わがまま
そっと扉を開けて外を伺い見る。人の気配がない事を確認して自分の部屋から抜け出した。
リビングのテーブルの上に自分用の朝食と昼食の作り置きがあるのに気付く。
「ケノワさま…」
思わず目頭に熱を感じる。
昨晩あんなに酷い言葉をぶつけたにも関わらず、彼は怒ることもせずにいつも通りのことをしてくれる。
なんて自分は子供なんだろう。勝手に押しかけて匿ってもらっているのに我が儘ばかり…。彼は呆れているのかもしれない。だから怒る事もしないのかも。
――これ以上の我が儘は言わない。
仕事を決めて、お荷物から脱却をするんだ。もし、ケノワに呆れられて見放されても大丈夫なように。
ケノワの残してくれた朝食を食べると、アパルトマンを駆け下りる。ケノワにこの家から出ることを禁止されていたけれど、出ないわけに行かない。
まず、エレノアに頼むことを考えなくてはならない。例え彼女がケノワの恋人でも。自分が唯一まともに出来る事を…。
でも、ちょっと思ってる。
今日仕事が見つかれなければ彼の言葉に甘えてしまってもいいのかも、と。
雨季が目の前に迫っている王都の空は薄曇。
もしかすると、雨が降り始めるかもしれない。
軍本部近くの通りを避けて大通りに向かう。大通りと小さな商店の通りが交わる角がエレノアが働く花屋だ。
小走りにレイダは通りを走りぬける。
ひとつの事に真っ直ぐに進むレイダは気付けなかった。
色んな思惑の中に自分がいる事を。彼女の後にゆっくりと迫るものがある事を。
エレノアは今にも降りだしそうな空を恨めしく思いながら、店の前に出していた鉢を店の内側に取り入れていた。
この雨季に近くなる度に訪れるアマゴイの雨に辟易しているのだ。
あと少しで天然に降るんだからわざわざ足元を泥まみれにしなくてもいいだろうに。
主要な道には敷石があるがちょうどエレノアの店の前からは地面がそのまま晒されてる。足元が本当に悪くなるのだ。
今日は気分が最悪だから早めに店を閉めようと心に誓う。また、これを聞いた恋人に苦笑いされるかもしれないけど。
全ての鉢を店に取り入れて奥から紅茶の入ったカップを持ってくる。店の入り口に先ほどまで無かった人影を見つけた。
往復している間に訪れたようだ。
「いらっしゃいませ。ごめんなさい、お待たせして。奥に戻ってて…」
近づきながら挨拶をすると相手は首を振る。
「いえ…いいんです」
聞き覚えのある声にエレノアはもっと近づく。
「レイダちゃん」
「はい」
名前を呼ぶと俯いていた彼女は慌てて顔を上げる。
最近、急に店に現れなくなったと思ったら、二日続けて顔を見せてくれた。前回と同じように深刻そうな顔をして。
「どうしたの? こっちに座って」
店番用に出している椅子とすすめる。自身もセットになっていた椅子にすわり目線で促す。彼女は何か自分に伝えに来た気がしたのだ。
しばらくの間、レイダは半分泣きそうな顔でエレノアを見つめていたが口を開く。
「あの…私、今仕事が無くて…それでこのお店で働かせていただく事できないですか?」
「この前までどこかで働いていなかった?」
「それは…私、お金返さなくちゃいけないことがあって…働かなくてはいけないんです」
はっきりとは答えないまま真剣な目で自分を見るレイダ。
確かにエレノアが一人でこの店を続けるのは大変だ。
体調の事もあるので毎日店を開く事ができていない。出来ればこれからの時期や乾季に是非、人が欲しいと思っていた。けれど…
「レイダちゃん…ごめんね。今、私の所で働かせたいって話が他にもあって、そちらにもまだ返事をしていないのよ。現状すぐに答える事は難しいわ」
何故ならば、レイダの他に頼んできているのはエレノアの恋人からの頼みなのだから。
恋人も上司からの強い依頼だったらしく、できるだけ善処するように言われている。何せ恋人があんなに真剣に私に頼みごとをする事は珍しい。
彼女の話も無下には出来ないけれど…。
「そう、なんですか…」
レイダはがっくりと肩を落として薄く笑う。
「急にこんなお願いしてすみませんでした」
「いいえ。でも、もしうちで働かせてあげられそうだったらすぐにお知らせするわね」
「ありがとうございます」
レイダはエレノアが出していた紅茶を飲み干すと立ち上がる。
そこでふと思い出して訊ねてみる。
「あ、レイダちゃんってリュウの知り合いなのよね?」
そう聞いた瞬間レイダの顔を強張る。
「そう…です」
「リュウって最近ちょっと変らしいの、どう思う?」
エレノアのところにも面白おかしく軍の知り合いから色んな噂が入ってくる。特にリュウとクレイの二人に関してみんな教えてくれる。実際に話すより噂は楽しい物ばかり。
その彼から今、仕事の依頼をされてるのだから。
「わ、私わからないです…」
レイダが本当に泣きそうな顔で自分を見ているのに気付いて話を変える事にする。リュウがもしかするとレイダには嫌われてるのかもしれない。
「そうなの。レイダちゃん、また時間あったら遊びにきてね。花の話が詳しく聞ける人っていないから」
「はい。またきます」
「楽しみしてるから」
店の出入り口まで見送るとレイダは先程より口元をゆるめて笑う。
「ありがとうございました」
頭を下げて歩き出したレイダ。
しばらくエレノアは見送る。
すぐに答える事ができなかった事への罪滅ぼし。ただの自己満足。
ふと、彼女の後ろに大きな男が二人現れた。
降りだしそうな雨に足早になる人ごみの中、レイダが男と被って見えなくなった次の瞬間、彼女は消えた。
瞬きの間に男達の姿も掻き消えた。
「レイダ…ちゃん?」
ぽつり。
堪えきれないというように天から水滴が零れ落ちた。
地面の色を少しずつ変えていく…。