届けたい
お昼近くになって、シンくんと「またあとでね」と別れた。
でも、私の中には、ちくりとするものが残っていた。
それは、初めて感じたどこからともなく湧き上がったもの。
シンくんのために、なにかしたい――。
そう思いながら、おばあちゃんの家へと戻った。
お昼ご飯の素麺をすすりながらも、ずっと何が出来るんだろうって考えていて。
だって、あんなに元気のないシンくんを見たのは、はじめてだったし。
シンくんからは、いっぱい色んなこと教えてもらったし、連れてってもらったし、それに、私にたくさん優しくしてくれたから。
だから、元気を出してほしくて、自分からシンくんの手を握ったことも。
上手に伝えられなかった、励ましの言葉も。
最後には笑ってくれたから、伝わったかなって思えたけれど。
……なのに、シンくんの「ありがとう」っていうひと言で、語尾が跳ねるあの言葉で、わたしのほうが、あったかい気持ちをもらっちゃって。
もっと、なにかしてあげれる事ないのかなって。
素麺を食べ終わったあとに、おばあちゃんが切ってくれたスイカを、縁側でかじりながらも考えていた。
シャキッとした歯ごたえの瑞々しいスイカにまぶした塩が、甘さが倍になっておいしくて――
なんだか醤油ソフトクリームみたい。
そのとき、ふっと思い立って、私は台所へ向かった。
冷蔵庫を開けたり、棚をのぞいたりする。
「あっ……」
引き戸の中にあった、ホットケーキミックスと型抜きが目に入る。
「おばあちゃん、クッキー作ってもいい?」
「ええよ。どうしたん?」
「ちょっと……ありがとうをしたくて」
おばあちゃんは何も聞かずに、目尻に優しく皺を寄せて、手伝ってくれた。
私は不器用ながらも、一生懸命、小さなクッキーを作る。
スプーンで生地を丸めて、手のひらでやさしく平らにのばす。
星、ハート、にこにこ顔――
いびつだけど、ぜんぶ私の気持ち。
「変かな、おばあちゃん? 大丈夫かな?」
「上手やな、梨花。見た目も大切やけど、一番大切なのはな……」
私の胸に、そっと手を当てるおばあちゃん。
「こころを込められるかどうかやで、そうしたらちゃんと伝わるんよ」
「うん」
おばあちゃんの言葉と笑顔、焼いているあいだの、甘くてやさしい匂いが、心をほわっとあたためてくれた。
焼き上がったクッキーを冷ましながら、ティッシュにくるんで、小さな袋にそっと入れる。
ちょっとだけ自信がなくて、でも、渡したい気持ちはずっと強かった。
想いを詰め込めた袋を胸に抱えて、私はトコトコと自分の部屋に戻る。
そっと、袋を机の上に置いて、タンスの扉を開けた。
中にしまってあるのは、そう、初めてシンくんに会った日に着ていたラベンダー色のワンピース。
去年、おばあちゃんが作ってくれたやつ。
胸のあたりに、小さな白いボタンが、ちょんちょんって並んでて、広がるスカートは、ふわっとしてて――
なんか、風に似合う気がした。
そっと手に取って、スカートのすそを広げてみる。
光が透けて、ふんわり影ができて、ちょっときれいだった。
「……やっぱり、これにしよう」
心の中でそう思って、ブラウスを脱いで、ゆっくり袖を通した。
それから鏡の前に座って、髪を左右に分ける。
少し低めに結んだツインテール。
毛先がくるんとゆれて、両手で落ち着かせるように整える。
クッキーの袋は、机の上。
喜んでくれるかな……ちょっとだけ、どきどきする。
明日には、私は島を出る。
東京へ帰るから。
それは、わかってる。
でも、今日はまだ――
会えるから。
クッキーの袋を手に持って、もう一度、鏡の前に立つ。
スカートのしわを軽くのばして、結んだ髪を指先で整えた。
……大丈夫。へんなふうじゃない。
そう自分に言い聞かせて、私はトントンと階段を下りた。
玄関のところで麦わら帽子を手に取る。
