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ひかりのよる

挿絵(By みてみん)


「こっち、ついてきて」

シンくんにそっと手を引かれ、本殿の脇をすり抜けて、裏手の小さな丘へと足を踏み入れる。

境内の明かりは本殿の影に隠れて、あたりはすこし薄暗くなった。

私は咄嗟に、シンくんの手をぎゅうっと握る。

道のない、草の茂ったなだらかな斜面を、そろそろと上っていく。

慣れない下駄と、もたつく浴衣の裾。

足元ばかりに気を取られてしまって、ちょこちょことしか進めない。

シンくんは、それに気づいているのかいないのか――

いや、きっと気づいているんだ。

私の歩幅に合わせて、一歩ずつゆっくりと歩いてくれていた。

つないだ手のひらの間に、じんわりと汗がにじみはじめる。

すこし恥ずかしくなって、でも、うれしくて――

指先に、ぎゅっと力をこめる。

草の葉が素足にふれて、ひやりとしたかと思えば、くすぐったくて。

かさっ、かさっ……

足元から響く乾いた草を踏む音が、夜の静けさに溶けていく。

ふと見上げた空には、淡く霞んだ雲がかかっていて、その向こうから、丸いお月様が笑いかけている。

風は涼しく、鼻に馴染んだ潮の匂いを連れてくる。

シンくんは、黙ったまま丘の先を見つめていて、表情はよく見えないけれど、少し笑っているような気がした。

私はスッと笑みがわいてきて、もう一度、つないだ手を見下ろす。

さっきより、指が深く絡んでいた。

そして、見晴らしのいい斜面にたどり着く。


「ここだよ……」

シンくんが小さな声で言う。

でも二人ともなんか、手が離せなくて、立ちすくんだ。

「す、座ろっか」

「う、うん」

躊躇いがちに暖かくなった手をそっと解いた。

シンくんは草の上に、ためらいもなくどさっと腰を下ろした。

草の葉がふわりと舞って、シンくんの浴衣の裾がかすかに揺れる。

「ここ、誰にも教えとらんのや」

そう言う声は、どこかちょっとだけ誇らしげで、でも悪びれない、いつもの調子だった。

「俺、金魚持つわ」

「ありがとう」

ぽんと差し出された手に、私はそっとビニール袋を預ける。

その中で、月に照らされ揺れる水が、金魚のまわりできらきらしていた。

私は、ほんの少し間をおいてから、隣にちょこんと座った。

距離が近すぎないように、でも離れすぎないように、そっと草をよけながら。

そして、太ももの上にクマのぬいぐるみをそっと置いた。

この場所には、提灯の灯りも届かない。

月明かりだけが、ぽつりぽつりと草を照らしていて、影がゆらゆらと揺れている。


りー、りー。

虫の声が、さざ波みたいに、絶え間なく、静かに響いている。

風が吹いて、浴衣の裾がふわりと揺れた。

私はその感触に少し身を縮めながら、そっと太ももを抱える。

草の葉が素肌にふれて、ひやりと、またくすぐった。

隣のシンくんは、片手を後ろについて、足をまっすぐ投げ出していた。

首をのばして空を見上げるその横顔には、余計な力が入っていない。

まるで風景の一部みたいに、自然で、静かだった。

私も、まねをするように空を仰ぐ。

高くのぼった月が、思っていたよりもずっと明るくて、雲の輪郭まで淡く浮かび上がっていた。

ふと顔を横にむけると、シンくんが私を見ていて、にかっと笑う。

「今日、一緒に来れてよかった」

その笑顔が、月の光のせいか、やわらかく、ぼんやり浮かんで――

ぽーっと見惚れてしまう。

私はちょっとぎこちなく、でもちゃんと、笑い返した。

ヒューッ……

――ドンッ!

空が破れるような音とともに、視界の端に、金色の花がふわりと咲いた。

風を巻くような重たい音が、夜の空気を震わせる。


「はじまったな」

シンくんがぽつりとつぶやく。

その横顔を、私はそっと横目で見つめた。

花火の光が、シンくんの頬を一瞬照らし、また闇に沈む。

風の中で前髪がわずかに揺れて、月の白と花火の赤が交互に映るその輪郭が、なんだか遠くに思えた。

ドクっ、ドクっ……

鼓動が高鳴るのは、空の音のせい、それとも――

ヒュルルル……ドンッ!

