④⑦
従業員たちが止めるように叫んでも、彼女たちは罵ることを止めようとしない。
髪を掴まれたまま揺さぶられているため、ヴァネッサは答えることすらできない。
「──おやめください!」
先ほど紅茶を持ちに行った女性はヴァネッサの置かれている状況を見て声を上げる。
持っていたカップがガチャンと大きな音を立てて割れてしまう。
そのせいでティンナール伯爵の「やめろ、エディット!」という声はかき消されてしまう。
こちらに駆け寄ってきた女性はエディットの腕を掴んで「離してくださいませ!」と、大声を上げた。
「無礼者、エディットから手を離しなさいっ」
「ちょっと! わたくしを誰だと思っているの!? ティンナール伯爵家のエディット・ティンナールなのよ!」
エディットがそう言った時だった。
ヴァネッサの後ろからバタンと扉が乱暴に開く音。
コツコツと響く足音がどんどんとこちらに向かってくる。
複数のヴァネッサを呼ぶ声が聞こえたが誰の声かわからない。
「──ヴァネッサッ!」
ギルベルトがヴァネッサの名前を呼んだのと同時に、バチンと痛々しい音が聞こえた。
そして視界が開けて髪を引かれる痛みがなくなった。
ヴァネッサのぼやけた視界に映るギルベルトの姿。
彼は自分の体でヴァネッサを守るように抱き寄せた後に吠えるように叫ぶ。
「お前たちは……俺の妻に何をしている!?」
聞いたこともないほどに低い声だった。
威圧的なギルベルトに驚くばかりだが、ヴァネッサの目からは今まで堪えていた涙がこぼれ落ちる。
先ほどとは打って変わって静まり返った部屋の中、ギルベルトの怒りはビリビリと周囲に伝わっている。
「痛いわね……!」
エディットはいつの間にか床に座り込んで腕を押さえて震えていたが、ゆっくりと顔を上げる。
ギルベルトと目が合うと、まるで獣に睨まれたように動けなくなってしまった。
「今、ヴァネッサを罵っていたのはお前か?」
「ヒィッ……!」
「お前なのかと聞いている」
「なっ、なによ……! それの何が悪いの!?」
ティンナール伯爵や伯爵夫人も何も答えないでいる。
エディットはヴァネッサを罵ったことの何がおかしいのかわかっていない様子で開き直っているように見えた。
そして先ほど迎えてくれた店で一番偉い男性に問いかける。
「俺がこない間にこの店は悪客を入れるようになったのか?」
「シュリーズ公爵、大変申し訳ありません。すぐに対処いたしますっ」
「早く処理してくれ」
「かしこまりました! すぐに追い出してくれ」
従業員たちはギルベルトに深々と頭を下げた後にティンナール伯爵家を睨みつけた。
他の買い物客たちもエディットを見ながらコソコソと話している。
やっと自分たちの置かれている状況に気づいたのかと思いきや、ティンナール伯爵や夫人は悪客とは自分たちのことを指しているのだとわかったのだろう。
一気に顔を真っ赤にさせて怒鳴るように叫んだ。
「なっ……我々はティンナール伯爵家だぞ!」
「存じております。その上で申し上げているのです」
「……っ、なんだと!?」
脅しにも屈することはない。
男性の毅然とした態度にティンナール伯爵たちは呆然としてる。
まさか自分がこのような扱いをされるとは思わなかったのだろう。
悔しいのか下唇を噛んでいる伯爵夫人が持っている扇子がバキリと音を立てる。
「ティンナール伯爵、二度とこの店に足を踏み入れないでください。それからこれは暴力事件として報告させていただきますから」
「……暴力、だと!?」
「このような振る舞いは許されません。何を考えているのですか?」
その言葉に今まで黙って話を聞いているように見えたエディットが声を上げる。