ツインテールの間にふわっとかぶって、いつもより少しだけ深く押さえた。
お気に入りのサンダルを履いて、ゆっくり戸を開けると、島の風がすっと吹き込んできた。
ワンピースのすそが、すこしだけはためく。
クッキーの袋を胸にぎゅっと抱えて、サンダルの音を鳴らしながら、一歩、風の中に踏み出した。
陽射しはじりじり強いけど、海からのそよ風が、頬をすべって気持ちいい。
うきうきしてるような、ちょっとちくちくするような、へんな気分。
サンダルの音がタンタンって跳ねて、ワンピースのすそも、ふわふわ揺れる。
風が入ってきて、足にまとわりつく感じがくすぐったい。
通りすがりの商店のガラスに、ふと私が映る。
胸にぎゅっと小さな袋を抱えて、ラベンダーのワンピースが少しだけお姉さんに見えた。
なんだかちょっとだけ、背すじを伸ばしたい気分。
商店街を抜けて、角を曲がると少し先に港の広い駐車場が見えてくる。
『ようこそ夕凪島へ』と、かわいい文字の看板が、にこにこ笑って出迎えてくれた。
港につくと、フェリーの姿はなくて、人影もまばらで、あたりは静かだった。
ざわん、ざわん、ゆっくり寄せては返す、波の音に合わせるように歩く。
でも、私はすぐに見つけた。
港の建物の脇から続く防波堤に、ぽつんとひとりで腰を下ろして、ぼーっと海を見ている姿を。
そっと、立ち止まった私。
「シンくん!」
光の中に浮かぶ、背中を呼んでみる。
シンくんが振り返る。
顔がぱあっと明るくなって、目がまるくなる。
「梨花!」
手を振るシンくんに、帽子を片手で押さえて、私はその笑顔に向かって駆けだす。
ぎゅっと抱えてたクッキーの袋が、カサカサって音を立てる。
落としそうでちょっと焦って、だけど、気持ちは弾んでて、私は一歩一歩を、少しだけ早足にした。
防波堤の上に立つシンくんは、青空を背負って白いシャツと日焼けした肌が一層まぶしく見えた。
シンくんはしゃがんでスッと手を差し出してくれた。
私はその手を握って、腰の高さの防波堤に「よいしょ」と上がる。
ざわん……ざわん……
防波堤の上に立つと、少しだけ見つめ合う感じになって、でも、目を逸らしたくなくて、でも恥ずかしくて、ちょっとだけうつむいた。
シンくんは鼻の下を指でこすると、防波堤の縁に腰掛けた。
私もその隣にちょこんと座る。
お尻に伝わるコンクリートの熱が、なんだか温かくて、でもぶらんと浮いてる足が落ち着かなくて。
潮のにおいと、とろけるような水面の光。
空はまっしろにまぶしい。
さっきより、海風がやさしくなってきた。
シンくんがチラチラと、私を見ているのが分かってしまってドキドキする。
「何で服、着替えたんって、思ったけど……やっぱりその服、似合っとる……」
シンくんは組んだ指先をクルクルと回していた。
「……ああ、ちょっと汗かいちゃって……」
気付いてくれたのが、とても、とても、うれしい――かも。
ギュッと抱えた袋がカサカサと音を立てる。
まるで、渡しなよって声を掛けてくれたみたいに。
「これ……作ったの。食べてみて」
両手で持った袋を見つめてから、そっと差し出すと、シンくんは一瞬、きょとんと目を丸くして――
それから、ふっと笑った。
えくぼが片方だけできて、いつもの顔。
シンくんは、受け取った袋の中をのぞき込む。
「梨花、これ作ったん? ひとりで?」
「う、うん。ちょっとだけ、おばあちゃんに手伝ってもらったけど……」
「へえ……ありがとな」
袋から、小さなクッキーをそっとつまんで、じっと見つめる。
ちょっといびつな星型。
シンくんは、それを迷わず、口に入れた。
ぽり、ぽり。
小さな噛む音がして、シンくんの目じりが、すこしずつふわっとゆるんでいく。
もうひとつ、今度はにこにこ顔のかたちのやつを口に運んで、もぐもぐ、もぐもぐ。
飲み込んだあと、ふっと目を細めて笑った。
「……手作りって、すごいな。めっちゃ優しい味がする」