二発目、三発目と、色とりどりの花が弾けては消える。

バン!パラパラパラ……

今度は青、橙、そして金。ひとつずつ違う模様が夜空を飾っていく。


挿絵(By みてみん)


次々と打ち上がる花火が、空と私とシンくんの顔を染めていった。

「きれい……」

思わずもれた声に、シンくんがちらりとこっちを見た。

視線がぶつかる。

ヒューッ……

私はとっさに空を仰ぐ。

ドンッ!

何も言われていないのに、息が詰まりそうになって。

なんでもないのに、なにかがあふれそうになって。

視界が、ほんのすこしにじんだ。

どうしてだろう。

ほんとはわかってる。

心がぎゅっとなる。

でもそれが、言葉になるまえに、音がまた空を割った。

ドンッ!

バン!パラパラパラ……

夜空が、音と光とで満ちていく。

だけど私は、その全部を少しだけ遠くに感じていた。


「……梨、花」

シンくんが私の名前を呼ぶ。小さくて、ゆっくりとした音。

私はそっと顔を向ける。

暗がりの中でも、シンくんの目はちゃんとこっちを見ていた。

触れ合う視線を離せなかった。

月と花火の光が、揺らめくようにシンくんの顔を浮かびだす。

頬の輪郭もまつ毛の影も、はっきりと、やさしく。

「……来年も、来れる?」

ぽつりとした問いかけ。

ヒューッ……

――ドンッ!ドンッ!

花火の音にかき消されそうなほど小さな声。

私は――

「……うん、きっと」

精一杯、そう答えた。

シンくんはそれだけで、ふっと笑った。

そして、何か言いたげに指先を動かして、それをやめる。

私も何か言いたかったけれど、うまく言葉にならなかった。


――ドンッ、ドドンッ!

空が大きく光った。

間を置かず、大玉の花火が次々に打ち上がっていく。

黄金色の菊が、夜空いっぱいに咲き広がって――

その一瞬、まるで昼間のように、あたりがまぶしいほどに明るくなった。

その光の中で、シンくんの手が、そっと私の手にふれた。

ほんの指先だけ。

触れるか触れないかくらいの、かすかな温もり。

私は、驚いて、握り返すこともできなかった。

ただ、指先だけをそっと感じた。

――ドンッ!ドンッ!ドンッ!

シンくんの手も震えていて、でも、ちゃんと私の手をギュッと握った。

世界が止まったような時間。

ドクっ、ドクっ……

花火の音が鳴り響いているのに、耳の中では、自分の鼓動だけがはっきりと聞こえた。


――ドンッ!

