知らないもん。
朝から蝉の声が、にぎやかに鳴いていた。
陽射しはまぶしくて、背中がじりじりとする。
風はほんの少しだけ冷たくて。
夏が終わるのかなって、そんな予感を連れてきた。
今日は、午後からシンくんと神社の夏祭りに行く。
町の中にある町内の氏神様で、約束の木がある小さな神社はそこの奥宮さんだよって教えてくれた。
昨日の夜から、わくわくが止まらなくて、お祭りも花火も楽しみだけど。
シンくんに、会えるってことが待ち遠しくて。
早く会いたいなって、思っている自分がいて。
考えるだけで、胸の中がくすぐったくて、苦しくなって、でも楽しくて。
お母さんやおばあちゃんに「なんか良いことあったの?」って聞かれて、別にって誤魔化しちゃったけど。
きっと、笑ってるのかなって、シンくんのことを考えてる時の私。
一昨日、出逢ったばかりなのに、なんだか、ずっと前から一緒にいたような気がしてしまう。
今まで小学校一年の頃から毎年、夕凪島に来ていたのに、どうして会わなかったのかなってちょっぴり悔しかったりもする。
あまり、出歩かなかったし、おばあちゃんと遊んでいたから。
私はひとりで、坂手港のあたりをタン、タンとサンダルを弾ませ、スカートの裾を揺らしながら歩いていた。
べつに、目的があったわけじゃない。
ただ、朝ごはんを食べ終わったあと、なんとなく外の空気を吸いたくなったから。
港へと向かう道には、背の高いススキが、風にそよそよと揺れていた。
車も人もあまり通らない道で、蝉の声のあいだに、ざわーん、ざわーんと打ち寄せる波音が混じって聞こえる。
港近くの公園のベンチで、小さな子たちが笑い声の中、シャボン玉を飛ばしているのが見えた。
宙にふわふわ浮かぶ泡が、彷徨いながら、あちこちで陽の光を反射して、きらきらを振りまいている。
ふと、その奥――
港の建物の陰に、ふたりの人影が目に入った。
ひとりは、シンくん。
もうひとりは、見たことのない女の子だった。
たぶん、私と同じくらいの年の子。
Tシャツに短パン、ポニーテールの髪が、風にふわっと揺れていた。
ふたりは何かを話していて、ときどき、くすっと笑い声が聞こえた。
私は、思わず足を止めていた。
たったそれだけのことなのに、胸の前で両手をぎゅうっと握りしめていた。
近づいて、声をかけようかなって、一瞬だけ思ったけれど、足は動かなかった。
べつに隠れたわけじゃないのに、ふたりとも、こっちには気づかないまま。
シンくんが、なんだか、すごく楽しそうで、うれしそうで……
――あんな顔、シンくん、私には見せたことない。
それが、なんだか、少しくやしかった。
あの子にも、やさしくしてるのかな。
そんなことを思ってしまった自分が、ちょっといやだった。
そう思った瞬間、あわてて「ちがう」と心の中でかき消した。
でも、目をそらしても、胸のもやもやはぜんぜん消えてくれない。
知らない子。
きっと、地元の子。
たぶん、ずっと前からシンくんと知り合いで、いつも一緒に遊んでた子なんだ。
私が知らない時間の中で、ずっと、当たり前みたいにそばにいた子。
そう思っただけで、ドクッ、ドクッと鼓動が跳ねる。
ひとりで勝手に、どんどん苦しくなる。
「……なに考えてんだろ、私」
ぽつりとこぼした声は、思ったよりも小さくて、風にまぎれて自分の耳にも届かなかった。
私はそっと振り返って、ゆっくりとその場を離れた。
ペタ、ペタ……
サンダルの底が地面に吸い付くみたいに、頼りなく音を立てる。
スカートを握っていた手のひらには、うっすらと汗がにじんでいた。
歩くたび、ポシェットの中でコロンと音がする。
昨日、シンくんにもらった巻貝だった。
きれいなクリーム色に、くるんとした波の模様。
指先に触れたとき、少しだけひんやりしていたことを思い出す。
そうしたら、昨日の思い出がいっぺんにあふれてきた。
一緒に泳いだ青くて広い海。
水の中でゆれていた、陽のひかり。
ふたりで笑いながら探検した岩場。
手を握った時の肌ざわり。
転びそうになった私を助けてくれた力強さと、どぎまぎした気持ち。
風の中を自転車で走った道。
シンくんの匂い。
一緒に食べた甘いおやつ。
花畑のにおい、麦わら帽子の影、金色の海に、赤く染まる夕陽――
――あんなに、楽しかったのに。
やさしくしてくれたのに。
なのに、なんで、こんな気持ちになってるんだろう。
涙がこぼれそうになって、私はあわてて顔を上に向けた。
空を見れば、大丈夫な気がしたから。
雲ひとつない青空が、まるで何も知らないみたいに広がっている。
遠くのほうで。
ボーッ。
汽笛がひとつ鳴いた。
息を吸い込んだ途端、潮の匂いが、静かにしみこんでくる。
「……ばかみたい」
そう呟いたあと、私はぎゅっと拳を握った。
だけど――
それでも。
シンくんに会いたい気持ちは、どこにもいってくれなかった。
午後には夏祭り。
私は浴衣に着替えて、また、シンくんの前に立てるかな。
あの子がいても、ちゃんと笑えるかな。
そんなことを考えながら、港の建物の方を、おそるおそる振り返る。
もう、ふたりの姿は、そこにはなかった。
なのに、なんだか、まだ心のどこかでシャボン玉がぱちんと弾けるみたいに、くすぐったい気持ちが残っていた。
歩きながら、ポシェットの中の巻貝に、そっと手を添えてみる。
昨日もらった、あのひとつきりのプレゼント。
……負けないもん。
心の中で小さくつぶやいたあと、もう一度だけ、私は空を見上げて、深く息を吸い込んだ。
空がうっすらと暮れはじめたころ、港の近く、小さな商店の前を通りかかった。
街灯の光が、店先のガラスにぼんやりと反射して、通りには少し長めの影がのびている。
ベンチに、Tシャツ姿の男の子と、浴衣の女の子が並んで座っていた。
たぶん、10歳くらい。
私は、ほんの一瞬だけ足を止めた。
ラムネの瓶を手に、ふたりが顔を見合わせて、くすっと笑い合っている。
その様子を、少し離れた場所からぼんやりと見つめながら、私はふいに、あの夏のある朝を思い出していた。
港の建物の影で、彼が女の子と話をしていた。
それだけのことだったのに、胸の中がきゅうっと苦しくなって、こっそりその場を離れた、あの日の私。
――あのとき、私、ちょっとだけ焼きもち、焼いてたんだよね。
口に出したら少し恥ずかしくて、だけど今の私がその気持ちを思い出すと、なぜだか、ほっこりする。
あの夏の私は、まっすぐだった。
今の私も、きっと――。
私はふと空を見上げた。
ゆっくりと色を変えていく雲のすき間から、金色の瞬きが揺れている。
「あっ……また、見れた」
こころの中で呟いていた。
私の微笑みを見つけてくれた、一番星に向かって。
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