフは苦い顔で頭をかいている。自分の権力ではこの二人を懲らしめる事が難しい。
「パース副補佐官」
気まずい雰囲気の中、最初に口を開いたのはケノワだった。パースは彼が助けを出してくれた事に感謝した。
「この二人のことについて報告は私が行なう。特にキフィの事については」
さらりと能力士官を呼び捨てにして言ってもらえた言葉に涙ぐみそうになる。これで胃痛から逃れられると。
「その代わり、頼みたい事がある」
「はい。何でしょう?」
もうこの際、この能力士官がらみのことではなかったら何でも出来る気がして答える。
「これから、ロット・リュウという貴族の家に行ってくれないか?」
聞いた事のある名前にキョトンとする。
「え? あの、それって大貴族のリュウ辺境伯様の家では…?」
「あぁ、私の兄の家だが」
「はぁ、リュウ補佐官のお兄様の家…」
パースはケノワの言葉を反芻して硬直する。
今までケノワの家系が貴族と言うことは知っていた。
自分より六つも年下で正補佐官をしているのだ。しかし、同じリュウ家でも分家だと思っていたのだ。こんな軍の特殊な所に居ていい家の人間ではない。それも上司が問題児の彼である。
「パース副補佐官?」
「か、かしこまりました。でも私のような者がお伺いしても?」
「そんなに気負わなくていい。これから渡す書簡を家のものに渡してもらえればいい」
ケノワは何気ない素振りで手元にあった用紙に何を書き込んでパースへ手渡す。
「確かに預かりました」
背中に冷や汗が出ているのを感じながらパースは娼館を出て、貴族の邸宅が並ぶ区域へ歩を進めた。
心の中では今日は厄日だと呟いていたのは間違いなかった。
ケノワの書簡を受け取った兄の側近は数人の男を連れて現れた。
その彼らにクロックランの調査と、マリンダの罪を報告しケノワは娼館を後にした。
キフィとライフについては大人しく軍に戻る事を約束させて返した。
本来ならばすぐに彼らと共に幹部として報告をすべき所だったが、今回に関してはレイダを優先しようと決めた。
キフィに関してはライフがある程度の説明を行なっておくとの保障つきだ。
これが本来の能力士官の姿なのだと妙に納得しつつ引きずられる様にして連れて行かれたキフィを見送った。