知らないもん。
朝から蝉の声が、にぎやかに鳴いていた。
陽射しはまぶしくて、背中がじりじりとする。
風はほんの少しだけ冷たくて。
夏が終わるのかなって、そんな予感を連れてきた。
今日は、午後からシンくんと夏祭りに行く。
なんだか、ずっと前から一緒にいたような気がしてしまう。
私はひとりで、坂手港のあたりをスカートの裾を揺らしながら歩いていた。
べつに、目的があったわけじゃない。
ただ、朝ごはんを食べ終わったあと、なんとなく外の空気を吸いたくなったから。
港へと向かう道には、背の高いススキが、風にそよそよと揺れていた。
車も人もあまり通らない道で、蝉の声のあいだに、自分の足音がぽつ、ぽつ、とまじって聞こえる。
港に着くと、そばの公園のベンチで、小さな子たちがシャボン玉を飛ばしているのが見えた。
空にふわふわ浮かぶ泡が、陽の光を反射して、きらきらしている。
ふと、その奥――
港の建物の陰に、ふたりの人影が見えた。
ひとりは、シンくん。
もうひとりは、見たことのない女の子だった。
たぶん、私と同じくらいの年。
Tシャツに短パン、ポニーテールの髪が、風にふわっと揺れていた。
ふたりは何かを話していて、ときどき、くすっと笑い声が聞こえた。
私は、思わず足を止めていた。
たったそれだけのことなのに、胸の前で両手をぎゅうっと握りしめていた。
近づいて、声をかけようかなって、一瞬だけ思ったけれど、足は動かなかった。
べつに隠れたわけじゃないのに、ふたりとも、こっちには気づかないまま。
シンくんが、なんだか、すごく楽しそうで、うれしそうで……
――あんな顔、シンくん、私には見せたことない。
それが、なんだか、少しくやしかった。
あの子にも、やさしくしてるのかな。
そんなことを思ってしまった自分が、ちょっといやだった。
そう思った瞬間、あわてて「ちがう」と心の中でかき消した。
でも、目をそらしても、胸のもやもやはぜんぜん消えてくれない。
知らない子。
きっと、地元の子。
たぶん、ずっと前からシンくんと知り合いで、いつも一緒に遊んでた子なんだ。
私が知らない時間の中で、ずっと、当たり前みたいにそばにいた子。
そう思っただけで、ドクッ、ドクッと鼓動が跳ねる。
ひとりで勝手に、どんどん苦しくなる。
「……なに考えてんだろ、私」
ぽつりとこぼした声は、思ったよりも小さくて、風にまぎれて自分の耳にも届かなかった。
私はそっと振り返って、ゆっくりとその場を離れた。
ペタ、ペタ……
サンダルの底が地面に吸い付くみたいに、頼りなく音を立てる。
スカートを握っていた手のひらには、うっすらと汗がにじんでいた。
歩くたび、ポシェットの中でコロンと音がする。
昨日、シンくんにもらった巻貝だった。
きれいなクリーム色に、くるんとした波の模様。
指先に触れたとき、少しだけひんやりしていたことを思い出す。
そうしたら、昨日の思い出がいっぺんにあふれてきた。
青くて広い海。
ふたりで笑いながら探検した岩場。
水の中でゆれていた、陽のひかり。
風の中を自転車で走った道。
一緒に食べた甘いおやつ。
花畑のにおい、麦わら帽子の影、赤く染まる夕陽――
――あんなに、楽しかったのに。やさしくしてくれたのに。
なのに、なんで、こんな気持ちになってるんだろう。
涙がこぼれそうになって、私はあわてて顔を上に向けた。
空を見れば、大丈夫な気がしたから。
雲ひとつない青空が、まるで何も知らないみたいに広がっている。
遠くのほうで、汽笛がひとつ鳴った。
息を吸い込んだ途端、潮の匂いが、静かにしみこんでくる。
「……ばかみたい」
そう呟いたあと、私はぎゅっと拳を握った。
だけど――
それでも。
シンくんに会いたい気持ちは、どこにもいってくれなかった。
午後には夏祭り。
私は浴衣に着替えて、また、シンくんの前に立てるかな。
あの子がいても、ちゃんと笑えるかな。
そんなことを考えながら、港の方を、おそるおそる振り返る。
もう、ふたりの姿は、そこにはなかった。
なのに、なんだか、まだ心のどこかでシャボン玉がぱちんと弾けるみたいに、くすぐったい気持ちが残っていた。
歩きながら、ポシェットの中の巻貝に、そっと手を添えてみる。
昨日もらった、あのひとつきりのプレゼント。
……負けないもん。
心の中で小さくつぶやいたあと、もう一度だけ、私は空を見上げて、深く息を吸い込んだ。
空がうっすらと暮れはじめたころ、港の近く、小さな商店の前を通りかかった。
街灯の光が、店先のガラスにぼんやりと反射して、通りには少し長めの影がのびている。
ベンチに、Tシャツ姿の男の子と、浴衣の女の子が並んで座っていた。
たぶん、10歳くらい。
私は、ほんの一瞬だけ足を止めた。
ラムネの瓶を手に、ふたりが顔を見合わせて、くすっと笑い合っている。
その様子を、少し離れた場所からぼんやりと見つめながら、私はふいに、あの夏のある朝を思い出していた。
港の建物の影で、彼が女の子と話をしていた。
それだけのことだったのに、胸の中がきゅうっと苦しくなって、こっそりその場を離れた、あの日の私。
――あのとき、私、ちょっとだけ焼きもち、焼いてたんだよね。
口に出したら少し恥ずかしくて、だけど今の私がその気持ちを思い出すと、なぜだか、ほっこりする。
あの夏の私は、まっすぐだった。
今の私も、きっと――。
私はふと空を見上げた。
ゆっくりと色を変えていく雲のすき間から、金色の瞬きが揺れている。
ほんのすこしだけ、笑みがこぼれた。
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