1★最初と最後が私だとすれば
1★最初と最後が私だとすれば、その間の私は何か
宇宙はすべてに始まりを与え、
始まりのあるものには、かならず終わりを忍ばせる。
その理は宇宙そのものにさえ及び、
そして私もまた、その大きな理のなかを流れている。
最初と最後が私であるのなら、その間をゆく私は誰なのか。
その問いは答えを寄せつけず、
ただ無数の「想い」となって、胸を震わせる。
これから私は、答えを許さぬもの、思考を破綻へと追いやる沈黙の命題に、
ひとり対峙していく。
昨日まで、私はひとりではなかった。
何かと向き合おうとするたび、
そっと手を取り、やわらかな声で支え、ただ傍にいてくれる人がいた。
・・・けれど、今日はもう、その姿はない。
愛する人を永遠に失うとき、
人は深い裂け目の中に落ちてゆき、
生きるかたちも在るべき姿も砂の城のように崩れてゆく。
私は今、その裂け目に立たされている。
泣いても叫んでも喚いても、
宇宙は沈黙したまま、ただ冷たくも優しく、そこに在るだけ。
ならば私は、その沈黙と対話しよう。
星の瞬きに、風のざわめきに、
まだ言葉にならない想いを積み上げていこう。
そして、もう一度問う。
最初と最後が私であるなら、そのあいだをゆく私は何者なのか。
そもそも、最初の私と最後の私は「同じ私」と言えるのだろうか。
この三次元宇宙には時間という概念があり、
その流れの中で、私の細胞は絶えず入れ替わってゆく。
では、入れ替わった私は本当に「私」と呼べるのか。
最初の私と最後の私をつなぐという連続性、
それ自体がただのまやかしであり、錯覚ではないのか。
世界は一瞬ごとに生まれては消え、
宇宙そのものが常に立ち上がり直しているのではないか。
最初も最後も定められぬ以上、
そのあいだの私もまた、どこにも定まることはない。
そして、私は次の沈黙の命題へと足を進める。
2★最初と最後が同じでないのならば、私はどこに根を持つのか。