「……終わったな」

シンくんが低い声でつぶやく。

夜空に糸を引きながら溶けていった最後の花火。

光の残像も消えかけて、丘の上に静けさが戻ってくる。

少し前まで、どこかから聞こえていた人の声も、もう遠い夢のなかの出来事みたい。

「……うん」

私は短く答えて、そっとシンくんの方を見た。

月明かりの中、シンくんはまだ空を見上げたままで、でも、口元にだけ小さな笑みを浮かべていた。

声も表情もないのに、不思議と伝わってくるものがあった。

ほんとうに、ただ静かに、そこにいるだけなのに。

私は、その横顔を、私はずっと、まばたきもせずに目に焼きつける。

まばたきしたら、見失ってしまいそうで。

この時間が、ずっと続いてくれたらいいのに。

つないだ手の温かさを感じながら、そう思った――

でも、どこかで分かっている。

終わらない夏なんて、きっとない。

それでも、忘れない。

忘れないよ。

この夜空に咲いた、ふたりだけの、ひそやかな約束のような、花火のことを。


りー、りー。

私は、ゆっくりと顔をあげた。

さっきまで花火が主役だった空には、いつの間にか、たくさんの星がにじんでいた。

どれもささやかで、こっそり光っていて、なんだかそれも私たちだけの星空のような気がした。

「もどろっか」

シンくんの声が、少し低く、でも穏やかに響いた。

私はこくんと頷いた。

そして、手を繋いだまま、立ち上がる。

シンくんが私にそっと手を添えながら引っ張り上げてくれる。

「あっ、金魚持つ」

シンくんが、そっと差し出してくれたビニール袋を受けたった。

金魚はちょろちょろと尾を振り、きょろきょろと向きを変えていた。

ふたりで静かに坂を下りていく。

境内の提灯の灯りが、夜の深まりとともに、ぽつぽつと消えてゆく。

終わりかけの祭りの静けさが、ぽこぽことした足音に寄り添っていた。

それから、人気の少なくなった境内の隅のあるベンチに腰かけた。


挿絵(By みてみん)


私たちは、金魚の入ったビニール袋を見つめていた。

「この子……“ひかり”って名前にしたいな」

ぽつんと口にすると、シンくんがゆっくり首をかしげた。

その動きが、どこか間の抜けた金魚みたいで、ちょっとおかしかった。

「なんで?」

「きれいだったから。水の中、揺れてるの、夕焼けみたいで、花火みたいで……」

自分でも、何を言ってるんだろうと思った。

それでも、理由なら、ちゃんとあって、でもうまく説明しきれなくて、私は地面を見つめた。

「……“ひかり”か。ええ名前やな」

シンくんがそう言って、小さく笑う。

そして、いつものように、くすぐったそうに鼻の下を指でこする。

それがなんだか嬉しくて、私は小さく息を吸った。

「じゃあ、この子……シンくんに、あげる」

「えっ、いいのか?」

「うん。島に住んでるシンくんなら、ちゃんと育ててくれそうだから」

そっと袋を差し出すと、シンくんの手と、私の手が少しだけふれた。

ほんの一瞬だったのに、なんだかむずむずして、呼吸の仕方を忘れそうになった。

「俺、大事に育てるわ。約束やな」

袋の中で“ひかり”が、パクパクと口を動かしている。

シンくんは、その小さな命を、まるで宝物みたいに見つめていた。

嬉しそうで、眩しそうで――

その横顔も、私は忘れないって思った。



ひゅ~

ドン!

パラパラパラ……

空に、大きな丸い花がいくつも咲いていく。

色とりどり、まるで空が一瞬一瞬、違う夢を見ているみたいだった。

彼が教えてくれた“とっておきの場所”は、結局わからなかった。

だから私は、境内の階段に、ひとり腰を下ろして、目の前の空を見上げている。

音が鳴って、内から外へと広がって、パッと咲いては消える。

辺りがそのたび、ほんの束の間、昼みたいに明るくなるけど、すぐにまた夜が戻ってくる。

年甲斐もなく買ってしまった綿あめを、ゆっくりと口に運ぶ。

ふわふわで甘くて、すぐに舌の上で溶けてしまう。

けれど、子どものころに感じた幸せの形だけは、ちゃんと残っていた。

ひゅ~、ひゅ~、

――ドンッ!ドンッ!

まるで、記憶の中から抜け出してきたみたいに――

同じ音がして、同じ光が咲いて、同じ夜風が髪をくすぐっていく。

指先についた綿あめの甘さを、そっとハンカチでぬぐう。

潮の香りにまじって、たこ焼きや焼きそばの匂いが風に乗って流れてきた。

あの夜と、変わらない匂い。

花火がひとつ、大きく夜空に開いて、すぐにしゅんと消える。

でも、目の奥には残像が残って、しばらくずっとそこにいる。

――時間って、きっとこうやって過ぎていくんだ。

ぱっと広がって、すぐ見えなくなるけど、ちゃんと心に焼きついてる。

私はその残像を拾い集めるみたいに、視線でたどりながら、ただ、静かに夜を見ていた。

――ドンッ!ドンッ!

――また会える。そう思ってる。

「たぶん」じゃない。

ちゃんと。

だって、あのとき目を見て、彼が言ってくれたから。

私も、うなずいたんだから。

――ドンッ、ドドンッ!

花火が最後の大玉を打ち上げる音がして、

その光が階段の端まで届いたとき、私はゆっくり立ち上がった。

そして、少しだけ笑った。

誰にも気づかれないような、小さな笑顔で。


挿絵(By みてみん)

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