④⑨
「……ヴァネッサ、大丈夫か?」
ギルベルトの声にハッとしたヴァネッサは涙を拭ってから「申し訳ありません」と呟くように言った。
(ギルベルト様に守ってもらってばかりだわ。守るなんて言ったのに情けないと思われたかしら……)
彼はエディットに掴まれて乱れた髪を優しく直してくれた。
顔を上げると、苦しそうに顔を歪めたギルベルトがヴァネッサを強く抱きしめた。
「一人にしてすまなかった。ヴァネッサ……怖かったろう?」
「……ギルベルト様」
「本当にすまない……っ」
ギルベルトの体温と心臓の音が布越しに伝わってくる。
ヴァネッサはギルベルトの服をギュッと掴み目を閉じた。
彼は急いでヴァネッサの元に駆けつけてエディットたちから守ってくれた。
それだけでヴァネッサは救われたような気がした。
(先ほどまであんなに怖かったのが嘘みたいだわ)
それから体を離すと、ギルベルトはヴァネッサに怪我がないか確かめているようだ。
それからあることを提案する。
「一度、シュリーズ公爵邸に帰ろう」
「……!」
けれどここで帰ったらアンリエッタがきっと悲しむのではいか。
ヴァネッサの気持ちは確かに沈んでいたが、ギルベルトのおかげでだいぶマシになった気がした。
ティンナール伯爵たちは店から追い出されてしまった。
もう顔を合わせることもないだろう。
それにギルベルトには自分よりもアンリエッタを優先して欲しい。
忙しい彼との時間はアンリエッタにとって貴重なことだとわかっていた。
常にギルベルトは忙しい。アンリエッタが一緒にいられる時間は限られている。
馬車の中でアンリエッタは本当に嬉しそうだった。
そんな思いからヴァネッサはギルベルトを心配させないように笑みを浮かべた。
「折角、ここまで来たんですもの。それよりもアンリエッタは大丈夫でしたか?」
「アンリエッタは問題ない。ただのケーキの食べ過ぎだ。だがヴァネッサは……」
「アンリエッタを悲しませたくありません。それに早く一緒にドレスを選びたいです」
ギルベルトはヴァネッサを心配してくれているのだろう。
「わたしなら大丈夫ですから!」
自分に言い聞かせるようにそう言ったヴァネッサはギルベルトの手を握る。
ギルベルトに大丈夫だとアピールするつもりが、まだ手が震えていることに気づいてすぐに手を引いた。
「……ヴァネッサ」
ギルベルトが困惑するように眉を寄せている。
どうにかして誤魔化そうと腕を後ろに回して、何事もなかったように女性店員に声を掛けた。
「買い物を続けましょう、ギルベルト様」
「…………」
ギルベルトが歩いていくヴァネッサの手を引き止めるように掴む。
ヴァネッサが振り返ると、ギルベルトはヴァネッサの腰を引き寄せて頭を撫でる。
そうして額に触れるとシルバーグレーの髪が目の前でサラリと流れた。
柔らかい感触が額に感じた。
ギルベルトの唇が触れたのだと気づいた瞬間、ヴァネッサの頬が真っ赤に染まる。
先ほどのエディットに髪を掴まれた痛みなど一瞬で消えてしまう。
(嘘……今、ギルベルト様がわたしの額にキスしたの!?)
フラリとよろめくヴァネッサを支えたギルベルトはもう一度、強く抱きしめる。
耳元で囁かれる「……ヴァネッサ無理だけはしないでくれ」という言葉。
「無理はしませんので」
「約束してくれ。君のことが心配なんだ、ヴァネッサ」
「……はい」
先ほどまで全身を支配していた恐怖が消えていく。
ギルベルトはアンリエッタを呼びに行こうと行った。
ヴァネッサはギルベルトにキスされた額を押さえつつ、彼の後について歩き出したのだった。