「ほんと?」
ざわん……ざわん……
「本気や」
顔がぽっと熱くなって、私は思わずちょっとだけうつむく。
胸の前で組んだ指がじんわりふるえて、ぎゅっと絡める。
うれしい。
なんだか、心の奥が、ゆっくりぽかぽかしてる。
「元気出るといいなって……思って」
ぽつんとつぶやくと、シンくんはふっと空を仰いだ。
まぶしそうに目を細めて、ひとつ、小さく息をつく。
「……ありがとな、梨花。元気百倍や!」
その声が、まっすぐ心に飛びこんできて、何かに突き刺さって、キュンとなる。
くすっと笑いがこぼれる。
なんだろう、この感じ。
「上手く言えんけど、なんか、どうでもよくなった」
シンくんはちょっと照れたように笑って、鼻の下を指でこする。
その見慣れた仕草に、ほっとする。
「それ……ほめてるの?」
私はつられて笑いながら、首をかしげる。
「ほめとる。めちゃくちゃ」
シンくんは袋の中をのぞき込んで、最後のひとつをそっとつまんだ。
小さなクッキーを、両手で包むみたいに持っている。
指の先まで、大事そうにしてるのが、ちゃんと伝わった。
「……これ、最後やな」
ぽつりとつぶやいたその声は、どこか名残惜しそうで。
そして、静かに口に運んだ。
ゆっくり、ゆっくり味わっているみたい。
ざわん……ざわん……
私はその横顔を、こっそり見つめた。
風が吹いて、ツインテールがふわりと揺れる。
空と海のあいだで、シンくんの頬が淡く光って見えた。
優しい顔だった。
とっても、とても。
気のせいかな――
目に、涙がたまっていたの。
ボーッ。
沖の方から、低くて長い汽笛の音が、風に乗って届いてきた。
目の前に広がる海も空も、昨日とはちがう色に見える。
でも、となりでシンくんが笑っているだけで、世界がすこし、やわらかくなる気がした。
私の心の中も。
初めて、自分から、誰かのために、なにかをした。
それが、ちゃんと届いた気がして、小さなクッキーひとつでも、心をこめれば、おばあちゃんの言った通り、ちゃんと伝わるんだ――
そう思えたことが、うれしくて、うれしくて。
私はそっと目を閉じて、両手を胸に添えた。
ぽく、ぽく、と掌に伝わる鼓動。
この日が、ふたりにとって、忘れられない夏の記憶になりますように――
ざわん……ざわん……
私は、風に吹かれながら、心の中でそっと願った。
港では、ちょうど接岸したフェリーから、人と車がゆっくりと流れ出していた。
その動きさえ、島の時間に合わせたように、のんびりと穏やか。
風が吹くたびに、淡い潮の香りが漂って、懐かしい様な、ホッとするような、不思議な面持ちになる。
ツインテールの毛先が風と遊んで、ワンピースの裾を持ち上げる――
あの時と、同じように。
初めて、誰かのために何かをしたいと思った日。
私が想いを込めてクッキーを焼いて、そっと手渡した場所。
その時の私の、小さな勇気と、ぎこちない優しさと、それでもまっすぐだった気持ちを、いまもこの風が覚えていてくれる気がする。
ざわん、ざわん……
防波堤に当たる止むことのない波音。
まるで、あの日からずっと途切れることなく、時間をつないでくれていたかのように。
私はそっと目を閉じて、あの頃の私の気持ちに声を掛ける。
――頑張ったね私。ありがとう。
――今度は、私が頑張るよ。
ゆっくりと目を開けると、強い陽射しに目を細め、帽子のつばを静かに下げた。
「よし」
口にした声は小さくても、胸の中には、確かな熱があった。
ひとつ呼吸を整えてから、私は立ち上がる。
スニーカーの底が――
トン。
コンクリートに小さく音を立てた。
振り返る。
高台のフェンス、その向こう。
そこにある“想い”に、私はそっと心を寄せた。
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